国を愛する者
中央首都ブラキア。
国際的なこの国の正式な首都であり、事実としても、三首都の中で最大の規模を有する都市。
街を治めるダリス・ボゼックの善政により、治安や生活水準はこの国で最も良く、活気に溢れた明るい街……だったらしい。
「………………」
街中を視察しながら歩く俺たち。人間も獣人もせわしなく歩いていく大通りの風景。
一見すると、平和は保たれているようにも見える。だが……街全体がどことなく剣呑な空気に包まれているのは、肌で感じていた。
「……やーな空気だぜ」
「この街は、二つの首都に挟まれている。その東と西の首都が争う準備をしている以上、その余波は避けられんだろう」
「人間も獣人も、普通に生活してるように見えるんだけどね」
「表立って行動しているのは、まだ若い連中を中心とした過激派だけだからな。だが、互いの感情が悪化しているのは確かだが」
ちなみに、フィオは帽子をかぶった上で長袖の服を着ており、露出を極力避けている。たまに疑問視している様子の通行人はいたが、街中をUDBが歩いているなどと、普通は思わないだろうからな。
「まさしく、そこかしこで火種がくすぶった状態か。どこかで点火すれば、止めるのは難しい」
「ああ。そして、俺たちの予想が正しければ、それに乗じてやって来る奴らがいるわけだ」
そうなれば、犠牲は避けられない。絶対に、阻止しなければならない。
「三柱会議が開かれるのは、来週だったな?」
「ああ。できるならばそれまでに、黒幕をあぶり出しておきたい」
仮に会議が上手くいかなかった場合でも、時間稼ぎにはなる。その間に事件の真相を突き止める……それが、俺たちの仕事だ。
「もっとも、まずは会議を開けるように、三柱の説得を行わねば話にならんがな。東と西が素直に頷いてくれていることを祈るばかりだ」
「あいつらなら大丈夫さ、上手くやってくれる。俺たちは、自分のやるべき事に集中しよう」
そう言いつつ、ウェアは目の前の建物を見上げる。全長100メートルにも及ぶ、純白の建物。
「でっけえな……こいつが?」
「この国のランドマークにして中央柱宮。通称『ブラントゥール』だ。行くぞ……ダリスが待っている」
そのまま歩いていく空を先頭にして、俺たちはその白い塔の中に足を踏み入れていった。
ブラントゥールの中に入った俺たちは、案内されるままに、最上階へと向かうエレベーターに乗った。
最上階にたどり着くと、そのまま奥へと進む。そして、最奥にある扉の前まで歩くと、空が特に躊躇いもなくそれをノックした。
「ギルド〈大鷲〉より、会談に参りました」
「ええ、お待ちしていました。どうぞ、そのまま入ってきてください」
返ってきたのは、優しげな男性の声。空は返答を聞くとすぐにドアを開き、中へ入っていく。俺たちもそれに続いた。
部屋の中は綺麗に整理されており、端のほうには書類がまとめられた棚がある。他にも仕事に必要のなさそうなものは置かれておらず、いかにも執務室と言った様相だ。
そして、中央の机に座っていた人物が、俺たちの来訪にゆっくりと立ち上がる。
写真と違わない、穏やかな笑みを浮かべた鹿人の男性。年齢は50代ほどだろう。体毛は薄い灰色で、顎の部分は若干長くなっている。白いスーツに身を包んだその出で立ちには、まだ衰えは見えていない。
「本日はわざわざお越しいただき、ありがとうございます。私がこのブラキアで柱を勤めさせていただいている、ダリス・ボゼックと申します」
礼儀正しく、紳士的な振る舞いを崩さずに頭を下げてきた男性……ダリス主柱に、俺達も揃って会釈する。そのまま、空とウェアが前に出て、代表の挨拶を始める。
「バストールより参りました、ギルド〈赤牙〉のギルドマスター、ウェアルド・アクティアスです。本日は、会談の補佐をさせていただきます」
「ギルド〈大鷲〉のギルドマスター、神藤 空です。……ところで、今日は形式ばった挨拶の必要はあるか? 爺さん」
「……って、おい、空!?」
空が途中であまりに砕けた口調になったため、慌てたアトラが思わず口を開く。他の面子も、俺を含めてさすがに驚いてしまった。
「心配するな、この爺さんはこんなので機嫌を損ねるような人じゃない。あまり真面目な口上を入れていると、肩が凝っちまうんでな」
「ふふ、相変わらずのようですね、空君。元気にしていましたか?」
「まあ、ぼちぼちだな。あんたこそ、今回の件で大変だろうが、大事はないか?」
「疲れたなどと言っている場合ではありませんからね。状況は、日に日に悪化していますから」
空の言葉に、ダリスは友好的な態度を崩さないまま答えていく。俺たちは、少しばかり置いてけぼりにされた気分だ。
「もしかして空、ダリスさんと面識があったの?」
「以前、依頼で彼の護衛をしたことがあってな。それ以来、個人的な依頼をうちに届けてくれるようになった」
「あの時には御世話になりましたね。それに今回の件も、積極的に協力してくれて……感謝しています」
「そういう前情報は、きちんと教えとけよ!」
「話していて何かが変わったわけでもないだろう? 必要のない事柄をいちいち説明するのは面倒なんでな」
そんな空の言葉に、ウェアが小さく息を吐いた。「そういえばお前はそういう奴だったな……」と、若干の呆れ顔で呟いている。
「皆さんも、楽にしていただいて構いません。今日は腹を割った話をするために、この部屋にお呼びしたのですからね」
そう言いながらダリスは扉の方まで歩いていき、鍵をかける。……護衛の一人もつけていないのは、話を外に漏らさないためか。だがそれは、こちらへの警戒心のなさの表れでもある。空のことを、よほど信頼しているのだろう。
「皆さんも、この街の現状をある程度はご覧になったでしょう。一見すると秩序が保たれていても、その裏ではいつ争いが起こっても不思議ではない不安定さを」
ダリスの声が疲れて聞こえたのは、気のせいではないのだろう。
「特に、シューラ君の宣言があってからは……この街でも、過激派の行動が活発になってきました」
「やはり、争いが起きていると?」
「幸い、まだ大規模なものは起こっていませんが……頻度も内容も、悪化する一方です。私も何とか対策を立てていますが、どれも根本の解決にはならず……悪化を少し遅らせるのが精一杯、という体たらくです」
それは彼の責任ではない。だが、気に病むな、と言うのも難しいのだろう。
「あまり責任を感じるなよ、爺さん。全ては黒幕のせい……強いて言えば、シューラの馬鹿とレイルのせいだな。あの二人の動きは、今のところ相手の思うつぼだろう」
「……シューラ君もレイル君も、この国を良くするために尽力してくれていました。その二人が争うことなど、あってはならない話です」
「そうだな。今のこの国全体が、黒幕に歪められていると言っていい。あの二人もそうだろう」
「ええ。予想通りに、もしもこの状況が誰かに仕組まれたものなのだとすれば。私はこの国の柱として、それを見過ごすわけにはいきません」
ダリスは真剣な瞳をこちらに向けてくる。若者にも負けないであろうその力強さは、純粋なこの国への想いからか。
「そういや、ダリスさんは黒幕云々って話は知ってたんだな?」
「彼だけは、以前からギルドに協力してくれていたからな。何度か互いに使者を交わして、情報交換と話し合いをしていた。臨時三柱会議なども、彼と話し合って決めたことだ」
「こうして直接話すのは、この事態が起こってから初めてですがね。お互いに多忙でしたから」
なるほどな。今回の作戦に踏み切ったのも、ダリスの確かな協力があったからか。
「調査の方はどうだ、爺さん?」
「資料はここに纏めてあります。しかし……相手に繋がる決定打は、未だ見つかっていません」
「残念ながら、うちもだ。もっとも、そう簡単に尻尾を掴ませてくれる相手なら、最初から苦労はしていないだろうが」
空がダリスから資料の束を受け取り、代わりにこちらからも調査結果を渡す。
空が渡した側の資料には俺も目を通させてもらったが、あれに書かれているのは、暴動の発生状況や逮捕された者に関する情報が主だ。向こうも恐らく似たような内容だろう。
「ひとまず、これについてはお互い後から目を通しておくとしよう。さて……」
言いつつ、空は胸ポケットから何かを取り出し、口にくわえた。
「空、まだ煙草を続けてるの?」
「いや……飛鳥から止めるように言われたんでな。これはココアシガレットさ。何も無いと口が寂しいんだ」
空は少しだけ肩をすくめてみせる。
「今後についての話し合いをしたいところだが、東と西からの報告が来るまでは決定はできんな」
「そうだな。多分そろそろ終わるころだとは思うが」
三柱会議ができるかできないか、それは今後の動きに関わる大前提だ。少し待つしかないか。ならば、その間に他のことを把握しておきたい。
「待つ間に、質問をしても構いませんか?」
「ええ。疑問があれば何でも聞いてください」
「東注と西柱……シューラとレイルの二人は、元々はどのような関係だったのですか?」
「そうですね……シューラ君は直情型なのに対して、レイル君は冷静に物事を考える人ですから。三柱会議では、二人の意見が合わないこともよくありました」
「元から仲は悪かったってことかい?」
「いえ。シューラ君の意見にレイル君が水を差し、シューラ君が反発する……確かにそういう風景は多々ありましたが、それは決して険悪なものではありませんでした。例えるなら、友人同士がからかいあうような、微笑ましいと言っていいものです」
すっかり変わってしまったその風景を懐かしむように、ダリスは語る。
「レイル君はよく言っていました。『シューラさんの真っ直ぐさと行動力が羨ましい』と。本人は皮肉と受け取っていたようですが、私には、本心からの言葉に聞こえました」
「……レイルって奴は、シューラを認めてたってことっすか?」
「私はそう思っています。そしてシューラ君は『あの小僧は生意気だが、奴の知略はこの国に必要なものだ』と、私に言ったことがあります。本人の前では、頑なに認める発言をしようとしませんでしたがね」
「あの馬鹿らしいな。変なところで意地を張り、素直になれないやつだ」
「正反対な二人ですが、だからこそ……お互いに足りないものを持っていることを理解し、補っていたように思います。そして、国を良くするという志は、どちらも変わらないほどに強いと確信しています」
一見すると水と油でも、互いに認めあっていたからこそ、今まで上手くやってこれたのか。
二人が意見をぶつけ、切磋琢磨し、それをダリスがまとめていく。そう考えると、もしかしたら相性が良かったと言えるのかもしれないな。
「だが……認めていたが故に、シューラはレイルを許せない」
癖なのか、煙草を吹かすような動作をしながら空が言う。
「このような状況に陥ってからのレイル君の対応は、端から見ても手抜きだと思えるものです。知略に優れた彼とは思えないほどに」
「レイルを認めていたシューラには、奴ならもっと上手くやれたと感じたんだろう。そして、結果として生み出された混乱を見て、キレた。肝心なところで冷静さを欠くのは、以前からの悪癖だな」
信頼は、それが裏切られた時に、別の感情に変化しやすい。その信頼が大きければ大きいほど、より強い感情に。シューラの場合は、それが怒りだったのだろう。
……裏切り、か。俺のかつての仲間は、俺の裏切りに対して、どのような感情を抱いたのだろうか。どのような理由があったにしろ、俺が仲間の信頼を切り捨てたのは事実だ。それはきっと、彼らにとって……許せないはずだ。
「大丈夫、ガルフレア? ちょっと気分が悪そうだよ」
「あ……いや、大丈夫だ、気にしないでくれ。済まない」
心配そうに覗きこんでくるフィオに、俺は思考を中断する。……今は俺のことを考えている場合ではない。目の前に集中しなければ。
「ならばなおのこと、レイル西柱の考えを知る必要がありそうですね」
「ええ。彼が何を思い、対応を疎かにして、私やシューラ君の勧告を聞き入れないのか。それを把握しなければ、会議も恐らく無駄になるでしょう」
「だろうな。そしてその後は、シューラの馬鹿は止まらなくなるだろう。いずれにせよ、会議までの一週間が勝負だな」
黒幕について、そしてレイルについて。それを煮詰めていかねば、解決の糸口など見えはしないだろう。失敗はこの国の危機を意味する……そのような事にはさせない、絶対に。
黒幕、か。人々の影に潜り込み、暗躍する連中。そういった存在に、心当たりはもちろんある。
だが、もしも奴らだとすれば……本当に、連中は何者なんだ? 一つの国を攻め落とすことまで狙えるほどの規模を持った組織……現状では憶測だらけだが。
恐らく、この考えを持っているのは俺だけではない。後でみんなと話し合う必要がありそうだな……。