怒りの咆哮、狂気の依代
「ザック……お前たち、何をしている?」
「退いてくださいよ、空さん! その男は、殺さなくちゃいけないんだ!!」
空がザックと呼んだ犬人は、両手で広刃の剣を構えている。後ろの馬人と竜人の武器は、共にハンドガンだ。
「まさか、あなた達が襲撃を仕掛けてくるとはね。ネロを別件に回したのは間違いでしたか」
「予想外、だと? 獣人は皆が、貴様を殺したいと思っている! その機会を持った俺たちが、全ての者の感情を背負ったのだ!」
「怒りが限界を超えた結果ですか。ですが、レイルさんを殺してしまえば、この国はより深い泥沼にはまりますよ?」
「黙れよ人間。レイルだけじゃない、オレ達はお前ら全員許さない……!」
「その通りだ。邪魔をするのならば、お前もここで死ね!」
人間の話は、聞く価値すらないと言った雰囲気だ。唯一の獣人である空は、非常に険しい顔をしている。
「止めろ、ザック。お前は、こんな早まった真似をする阿呆ではないだろう」
「早まった? 遅すぎるぐらいっすよ! こいつを放っておいてから、この国はこんなことになった! 一刻も早く、こんな野郎は……そうだ、こんな野郎は、殺さなきゃいけない!!」
「それでは、この国を陥れようとする者の思う壺だろうが。目を覚ませ、ザック。お前は……」
「ゴチャゴチャした話はどうでもいい! この先に何が起こるかなんて知るかよ! 黒幕って奴らが何かを企んでたとして、悪は全部そっちか? そんな訳の分からない連中より、そいつがオレ達を虐げてる事実のがはっきりしてるじゃないか!こいつのために傷付いた人がどれだけいるか、あんたも知ってるだろう!?」
そう一気にまくしたてる犬人は、まともな思考を残しているようには見えない。残る二人も同様だ。レイルへの剥き出しの殺意が、私にまで伝わってくる。いや、人間である私も殺意の対象なのだから当然か。
「こんな短慮な男ではないはずなんだがな。いったい、何があった?」
「いずれにせよ、話が通じる状態ではなさそうです。一度大人しくさせるしかないでしょう」
「やむを得んか。ジン、お前はザックを止めろ。容赦はしなくていいぞ」
「了解です」
空は拳銃を抜き、私はPSを始動させる。犬人の目が、より一層の熱を宿した。
「……そうっすか。空さんは、そいつの味方をするんっすね」
「誰の味方だとか言う話ではない。得体の知れない何かに踊らされるがままに、互いに報復を繰り返した結果、この国はここまで追い込まれたんだ。お前たちだって、それを見てきたんじゃないのか」
「だったら、やられてもそのまま耐えろと……? そうして一方的に蹂躙され、いずれは殺されるとしても放置しろと!? そう言うのか、あんたは!」
「されるがままになれとは言っていない。刃を向ける先を考えろと言っている。そもそも、報復とは当事者同士でのみ成り立つ話だ。無関係の者が無関係の相手に武器を振るったところで、新たな憎しみ以外の何を生む? 訳の分からぬままに武器を振り回して、犠牲を増やして……それでは駄目だろうが」
「そうだよ、犠牲を増やしたくないんだ! だからこそ……オレ達は立ち上がらなきゃいけない! 刃を向ける先? その男は、人間たあちは、間違いなく討つべき相手だろうが! そいつらが力を振るうなら、オレ達はそれ以上の力でそれを押さえつけてやるだけだ!」
「……それが新たな報復の呼び水になったとしてもか。お前たちの行動が、間接的に獣人すらも傷付けることになるとなぜ分からない、阿呆共が!」
会話が成り立たなくなってきた。珍しく熱のこもった空の言葉は、残念ながら襲ってきた三人には届いていないようだ。
「分かったよ、上等だ。あんたも……人間の味方をする奴は、みんな敵だ。そう、人間は敵……みんな、遠慮は必要ねえぜ! 敵は、全部殺してやれ!!」
そう叫びを上げて、ザックと呼ばれた男は剣を振り上げて一気に飛びかかってきた。私は、既に準備してあったPSを本格的に発動させる。
私が武器とするのは、右腕に仕込んであるチェーンウィップ〈アンタレス〉。先端には鋭い刃が取り付けられており、並の防具程度ならばものともしない。制御を行っているのは私のPSであり、普通の鞭以上に細かな動きも可能とする。
鎖鞭を射出して、刃でザックの剣を止める。彼は舌打ちすると、鎖をかいくぐって私の懐へと潜り込もうとしてきた。無論、私もそれを許さず、連続で鎖を振るい迎え撃つ。なるほど、確かに良い腕を持っていますね。
残った二人は、まずは邪魔者を排除するつもりなのか、空に銃口を向けている。とは言え、やはり彼が獣人であるからか、相手もすぐに撃ちはしなかった。
「神藤 空! これが最後の通告だ。我らの邪魔をするな!」
「そうはいかん。ついでにこちらからも警告しておくが……無謀な事は止め、銃を捨てろ。俺も、あまりお前たちを撃ちたくはない」
「人間側に立っておいて、何を! 退かないんなら、覚悟は良いな!?」
「裏切り者が、人間と一緒にくたばれ!!」
そして、獣人としての仲間意識すらすぐに限界を迎えたようだ。二人の男たちは、空に向かってそれぞれ数発、一気に引き金を引いていった。真っ直ぐに、空へと飛来する銃弾。
だが、それらは一発たりとも空に届く事は無かった。
何故ならば――目にも止まらぬ早さで、空の銃撃が一発残らずそれらを撃ち落としてしまったからだ。
「……は……?」
さすがに想定外の対応だったのか、男たちは呆けたような声を出す。空は、発砲されたにも関わらず、慌てる素振りなどない。
「撃ちたくはない……が、自分の意思で銃口を向けた以上、これは戦いだ。お前たちこそ、覚悟は良いんだろうな?」
二人は焦りを見せながらも、空に向かって乱射を続ける。護衛に選ばれただけあり、狙いもコンビネーションも確かなものだ。しかし、やはり彼らの弾は全て迎撃されていく。空は回避する素振りすら見せていない。
「残念だが、俺には全て見えている。俺のPSを知っていながら、二人だけで抜けると判断したというならば、俺も舐められたものだ」
「な、なんだと……!?」
「それとも、ザックは俺のPSを伝えすらしていなかったか? だとすれば、本当に勢い任せなんだな」
空のPS〈観測者の目〉。視覚と反応が強化される事により、針の穴を通すような正確な銃撃を可能にする力。
それだけ聞くと、単純な強化能力にしか感じないかもしれない。しかし、『昇華』を果たした後も重ねて修練を続けている彼の力は、並外れた域にまで高められており、そこいらの特殊系PSよりもよほど異能と呼べる次元にある。
本人によると、こうも言い換えられるそうだ。感覚が研ぎ澄まされすぎて、全てがスローモーションに見えるようになる力――と。
浩輝のように時間そのものを操る訳ではないので、あくまでも空自身は普段通りの素早さでしか動けないが、空はPS抜きでもトップクラスの技量を持った早撃ちの名手である。
加えて、彼が今使っている銃〈ハウンドドッグ〉は、一対多数の銃撃戦を見越して、通常のハンドガンの二倍以上の装弾が可能なように改造されてある。二人程度の銃撃で突破出来るものではない。だからこそ、私も一切の不安を持たずにこちらを引き受けた。
「くそ! とにかく撃ち続けるぞ!」
相手はまだ無駄だと言う事が分からないらしい。いや、分かっていても後には退けないのか。
「まだ向かってくるならば、少々面倒だが教えてやろう。あの地獄を戦って生き抜いたのは、ただの運だけでは無いとな」
英雄にこそ数えられていないが、それは彼が中央戦線に参加していなかっただけ。彼も闇の門を戦い抜き、生き延びた男の一人だ。いかに相手がそれなりの実力を持っていたとしても、二対一程度の戦力差では、結果は最初から見えているようなものだった。
「……ああ、そうだ。言い忘れていたが、レイル。俺たちがお前を護り抜いたなら……少しは、先の話を前向きに考えてくれよ?」
「…………」
レイルは、それには返答しなかった。襲撃を受けた今でも彼は平然としていたが、ただ何かを考えてはいるようだ。
二人が放つ銃弾を、空は寸分の狂いもなく撃ち落としていく。そして、その上を行くスピードで相手に銃弾を浴びせた。それぞれ片足を撃ち抜かれて、男たちが悲鳴を上げている。もっとも、あれでも彼はまだ本気ではないですが。
「ちっ、オレがとっとと片付けて援護に回るしかねえか……!」
「ほう。私ならば簡単に倒せる、と? 甘く見られたものだ」
「人間の優男ごときが、元とは言えプロの傭兵に勝とうってんなら、そっちのがよほど甘く見てんだよ!」
一方こちらでは、私が振るう鎖をザックが的確にその剣で払っていく。シューラの側近なだけあり、他の二人と比較すれば段違いである。少しずつ、距離が詰められていく。
いずれにせよ、私とてそう気を抜ける相手でもなさそうだ。ならば私は、彼の状態を最大限に活用させてもらうとしよう。
「なるほど、確かにその鎖は厄介だが、この程度の相手ならいくらだって戦ってきてんだよ!」
「感情が昂っているにしても、戦いながらよく喋る方だ。舌先だけが動くのは、二流の証拠ですよ?」
「……てめえ、上等だ。なら、その二流に今から負けるてめえは三流って事だな!」
私の言葉により怒りを強めた様子の犬人の剣が、橙色の光を放ち始める。どうやら、彼もPSを発動させたようである。
「おらあぁっ!」
剣が叩きつけられると同時に、光が弾ける。そして、凄まじい衝撃が鎖を通じて私まで伝わってきた。
それで体勢を崩すようなことはなかったものの、鎖鞭が大きく揺らぐ。
「どうだよ、オレの〈圧縮壊撃〉の味は!」
「衝撃の増幅……シンプルゆえに厄介とも言えますか」
「はっ、小細工なんて性に合わねえんでな! そのよく動く鎖ごと叩き斬ってやるよ!」
そうした応酬を続けながらも、ザックは剣を振るいながらさらなる接近を試みてくる。その間にも、剣には再び光が集まっていく。なるほど、溜めた力の解放タイミングは任意かつ、特に動きを止める必要もないようだ。小回りが利く、堅実な能力である。
「溜めれば溜めるほど、こいつの威力は上がる。お前ご自慢の鎖が、どこまで凌げるか試してやるぜ!」
「解説までつけていただき、ありがとうございます。自らの手の内を明かしていくとは、ずいぶんとお優しいことですね?」
「……てめえ、本当に気に食わねえな。レイルと同じ、どこまでも上から見てきやがって!」
衝撃を受け流すように剣をいなす。この威力であれば、あまり真っ向から受け止めたくはありませんね。
もっとも、そんな評価を表に出してあげるつもりはありませんが。
「しかし、どこまで凌げるか、ですか。やれやれ、勘違いも甚だしいですねえ」
「なんだと?」
「私の武器は特別製ですので。あなたの安っぽい能力で断ち切れるかどうか、どうぞお試しください?」
「……だったら、身をもって思い知りやがれ優男がぁ!!」
我ながら嫌味に笑って挑発すると、再び剣に光が集まる。感情の昂りのためか、先ほどよりも溜まるのが早い。そして、まるで何も見えていないかのような勢いで突撃してくる。
私は彼に向かい、横薙ぎの形で鎖を振るった。猪突猛進に見えてもそこは経験値の多さか、ザックは軽やかなステップでそれを避ける。鎖の射程をしっかりと見切り、必要以上に距離を開かない。熟練の動きだ。
――まったく、本当に……素直で助かりますね。
「……な!?」
完璧な見切りをしたはずの犬人の利き腕に、鎖が巻き付いていく。ザックが慌てたところで、もう遅い。
「さて。せっかくですので、あなたに倣って解説でもさせていただきましょうか?」
鎖はそのまま、彼の剣を絡めとる。そのまま抵抗もむなしく、彼の両腕、両足、そして胴まで、その全てを私の鎖が締め付けた。
急な事態に、ザックは思考が追い付いていないようだった。それはそうだろう。完璧に見切ったはずなのに、私の武器が急に伸びたのだから。
「私のPS〈無形幻鉄〉は、確かにあなたの言う通り、物質を操作する能力です。が、それと同時に物質を変形させる能力でもありましてね。最も得意とするのは、質量の増加です」
「…………!」
「と言っても、金属にしか使えませんがね。ですが、増加させる方向であれば、割と面白い芸当も出来ますよ。例えば……こういうのはどうでしょうかね?」
彼に巻いたままの鎖を、もう少しだけ伸ばす。その先端が、二又に分かれた。そして、蛇のようにしなったアンタレスの向かう先は、空にあしらわれていた残る二人の元。
「うわっ!?」
不意打ちに全く対処できない彼らに、素早く鎖を巻き付けて、一気に拘束していく。あっという間に、縛られた哀れな男たちの完成だ。
空にアシストも不要でしょうが、これもパフォーマンスというものです。
「と、まあ、このように複数人をまとめて拘束することも可能です。ギルドの仕事に向いた、実に便利な能力なのですよ」
私の力、その本質を見抜かないままに、彼は突っ込んできた。自分の力には裏がないことを示した上で。
もちろん、それがブラフだった場合の備えはしていましたがね。
「もしもあなたが冷静ならば、あるいは結果が変わっていたかもしれませんが。素直に挑発に乗ってくれてありがとうございます、経験豊富な元傭兵さん?」
「て、てめえぇ……!!」
戦いでの過度な興奮は、判断を誤らせる要因にしかならない。いかなる時でも冷静に事態を判断する……それが最も大事と言っても、過言ではありません。
今の彼は、完全に頭に血を登らせていた。挑発がここまで効果覿面であれば、いかに熟練の傭兵であろうと、あしらうのはさほど難しくありませんでしたね。
「相変わらずの見事な手際だな、ジン」
「はは。あなたの精密射撃にはとても叶いませんよ」
「この野郎、離しやがれ……がっ、ぐあああぁっ!」
「諦めなさい。あなた達は失敗したんですよ。ここが戦場ならば、私はとっくにあなた達を絞め殺すか、串刺しにしていましたよ?」
戦意を削ぐために脅しながら、少しだけ鎖に力を込める。痛みに苦しむザックだが、しかし抵抗は叶わない。それでも、彼の目から戦意が消えた様子は全く無かった。
「く……邪魔、するんじゃねえ……! オレは、オレはレイルを……殺す……そうだ、殺さなくちゃいけねえんだよおぉ!!」
「暴れないで下さい。抵抗されれば、それだけ強く締め上げなければならなくなる」
「うるさい、黙れ、見下すな!! 人間なんか、人間なんか……うああああぁ!!」
酷い錯乱状態だ。いかに激しい恨みを抱いていたとは言え、ここまで理性を吹き飛ばしてしまうとは。あまり危害を加えたくはないのですが、締め上げて気絶させる方が良さそうですね。
「ジン!」
「……む?」
私が彼の首に鎖を巻き付けようとしたところで、部屋にさらなる乱入者が飛び込んできた。と言っても、今度は私の聞き慣れている声でしたが。
「ガルフレアですか。よく騒ぎに気付きましたね?」
「話は後だ。彼が下げている首飾り……あれを壊すんだ!」
「首飾り?」
言われて、確認してみる。確かに、犬人の首には青い宝石のようなものをあしらった首飾りがかけられていた。
しかし、それが今の状況と何の関係があると言うのだろうか。ガルフレアの性格とその真剣な声音を考えれば、意味があるのでしょうが……いずれにせよ、暴れている相手の装飾品だけを狙うとなれば、さすがに少し難しい。
「よく分からんが、直接ぶん取るほうが確実だな。ジン、しっかり押さえておけよ」
空は素早くザックに接近すると、抵抗する彼から強引に首飾りを取り外した。
そのまま、それを宙に放り投げると、銃口を向ける。次の瞬間には、銃声と共に青い宝石は粉々に砕け散っていた。
そして、変化はすぐに訪れた。
「殺す……人間、は、みんな……殺す……?」
「……ザック?」
「オレ、いったい、何を言って……」
鎖越しに伝わっていた抵抗の力が、見る間に弱まっていった。ザックは私の鎖に巻かれたまま、しばらく呆然としていたが、そのうち彼の顔は、何かに恐怖するような表情に移り変わっていく。
「お、オレ……どうして、こんな……な、何てことを、しようとしてたんだ……?」
拘束したままの犬人の声には、先ほどまであった狂気は、一片たりとも残っていなかった。彼はただ、酷く怯えて震えるだけだ。
残る二人は未だに殺意を宿していたが……その時には私も、彼らがザックと全く同じ首飾りを着けていることに気付いていた。