心の旋律
「ガルフレアさん、これは……!」
俺とイリアが現場に駆け付けた時には、辺りは一触即発だった。今はまだ口論の段階で、武器は振るわれていないようだが……時間の問題だ。
俺達のネットワークで集まった情報によると、獣人側には反真創教グループのリーダー『エドガー・プレストン』が、人間側には逆に真創教を推進する活動家のトップ『ダグラス・ゴドウィン』が、それぞれこの場にいることが確認されている。
勝手な動きが無いのは頭がいる集団だからだろう。逆に言えば、リーダーが火蓋を切ればそれで終わりだ。
「イリアは人間側に混ざって中心のリーダーに接触を! 俺は獣人側から行く!」
「了解!」
彼らがまだ話し合いをしているうちに、止めなければいけない。最悪、柱たちが来るまでの時間稼ぎは成し遂げねば。
俺は人々の間を駆け抜けながら、PSを発動させる。身軽さを増すためでもあるが、聴覚強化による情報収集も兼ねている。
「てめえらが、あのクソみたいな宗教に従って、何人襲ったか分かってんのか!?」
「黙れよ! お前たちだって、どれだけの人を病院送りにしたと思っている!」
「それに、あんたらピステール東柱を殺そうとしたんだって? やり方が悪どいんだよ!」
「何を! 貴様たちこそ、ヴァレン西柱を襲撃したという話ではないか!」
……暗殺の件も漏れているか。あるいは、黒幕が流したのか。
「あんた達のせいで、私の弟は今も入院してる! 絶対に許さない!」
「うるせえんだよ、ケダモノが! それを言ったら俺のオヤジも……!」
まずいな、分かってはいたが時間がない。時折、青い石も目につく。さすがに俺たちだけで破壊しきれる量でもないし、武器を出せばそれが火付けになってしまいかねない。くそ、どう対処する?
――その時、俺の耳に、不可思議な音が届いた。
「……な、何だ?」
「この音は……」
次第に、言い争っていた者たちも、その音に気付き、辺りを見回し始めた。
……俺は、その音が何であるかを知っている。この、心の休まる音色は、間違いなく聞き覚えがあった。
最初はただの困惑だった辺りの空気も、心なしか少し鎮まったような気がする。そしてその時には、それがどこから聴こえてくるものであるか、この眼でしっかりと捉えていた。
丁度、騒動を見渡せる位置にある時計塔。その上で……狐人の少女が、静かに笛を奏でていた。
「…………」
わたしの方に、視線が集まってくるのを感じる。いつもなら演奏中には周りも気にならないけれど、今は。
……いや、余計なこと考えちゃ駄目だ。いつもみたいに、コルカートを自分の延長だと考えて。出す声を自分の考えで変えられるように、自分の伝えたい音を自然に出す。そうして、ひとつの曲にするんだ。
『コルカートの演奏をしてみる、だって?』
『はい。いきなり笛の音が聴こえてきたら、みんなビックリすると思うんすよ。ただの声より、注目は集められそうじゃないっすか?』
浩輝くんの提案は、持ち主のわたし本人には考え付きもしなかった事だった。だって、こんな中で笛を吹く、なんて……。
『だけど……今から暴動を起こすかも、って人たちだよ? 余計に刺激しちゃうかもしれないよね?』
『んー、そうね。けど、どうせ喋ってもそれは一緒だし……やってみる価値はあるかもね』
結局、他の案も出てこなかったし、わたし達はそれを実行することになった。少なくとも時間稼ぎは出来るだろう、って結論だ。
『コウが吹くの、コルカート?』
『そのつもりだぜ。……飛鳥。そういう訳だから、コルカートを貸してくれねえか?』
その時の浩輝くんの表情で、わたしは察した。彼が、わたしに気を遣っているって。本当の案は、別だって。
浩輝くんは多分、わたしに責任を押し付けたくないって考えているんだと思う。だけど、わたしは……。
『待って。コルカートを使うなら……それは、わたしがやるから……!』
わたしが自分から名乗り出た事、浩輝くんはちょっと驚いていたみたいだった。それでも、思ったんだ。これは、わたしがやらなきゃいけないって。
わたしが一番上手く出来る、なんて言うつもりはない。それでも……音楽は、わたしが唯一、少しは自信を持てることだから。
こんなわたしでも、本当に役に立てるのなら……みんなの心に、少しでも響かせることができるのなら。
「…………!」
正直に言えば、怖い。わたしなんかが、こんな大事な役目を受け持つなんて。もし失敗したら、って思うと、逃げたくなる。……でも。
浩輝くんは言ってくれた。失敗しても、支えてくれる仲間がいるんだって。後は気にせず、思うようにやれば良いんだって。わたしは、いつもそれができなかった。後ばかり気にして、何もしてこなかった。だけど、今は……。
『本当に良いのかよ、飛鳥?』
『大丈夫。わたしに、やらせて』
『そっか、わりい。……心配はすんなよ。飛鳥なら、オレなんかより絶対に上手くやれる。オレが保証するぜ!』
わたしならやれるって、そう言ってくれた友達が、わたしの後ろにいるんだ。わたしは……それに応えたい。
昔、お母さんが言っていた。音楽は、心の鏡だって。その人の心を映して、それを聴く人に伝えてくれるんだって。
時には、言葉にするよりももっと鮮明に、わたしの想いを伝えてくれる事もあるかもしれない……そう言われて、わたしにそこまでの演奏ができるのかな、なんて考えていた。
もしも今、わたしの心を届けられるのなら……この演奏を、わたしの言葉にできるなら。
みんな、どうか思い出して。平和だったあの時を。わたしが大好きな、本当のアガルトの姿を……!
「………………」
演奏が終わった。無我夢中で、上手くいったかどうかなんて分からない。だけど、少なくともみんなは、まだこちらを見ていた。
終わってみると、急に不安になってきた。手が震えている。どうしよう、わたし、ちゃんとやれたんだろうか? わたしのせいで、もっと状況が悪くなったりは……。
「大丈夫だぜ」
そんな心を見透かしたように、はっきりとした声で、わたしの後ろからかけられた友達の声。
「すげえ良い曲だった。初めて聴いたあの時より、もっとな……飛鳥の心が、伝わってきた」
「あ……」
浩輝くんの力強い笑顔を見ると、不思議と手の震えが止まった。瑠奈ちゃんやアイシャさんも、頷いてくれた。
「こっからは、オレ達がやる番だぜ、ルナ」
「うん。飛鳥の頑張り、無駄にはしないよ!」
浩輝くんと瑠奈ちゃんが、わたしの前に出る。二人は、多くの視線に臆する事もなく、ゆっくりと口を開いた。
「皆さん、いきなりの事で驚いていると思います。だけど、少しだけ私たちの話を聞いてくれませんか?」
今度は、瑠奈たちがそのように語り始める。俺は、彼らの思惑を何となく察しながら、その隙に騒ぎの中心への移動を再開していた。
「みんな、獣人は人間、人間は獣人に、文句があるからここに集まってるんだと思うっす。だけど、それをぶつける前に、ちょっと考えてみてほしいんっすよ」
突然の来訪者への驚きが勝った結果か、今は皆が、時計塔の上から語る子供たちに視線を釘付けにしている。いや、驚きだけでなく、少なからず今の演奏に効果があったのかもしれない。
人混みを掻き分けていくと、呆気にとられた様子の、二人の男が目に入った。大柄な鰐人と、壮年で痩せ型の人間……写真通りだな。双方のリーダーだ。それを確認すると、俺もまずは彼らの話に耳を傾ける事にした。
「まず、皆さんに聞きたいんです。人間と獣人、その違いって何ですか? その違いがあると、そんなに大変なんですか?」
まずは、瑠奈が一歩前に出た。その問いかけに、少しだけ辺りがざわつく。
「私は……ある人から言われたんです。人間と獣人に違いがあることは否定できないって。私は、それに反論できませんでした。そのことに、落ち込みもしました」
彼女はあの時、誰の目にも明らかな程に元気を失っていた。だが……。
「でも、違ったんです。反論する必要なんて、最初から無かった。だって私たちは、一人ひとりが違っていて当たり前なんですから。例え人間同士、獣人同士だって、その人はひとりしかいないんです」
そうだ。ひとりしかいないからこそ、かけがえのない存在になれるんだ。種族というもので括ったところで、人間が誰でも瑠奈になれる訳ではない。彼女は、彼女だ。
「違っていても、悪くなんてない。私たちは、お互いの違いを認めて、その上で一緒にいるんだって……友達に、気付かされました」
あの日、浩輝に諭された瑠奈。みんなは、ずっと共にいる親友だ。その中に、種族の壁など存在はしていない。
「……少し話は変わりますが、私の兄は獣人です。家族の中でひとりだけ……種族の違いは、お兄ちゃんをずっと苦しめていました」
暁斗の事があるからこそ、彼女は今回の件を深く受け止め、苦しんだ。種族の違い、違う生き物だと認めてしまえば自分たちはどうなるのか、と。
だが、彼女の目に、もう迷いは感じなかった。
「だけど、やっぱり私は思ったんです。人間とか獣人とか、そんなのは全く関係ないって。だって、お兄ちゃんが私の大切な兄弟っていう事は、絶対に変わらないから。迷ったのが恥ずかしいぐらいに、今は胸を張ってそう言えます」
そこまで語ると、彼女は少しだけ下がり、代わって浩輝が前に出る。
「オレは、こいつと昔っからの友達でした。親が知り合いってのもあったけど、いつも一緒にいて、遊んで、助け合って……そりゃ、たまにはケンカぐらいはするけど、こいつはずっとオレの親友です」
大勢の前で話すのが苦手、とは本人の弁で、今も少し緊張したような面持ちだ。それでも、話し始めたら言葉自体はスムーズに出てきているようだ。
「ガキの頃から一緒だけど、こいつが人間だから、って理由で何か壁を感じた事なんかありません。違いについて喋ったとしても、毛皮が無いから冬は辛いだろ、とか、尻尾が無いってどんな感覚なんだ、とか、そんなことばっかで……」
それは、人間と獣人の確かな違いでもある。しかし、逆に言えば違いはその程度なのだ。
「みんなにも、いたんじゃないんすか? 人間には獣人の、獣人には人間の……信頼できる人が。それなのに、人間だから、獣人だからってだけで、信じられなくなるんすか? ……オレはバカだけど、これだけははっきりと分かる。そんなの、絶対におかしいっすよ!」
浩輝の訴えを聞く人々は、動かない。その反応は人によってまちまちだが、動揺が全体に広がっているのは確かだった。
「オレの友達には、人間だって獣人だって、いっぱいいる。でもオレは、種族と友達になったわけじゃない! そいつがそいつだから、オレはみんなと一緒にいるんだ!」
少年の口調に、熱がこもり始める。彼が感じていた疑念が、憤りが、真っ直ぐにぶつけられていく。
「人間、獣人……それだけじゃない、UDBだって。違うもんが分かりあえないなんて、誰が決めたんだよ! オレは知ってる、UDBだけど人と一緒に過ごすのを願ってるやつを! それだけでかい違いがあるやつとだって、家族になれるんだ!」
フィオは、この言葉が聞こえる場所にいるだろうか。最初は、確かに驚きもした。だが、彼が家族であることに疑問を持つ者はいない。
それに、獅子王で暮らすノックスも、あのアンセルも……形は違うが、お互いを理解することはできた。
「外見の違いがそんなに大事かよ? 種族がなんだって、同じように笑って、泣いて、怒って、喜んで……同じ音楽を聴いて、キレイって感じることもできるじゃねえか!」
もう、取り繕うことも考えていないのだろう。浩輝は、彼自身の言葉で一気に吐き出していく。
「あんたらみんな、同じ国の仲間じゃねえのかよ! 今までずっと、一緒にやってきたんじゃねえのかよ!? 変なもんに惑わされてねえで、どうでもいい線引きしてねえで、ちゃんと目の前の相手を見やがれってんだよ!!」
息を荒げ、浩輝は叫んだ。瑠奈と、飛鳥も前に出る。
「皆さん……お願い。思い出して下さい。少し前まで、みんな一緒だったことを。わたしの好きな、この国の本当の姿を……!」
飛鳥が放ったのは、その一言だけだった。だが、その中に込められた想いは計り知れない。一人の少女の、切なる願い。
……しばし、静寂が辺りを満たした。まさかこのような事が起こると思っていなかったのか、場はかなり混乱している。我に返ったのか、周りを見て鰐人、エドガーが叫ぶ。