響く笛の音
その日の夜。
他の首都のメンバーが到着したため、ブラントゥールで合流することになった。
今は夕食を取りつつ、情報の整理と今後の話し合いを行っている。本格的な活動を行うのは明日からだ。時間はあまり残されてはいないが、焦っても解決の糸口など見えないだろう。
「そうか。東も西も、色々とあったようだな」
「ああ、本当に色々と焦ったぜ。よりによってどっかのバカが指名されちまうし、その後もどっかのバカが先走って突撃するし」
「おいコラ表に出やがれクソトカゲ」
うなり声を上げる浩輝の左隣には、狐人の少女が座っている。
「でも……浩輝くんが助けに来てくれて、わたしは嬉しかったから……」
「……そ、そうか?」
「にやけている所を悪いが、先走った事は反省しろよ」
「なっ!? な、何を言ってんすか先生! オレは別ににやけてなんか……あ、違うっす! 違うんすからね空さん!」
「ほう……何がだ?」
あたふたとする姿は、何と言うべきか……非常に分かりやすいな。彼女は空の娘と言う話だが、空は少し面白そうにその様子を眺めている。
「とにかく、飛鳥にはこれから、お前たちと一緒に活動してもらう。同年代が多いのもある、仲良くしてやってくれ」
「は、はい、こちらからもよろしくっす!」
「コウ、声が裏返ってるぞ……」
「ったく、ガキだねえ。けど飛鳥ちゃん、ホント可愛くなったな~。これからしばらく、よろしく頼むぜっ!」
「ああ、言い忘れていたが、アトラは半径5メートル以内に近寄るな」
「うぉい!?」
「もう、お父さん……。あ、その……皆さん、これからお世話になります。わたしに出来ることがあれば、何でもやらせてください」
かなり控え目で大人しい子のようだな。空とはだいぶ印象が違う……と言えば失礼だろうが。
「で、西は……やはり、レイルは曲者だったか」
「ええ、思った以上に。全く、どこからうちのギルドの情報まで仕入れたやら」
ジンでも簡単に行かなかったとなれば、レイルの真意を探るのは、かなり骨が折れる調査になりそうか。
「大丈夫だったか、瑠奈?」
「うん……私は特に何もしてないしね。話を聞いてて……ちょっと疲れはしたけど」
……先ほどから、彼女には少し元気が無い。コニィとイリアも疲れたような顔をしている。何かがあったのか……だが、本人たちが語らない以上、聞かないほうが良いと思う。
落ち込んでいる彼女に何も出来ない事は……少しばかり、歯がゆいがな。何とか、気分転換させられないだろうか。
「あ、そう言えばさ。いきなりだけど、飛鳥って今でもあれを持ち歩いてるの?」
「あれ?」
「うん。昔、よく笛を吹いてたでしょ? あれだよ」
「あ……」
フィオの質問に、飛鳥は合点がいったように、自身の荷物を探し始める。少し待つと、少女はそこから何かを取り出した。
それは、フィオの言っていた通り、美しい白銀色の笛だった。長さは40センチ程で、見た目はフルートの系統に近い。
「そう、それだよ。えっと……何て言う名前だっけ。コンポート、みたいな」
「コルカート、だよ。アガルトの伝統楽器なの」
コルカート……以前、本で見た事がある。実物を見るのは初めてだな。
「飛鳥、せっかくだしちょっと吹いてもらったりできない?」
「え? ……えっと。ここで、大丈夫かな……?」
周りには、ブラントゥールに務める他の人もいる。それを気にしてか、彼女は周囲にせわしなく目線を泳がせている。
「ダリスは好きに使って良いと言っていたからな。その程度で咎められはせんさ」
「私も、久しぶりに聴いてみたいわ」
「あ、俺も聴きたい!」
「……じゃあ……少しだけ」
父や周りの言葉に、飛鳥は少し躊躇いがちに、笛をゆっくりと構えた。
一度だけ、大きく深呼吸をする少女。そして……彼女の表情が、真剣なものに変わった。
その音色が流れ始めると、皆が……俺達だけでなく、食堂にいた誰もが、他の動きの一切を中断した。
誰かに強制された訳でもない。ただ単に……全員が聞き入っているのだ。
これは……透き通るような、美しい音色だな。
澄みきった音を奏でる笛の上を、少女の指が舞う。まるで笛と一体になっているかのような錯覚を覚えるほど、その指使いは正確だ。
彼女の紡ぐ曲を、一言で現すと……優しい。穏やかで、包み込んでくれるような……だけど、どこか寂しさも含んでいるような、そんな静かなメロディー。
陳腐な表現かもしれないが……心に、直接響いてくるようだ。自分の感情までもが、曲と一体になって揺れ動いている気分にすらなる。
俺はその演奏が終わるまで目を閉じて、ただ流れてくる音色にだけ、全ての感覚を委ねることにした。
演奏は一分ほどだっただろうか。彼女が笛をテーブルの上に置くと、周囲で演奏を聴いていたブラントゥールの人たちからも、一斉に拍手が巻き起こった。自分が注目を集めていたせいか、飛鳥は少し身を縮める。
「す……すみません。うるさくしちゃって」
「謝る必要は無いでしょ。飛鳥の演奏、みんな喜んでくれてるわよ?」
「そうだね。本当に良い曲だったよ。そうじゃなかったら、みんなあんなに真剣に聴かないって」
美久とフィオの言う通りだろう。今の演奏は、みんなを満足させるには十分だろう。
瑠奈の表情も、先ほどより少し明るく見える。さすがに完全に、とはいかないが……気は紛れたようだな。
「ところで飛鳥、今の曲って……」
「えっと……元は『月の雫』って歌なの。わたしが昔から好きな曲なんだけど……」
「……音で心が動くというのは、不思議な体験」
「それが良い音楽と言うものですよ、フィーネ」
「その楽器、コルカートだったかしら? それも良い楽器みたいね」
「うん……」
コニィに笛を誉められると、飛鳥は嬉しそうに微笑んだ。それだけあれを大切にしているのだろう。
「けど、羨ましいわよね。私もそういう楽器とか使えるようになってみたいわ」
「何言ってやがんだ。ガサツなお前には全く似合わねえだろ」
「何ですってえ!?」
「ケ、ケンカは止めてください……」
「お前たち、ここはギルドじゃないんだぞ。少し大人しくしないか」
「懐かしいね、こういうやり取りも。相変わらず仲が良いんだね、二人とも」
「良くない!」「良くねえよ!」
「……息ピッタリじゃないか」
「あはは。何だか、あたしも戻って来たんだな、って気分かな。いや、みんながこっちに来てるんだけどさ」
そんな会話の中、ふと気が付くと、フィーネの視線がコルカートに釘付けになったままだった。飛鳥もそれに気付いたらしい。
「良かったら、少し吹いてみますか?」
「……良いの?」
「はい、もちろん。興味を持ってもらえるのは嬉しいですから」
フィーネの目が少し輝いた……気がする。飛鳥は吹き口の部分だけを軽く布で拭うと、フィーネに手渡す。心なしか彼女も嬉しそうに見える。
フィーネはゆっくりと笛を口のところに持っていく。そして……。
「…………?」
数秒の沈黙。フィーネは笛を持ったまま首を傾げている。その様子を見る限り、どうやら、音が鳴らないようだ。
「笛を吹くには、少しコツがいるんです。特にコルカートはちょっとクセがあるから……」
「どうすればいい?」
「自分の口で、音が出るように吹き口を作ってあげればいいんです。こうして……」
飛鳥がフィーネにレクチャーを行っていき、フィーネはそれに倣って試行錯誤をしていく。……少し待つと、小さな音が聴こえ始めた……本当に小さい、掠れたような音だが。
種族が違うとまず口の形が違うから、というのもあるだろうが、笛の類いは難易度が高いものも多いからな。
「……難しい」
「音は鳴っていますから、少し練習すればつかめると思います。もし興味があるなら、わたしの出来る範囲で教えていきますけど」
「それならば、空いている時間にでも……お願いしたい」
フィーネは頷きつつ、飛鳥にコルカートを返す。音楽に強く惹かれているのを見ると、彼女もやはり女性だな。
飛鳥も、音楽の話になってから、少し元気になっているようだ。それだけ音楽が好きなのだろうな。
と、その時。少し遠慮がちに、一人の少年が立ち上がった。
「良かったら、オレにも吹かせてくれねえか」
「浩輝くん?」
飛鳥は吹き口を拭き取りながら、少し意外そうな表情を見せている。意外だと思ったのは、俺も同じだが。
「あ、お前、間接キスでも狙ってやがるんだろ! このマセガキ!」
「……アトラじゃあるまいし」
「万年発情しているあなたと周りを一緒にしないで下さい」
「もしもお前が同じ事を言っていたら、その頭を撃ち抜いていたがな」
「ホント、発想が下品よね」
「仕方ねえだろ美久。だってアトラだし」
「そうだね、アトラだからね」
「テメェら、俺様を何だと思ってやがんだ!?」
アトラが入れたヤジは、完全に本人に跳ね返ることになった。自業自得というやつだがな。
一方、浩輝は特に動じることもなく、表情は割と真剣だ。
「ダメかな?」
「ううん、良いよ。はい」
笛を受け取ると、浩輝はどこか神妙な面持ちでそれを眺めてから、ゆっくりと自分の口に近付けていった。アトラはまだ、色々とわめき散らしていたが。
浩輝の持つ笛が奏でた軽快な音色に、他の雑音は止まった。
「…………え?」
「…………。なるほど、こうすりゃこうで、それならこっちは……よし。これなら、いけそうだ」
余程予想外だったのか、呆けた声を出すアトラ。驚いているのは、瑠奈たちと誠司以外のみんなだが。
浩輝は何度か試すように音を鳴らしてから、何かを心得たように小さく頷いた。そして、コルカートが本格的に一つの曲を奏で始めた。
「ほう……?」
「この曲……」
それが何かに気付いた者が、順に声を上げていく。1、2分前のことだ、間違えようもない。『月の雫』だ。
だが、同じメロディーのはずなのに、どこか印象が違う。静かで物寂しい曲なのは確かだが、その中に前向きで明るい雰囲気があるように感じられた。音の一つ一つが、力強い。
浩輝の指は、まるで使いなれた楽器を使っているように、滑らかに動いている。先ほどの飛鳥と寸分違わず……その様は、普段の彼の印象を覆してしまいそうなほど、見事なものだった。
俺は気が付くと、その演奏に再び聞き入っていた。曲そのものの美しさを堪能すると共に、飛鳥との違いを感じるべく耳を澄ませる……そうしていると、演奏はあっという間に感じられるほど早く終わってしまった。