リグバルド
ブラントゥール地下。
本来は倉庫である部屋に、東西の柱、そして俺を含めてギルドから数名が集まっている。
目の前には、拘束された二人の男……暴動の裏で捕まえた、青い石の売人がいた。独房代わりのこの一室で、俺たちは彼らの尋問を行っている。
「もう一度聞くぞ。お前たちは、どのような目的でこの国を狙った?」
分かってはいたことだが、二人の男は、簡単に口を割ろうとはしなかった。特に人間の方は、完全に黙秘を決め込んで、こちらの問い掛けには一切答えない。
「黙って済むと思っている訳でもあるまい? あの石の効用については、多くの国民が目の当たりにしたばかりだ。貴様たちが売人であった事も、確認がとれている」
「………………」
「二人揃って黙秘権の行使ですか? ……傭兵にしては義理堅いんですね、オウル・サハランさん」
「…………!?」
「フフ、そう驚く事もないでしょう? 傭兵の正規認可証、荷物にしっかりと入っていましたよ」
己の失態に気付いた山羊人は、思いきり表情を歪めた。捕まることを想定していなかったのだろうが。
「何者かに雇われているのだろう? 貴様の雇い主がどこのどいつか、とっとと吐くがいい」
「……くそ。俺にだって、プライド程度はある! そう簡単には……」
「やれやれ、物分かりの悪い方ですね。ならば、そのプライドを抱いたまま、地獄に堕ちてみますか?」
「じ、地獄……? 拷問でもする気か……?」
「私は、そういうのは得意ですよ? 死にたいと懇願する程度に苦しめて欲しいなら、丁寧にお相手して差し上げますが」
「……ジンさんが言うとシャレにならないわね。けど、あんたにそんな強気で主張する権利があると思ってんの? 自分の立場、わきまえなさいよ」
「ぐ……」
意地はあるのだろうが、さすがに命を天秤に掛ければ揺らぐだろう。本当に拷問をする気はないが、脅しをかけて素直になってくれれば良いんだが。
「そちらの貴方はどうですか? 話せば楽になれると思いますがね」
「……いずれにせよ、暗殺未遂の極刑は変わらないんだろう? 覚悟など、とうに出来ている」
初めて口を開いた人間は、そう言い放った。その表情には、諦観が見てとれる。
「黙って首謀者としての罪を受けると? それがどれほどの刑になるかは、想像はつくだろう?」
「喋る気はない。やるならば、処刑でも何でも、早くしろ……!」
「己の役割に殉じるつもりか。だが……お前は、それに対して迷っていたようだが?」
「…………!」
空の指摘に、男は目に見えてたじろいだ。
「あんたを捕まえたあの子が言ってたけど、あんたはあの石で街の人を暴走させるのを躊躇ってたそうじゃないか」
「……だから、何だと言うんだ!」
「忠義を尽くすのは立派だが、お前は本当に忠誠を誓っていたのかと言っている。必死にその振りをしているようにも見えるぞ」
「だ……黙れ!」
男は空とリンの言葉を否定するが、声を荒げたその様子が、図星である事を示しているようなものだ。彼の感情は揺らいでいる。ならば……。
「己の感情を捨ててでも、主君のために。それがリグバルドの教えというわけか?」
「!? ……貴様、何故……」
「…………。そうか。やはりお前たちは、リグバルドなのだな」
男の反応に、俺の中にあった予想は、確信へと変わった。男は、少し経ってからカマをかけられた事に気付いたらしい。最大級の失態に、表情が一気に歪む。
……同時に、美久の表情が曇ったのにも気付きはしたが、それは後だ。
「ここまで世界中で派手に動いておきながら、こちらが何も把握できていないと思っていたか? あまり、ギルドを舐めてもらっては困るぞ」
正確には、ギルドと、もうひとつの情報網を使ったものだがな。ギルドに彼らの脅威を初めに報告したのも俺自身だ。
「もっとも、はっきりと尻尾を掴んだのは今回が初だ。言動からして、お前は傭兵ではなく正規軍の一員だな?」
「……答える義理は無い。殺せ……!」
「死して忠義を貫く、か。だが、本当にそれでいいのか?」
問い掛けると、人間は失態に俯いていた顔を上げた。その顔には、様々な感情が混ざりあっているのが見てとれた。
「俺は、昔のリグバルドを知っている。実際に何回も訪れたことがあってな」
「……それが、どうした」
「当時のリグバルドには、平和があった。そして、確かな形で皆を導く存在がいた。軍人たちも……彼に忠義を尽くすことは誇りだろうと、この目で見て感じていた」
「…………!」
「十年近く前の話だがな。そして、今は違う。お前も、かつては本物の忠誠を誓っていたんだろう。だが、今は……揺らいでいたのではないか?」
じっと表情を伺いながら問うと、彼の顔にはっきりとその揺らぎが浮かんだ。
「少なくともお前は、民間の犠牲に疑問を持ったのだろう。ならば、何故そんな命令を出す者に従い続ける?」
「お前に、何が分かる! 俺は、あのお方の理想を、叶えるために……!」
「それが心からの言葉だとすれば、俺の戯れ言など全て聞き流してしまえばいいさ」
そうではないと半ば確信を持ちつつ、俺は敢えてそう言った。
「だが、もしもお前が、変わっていく祖国に疑問を持っていたのならば……自分の理想と、現実にズレを感じていたのならば。もう、無理をしなくてもいいんじゃないのか?」
「な、何を……!」
「お前は……とっくの昔に気付いていたのではないか? 自分の理想が、今の祖国には、お前の主には無いのだと。それでも、それを認めてしまえば全てが崩れてしまうから、認められなかった。違うか?」
「…………っ!!」
俺はきっと、彼にとって残酷な現実を突き付けている。それでも、それが必要だと思ったのだ。そうしなければ、彼は縛られたまま命を落としかねない、と。
「もう一度だけ聞くぞ。お前は、民間人を巻き込むような今の主君に、本当に忠誠を誓えるのか?」
「俺、は……」
「頼む。もしもお前が、変わっていく自分達を止めたいと願っていたのなら、お前の知る事を教えてくれ。俺たちが、必ずそれを成し遂げてみせるからな」
「………………」
捕らえた相手に頭を下げる。それは、端から見たらおかしな行動なのかもしれない。だが、今は愚直でも誠意を伝えるべきだと思ったのだ。
傭兵の山羊人、オウルも、俺の言葉を黙って聞いていた。思考の整理がついたのか、先より少し落ち着いて見える。そして、会話に間が開いたのを見計らったように、口を開いた。
「そろそろ潮時なんじゃないのか、セイン」
「……何?」
「その狼人の言う通りだろう? お前は迷っていた。最後の時にも、結局は命令を送れなかった。言わせてもらうが、最初から無理があったんじゃないのか」
「何を……」
山羊人は溜め息をついた。どうやら彼は、諦めがついたらしい。
「いずれにせよ、俺は金で雇われただけの傭兵だからな。お前には悪いが、命に代えても黙っていようとまでは思えんぞ」
「……聞き出すだけ聞き出した後、殺されるかもしれないんだぞ」
「どうせ黙っていたら最大の罪だ。俺は、少しでも減らせる可能性がある方にしておきたい」
「話していただけるのなら、司法取引として穏便な処置を約束しますよ。僕たちの暗殺も未遂ですからね。罰が無いとはもちろん言いませんが」
「……その言葉が本当だと祈らせてもらおう。命さえ助けてもらえれば、贅沢は言わない」
彼にとって仕事であっても、人々に多大な犠牲が出るところだったのは事実だ。傷付いた人も数多い。だから、彼は罰を受けなければならない。もっとも、真に罰するべきは彼を雇った者ではあるのだがな。
「お前は決心がつかないのなら黙っていればいい。どうせお前が止めても俺は話す。話すのはあくまで俺だから、お前の忠誠が傷付くことは無い」
「お前……」
「こんな非道な作戦には向いていなかったんだよ、お前は。捕まった事は、もしかしたら来るべき転機だったのかもしれないぞ」
自己保身がメインではあるのだろうが、少しだけ相方を気遣うような態度も見せるオウル。それに対し、ジンがどことなく冷たい笑みを浮かべて口を開く。
「少し良い人を気取っているところ失礼ですが……あなたは自分でその非道な作戦の契約を受けた、と言う事実は忘れていませんね?」
「う……ま、待て、それは少し弁解させてくれ。俺は、契約を終えるまで、作戦の内容は知らされていなかったんだ」
「何だと? それでよく引き受けたものだな。引退した身だが、俺からすれば有り得んぞ」
「あのリグバルドから依頼が来たんだぞ? 胡散臭いとは思っても、大して名も売れていない俺にとって、こんなチャンスは二度と来ないと思うと、な……」
「けど、依頼内容を聞いて突っぱねなかったんでしょ? その時点でどうかと思うわ」
「こんな内容を聞いた後に断るなどと言えば、何をされるか分からなかったんだよ……!」
それは確かにそうだろうな……今の奴らを考えれば、運が良くて投獄、悪ければ口封じに消されていた可能性だってある。だからこそ、仕事だからと言い聞かせてやっていたのだろう……どちらにしろ売名のチャンス、という欲もあったのだろうが。
「貴様にも事情はあったのかもしれんがな。この国が荒らされ、俺たちも殺されかけた事に変わりはない。それは言い訳のできない話だぞ」
「…………。分かっている。殺されるのは御免だったから従っていたが、俺にだって罪悪感が無かったわけじゃない。自分の身を優先した俺が、今さら言うのも虫の良い話だがな」
「そう思うのなら、あんたはたっぷりと償わなきゃいけないよ。自分のしでかそうとしていたのが、どれだけ大変な事だったのか……嫌だと言っても、しっかりと自覚させてあげるからさ」
「………………」
良心が咎めていたのも嘘ではないのだろう。オウルは苦々しい表情のまま、小さく俯いた。
「セイン、と言ったか。お前にも、この国の現状と、ゆくゆくは本来の姿を見せてやる。お前が自分の理想を守る為に、壊そうとした俺たちの国をな」
「……壊そうとした、か……」
そう呟くと、セインは少しだけ沈黙した。何か、自分の中の想いを整理するかのように、目を閉じる。
「……ひとつ、聞きたい事がある」
「何だ?」
「お前たちは……真の平和が存在するとすれば、それはどうすれば手に入ると思う?」
「……そうだな。真の平和、とは何を指すかによっても違うのだろう。だが……」
真の平和。この言葉は、よく覚えている。聞かされたのは……彼の、かつての主から。
恐らくは、以前の彼も主から聞かされ、誇りの根幹にあったのだろう。だとすれば、それに対する答えは、俺の中では一つだ。
「少なくとも、何かを犠牲にした上で成り立つようなものではない。俺は、そう思っている」
平和のために、誰かの平和を壊す。もしも一時的な平和を達成できたとしても、その矛盾は、いつか必ず綻びを生む。
……ともすれば、真の平和とは、それを目指す者の独善としてしか存在しないのかもしれない。それでも、目指したいという気持ちは分かる。俺自身も、そう願っているからな。だから、そんな気持ちを利用する者を、許すわけにはいかない。
「そう……か」
何かを諦めたような、しかしどこか満足したような、そんな声がセインの口から漏れる。
「今までの全てを捨て去ることは、まだできない。俺は、そこまで器用になれそうもない」
「…………」
「……だが……今回のような作戦は、やはり許されてはいけない。こんな事が、平和のために必要なはずがないんだ……!」
自分自身に改めて確認するかのようなその言葉。頭を上げたセインの目からは、揺らぎが消え去っていた。
「それは、僕たちに協力していただける、と考えても構わないのですか?」
「ああ。今は、お前たちの言葉を信じて、託すしか……皆を止める方法を、思い付かないからな」
今度は、はっきりとした口調で、自らの意思を明らかにした。止めたいと、その願いを。
「そうと決まれば話は早いね。なら、みんなの前で説明して貰おうじゃないか」
「では、会議室に連れていこう。一応言っておくが、抵抗しようなどとは考えてくれるなよ?」
「……なぜ俺だけを見て言うんだ。抵抗したところで、二人だけで逃げ切れるわけがないだろう? 大人しく従うさ……」
事が決まれば、動きは迅速だ。あまり時間もないし、心変わりが無いとも限らないからな。
空たちが二人を連れていく支度を始めるのを確認してから、俺は美久の様子を伺った。彼女は、どこか遠くを眺めているような、物憂げな表情を浮かべていた。
「美久、大丈夫か?」
「……平気。知らなかったわけじゃないし、ずっと前から、覚悟だけはしてきたから」
「……そうか」
俺はそれ以上何も言わなかった。余計な言葉は、彼女の覚悟への侮辱だろう。
リグバルド。ついに、この時が来たか。
ならば、俺の役目は……。