幕間 歯車は交わる
昼過ぎの街中を、黒豹人、そして青虎人が歩いていた。
二人とも武装をしていることから、この国の住民でないことは想像できた。
今の世界では武器の携帯が基本的に認められている。人類の仇敵たるUDBは、どこから襲いかかってくるか分からないからだ。そもそも、規制できない超能力を誰もが持ってしまったこの世界で、武器だけを取り締まったところでどうにもならない。
それでも、治安の良いエルリアでは、こうして実際に武装した人物は稀だ。悪目立ちするというほどでもないが。
「良い国だな」
辺りの街中を眺め、黒豹がぽつりと呟く。青虎もそれに頷いた。
「ああ。安定した平穏……この国にはそれがある。まさしく、俺達の理想に近い」
「世界中がこうなれば、力など必要なくなるのだがな。まだ、そこに至るには時間がかかるだろう」
「そうだ。それは遠く険しい道で、すぐには叶わない。……それは奴にも分かっていただろうに、な」
「……ああ。だからあれは、短慮からの行動ではない。奴が何を考えたかは知らないが、導いた答えは明確だ。そして、そう簡単に曲げる男でもない」
黒豹の淡々とした言葉に、青虎も同意して頷く。それから彼は、ちらりと腰に下げた刀に目をやった。彼自身の武器である巨大な斧槍は、しっかりと背負っている。
「その、通りだな。奴は敵だ。だから俺は、逃げ出した奴を追撃して、奴からこれを奪った」
「そして、奴を逃がした、か?」
黒豹の試すような質問に、青虎人の表情がわずかに険しくなる。
「もし、そうだと言ったらどうするつもりだ? フェリオ」
「別にどうもしない、そういきり立つな。お前ならそうすることぐらい予想していたからな、シグルド」
フェリオと呼ばれた黒豹は肩をすくめてみせた。答えを聞く前から確信している、という言い種である。その反応に、シグルドも溜め息をついた。
「否定はしないのだな」
「俺だって、気付かれることは分かっていた。極刑も覚悟していたんだがな。……あの方からは、むしろ労われたよ。相手が奴では逃がしても仕方ない、気を落とすな、と」
実際のところ、シグルドには何の罰も無かった。彼の主は、追撃失敗の咎めすら言わないどころか、友の裏切りへの気遣いまで見せた。安堵する所だったのかもしれないが、本人は肩すかしを喰らった気分であった。
「はっきりとした証拠が無いからだろう。お前が自分から報告しない限り、刑を受けることはないと考えればいい」
「……上は分かっていて揉み消している、と?」
「そうだ。今、お前にまで抜けられる訳にはいかないからな。それに、あいつを逃がすためには、あれを使ったのだろう? ならば、その副作用が出ているはずだ」
「……お前の考えている通りだ。奴を無力化するにも丁度良かったからな。今の奴には文字通り、何もないはずだ」
「それでも油断はできない男だが、そのおかげで緊急性は大きく落ちる。仕方ない、とは、友を始末などできなくても仕方ない、という意味でもあるのではないか?」
「そうかも、しれないな。だが、それにしても、今回の指示は不自然だと思わないか」
シグルドも、自分の主がそういう人物であると知っている。それを前提としても、今回の彼らに下された指令は、異例のものであった。
「『銀月への対処は、個々の裁量に委ねる』……たったこれだけだ。お前の言うとおり、副作用を勘定してもあいつは大きな障害になり得る。それなのに、本気で対処する意思を感じない」
「まるであいつを泳がせろと言わんばかりとは思った。上にどのような考えがあるのかは、おれには予想しかできないが」
それは、裏切り者に対する処置としては有り得ない。ましてや、相手は自分達と同等の力を持っているのだ。
「シグは知っているんだろう? あいつがどこにいるのかを」
「あいつを跳ばしたのは俺だからな。だが、詳細な座標までは分からない。どこの国か、程度は把握しているが」
「いざとなれば特定は難しくない、か。この国か?」
「……それは」
「答えなくてもいい。ここでなくとも、平和な国に跳ばしたのは予想がつくし、そうなると絞るのは難しくない。もしかすると、上はすでに奴の居場所を正確に把握しているのかもしれない」
いつでも対処できるからこその放置であり、あわよくば何かに利用しようとしている。そう考えれば納得できた。ならば、後は他の者がどうしようとしているかだ。
「フェル。お前は、もし奴を見つけたらどうするつもりだ?」
「無害であるうちは特に何をすることもない。だが……記憶の有無に関わらず、邪魔になるようなら、始末する。奴のために、おれ達の理想を終わらせるつもりはない」
フェリオの言葉に偽りがない事を、シグルドは知っている。障害になるのならば、昨日までの友を殺す事もやってのけるほど、彼の理想への執着心は強いことを。だが、その一方で、決して非情な男でもない。
「心配するな。おれだって、あいつを殺すことなど、できる限り避けたいと思う。そして、お前が取った行動を裏切りとも思っていない。……おれにとっても、あいつは大事な親友だったからな」
そう呟いた黒豹は、ほんの少しだけ尾を落とした。その仕草で、彼も本当はかなり気落ちしているのがシグルドには伝わった。
「いずれにせよ、ひとつ言っておく。仮にあいつがこれから障害になったとしても、それはシグの責任ではない。抱え込んでお前まで潰れたりするなよ?」
「……すまない」
「そんな顔をするな。友を信頼するのは、当然だ」
基本的に感情論を好まない友人の、そんな慰め。シグルドの表情が、少しだけ安堵に緩んだ。
「それでいい。……おれはこのまま目的地に向かおう。お前はどうする? まだ時間はあるが」
「俺は、そうだな。少し、街を見ていくつもりだ」
「そうか。では、現地で合流しよう。遅れるなよ」
そう言い残すと、フェリオは人混みの中へ消えていった。
彼の言葉が思っていた以上に支えとなったようで、シグルドの表情は明るくなっていた。もっとも、素が素なので、実際はかなり仏頂面に映るのだが。
「………………」
整った交通制度。安定した福祉。豊かな暮らし。山奥や田舎などには危険度の高くないUDBはまだ存在するが、それでも危険などほとんど存在しない国、エルリア。
街を見ると言っても、何かをするわけではない。ただ、この街を目に焼き付けておきたかった。いずれはこの風景を世界に広めるのだと、そのために自分達がいるのだと、再認識するために。そう自分に言い聞かせるために。
電話が鳴ったのは、少し歩いてからだ。相手の名前を確認してから、通話を開始する。
「どうした?」
『どうも、シグルドさん。もうエルリアには着きました?』
電話の向こうから聞こえてきたのは、あの時に共にいた少年のものだ。
「ああ。今は、お前の学校からさほど遠くない場所にいる」
『そうなんですか? あ、今はお一人ですか?』
「そうだ。たった今、フェリオと別れたところだ」
『ああ、どうやら、丁度良かったみたいですね』
「…………?」
『今日は授業も終わったので、良ければ今から合流しましょう。周りにはどんな建物があります?』
「……目の前に、図書館があるな」
『それなら5分ぐらいで着きます。すみませんが、少し待っていてください』
やや気になる言い回しはあったが、直接聞けばいいだろうとそのまま通話を切る。
周囲を観察しながら少しだけ待つと、宣言通りに5分ほどで、少年の姿が見えた。明るいブラウンの毛並みを持つ、少女のように小柄な犬の少年。その手にはクレープを持っていた。
「お待たせしました、シグルドさん! さっそくですけど、これどうぞ」
「ああ。どうしたんだ、それは?」
「差し入れですよ。この近所にあるお店なんですけど、すごく人気なんです。甘いものは大丈夫でしたよね?」
言いつつ、差し出してくる。受け取ってかじりつくと、チョコレートの甘みとバナナのほのかな酸味が口の中でほどよく混ざりあった。
「……うまいな」
「でしょう? よく友達と食べながら帰るんです。今回、エルリアに集まるってことで、是非とも皆さんに食べてもらいたくて」
「そうか。……そのために呼んだのか? ルッカ」
そう問いかけると、少年は――ルッカ・ファルクラムは――苦笑した。
「さすがにそれだけであなたを呼びつける度胸はないですって。怒られて凍らされるのは嫌ですし」
「別に怒りはしないが。良いものも食えたからな」
あまり口に出すことはないが、甘いものはむしろ好きだった。久方ぶりに過ごした心の休まる時間に、いつもより穏やかな表情と声音で返答する。が、
「シグルドさんのそんな顔見るのは珍しいですね? 明日、猛吹雪にでもなるんじゃないでしょうか」
などという失言に、一瞬で仏頂面に戻る。
「お望みなら降らしてやろうか。お前の頭上にだけ」
「う。怒らないで下さいよ、冗談ですって。シャレになりませんから、あなたの場合」
「……まったく」
尻尾を巻いたルッカに肩をすくめながら、またクレープをかじる。ルッカも荷物から自分のぶんを取り出して、幸せそうな顔を浮かべながら食べ始めた。
「改まって聞いたこともなかったが、ここでの暮らしはどうだ、ルッカ」
「楽しいですよ、すごくね。友達もいっぱいいますし、高校生を満喫させてもらってます」
「それは何よりだ。だが、制服は似合わんな。何と言うべきか、無理をして兄の服を着た小学生という感じがする」
「!? ひ、酷いです!」
「失言の仕返しだ」
「どうせシグルドさんみたいな長身イケメンには一生分からない悩みですよぉ……!」
涙目でクレープをやけ食いするルッカに、溜め息をつくシグルド。端から見れば、種族こそ違えど兄と弟のようでもあり、実際にルッカはシグルドやフェリオからは弟のように気をかけられている。
だが、彼の立場はシグルドと同等だ。
「それで、何か俺に話したいことがあるのではないのか?」
そろそろ本題に入るべきだろうと、そう投げ掛ける。ルッカはほおばっていたクレープを一気に飲み込んだ。
「本当は、即座に全員に伝えるべきなんでしょうけどね。でも、僕にも裁量権がありますので、まずはあなたに相談するべきだと判断しました」
訝しげな表情をするシグルドに、笑顔を消しながらルッカは告げた。それはクラスで愛されるマスコットのルッカには似つかわしくない、しかしシグルドからすれば見慣れた顔。
「単刀直入に言いますよ。――あの人を、見付けました」