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ルナ ~銀の月明かりの下で~  作者: あかつき翔
3章 内なる闇、秘められた過去
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翼と過去

「何に対しての応援だったんだろ、今の?」


「……さて、な」


 やはり伝わっていない様子の瑠奈には、適当に受け答えしておく。説明できる胆力があるならば、苦労はしないんだがな……。


「それで、瑠奈も何か聞きたいんだったか?」


「あ、うん。その……」


「…………?」


 少し、後ろめたそうな雰囲気だ。何か聞き辛いことなのだろうか。


「あの、さ。無理強いするつもりは無いんだけど……」


「何だ?」


「ガルが、孤児だった時の話……聞かせてくれないかな?」


「……俺の?」


 躊躇っていた理由が、何となく分かった。


「それは、俺が孤児院に拾われる前の話と言うことか?」


「うん。ごめんなさい、思い出したくないことなのは分かってるけど」


「……そうだな、話すことは構わない。だが、どうして?」


 彼女は俯きながら、少しの間を置いてから話し始めた。


「エルリアってさ、分かってると思うけど、平和なんだ。それこそ、孤児なんて周りにはいなかった。だから私は、テレビや本でしか、そういう暮らしを知らないんだ」


 それは間違いなく事実だ。もちろん、親がいない境遇の子などは探せばいるだろう。それでも、街中に孤児がいるような環境とは程遠い。


「アトラの話を聞いて、本当に辛い暮らしをしてきたのを知った。でも私は、アトラやあなたと一緒に暮らしてるのに、そういう世界を全く知らないからさ」


「だから、少しでも知りたいと? 自分の知らない世界を」


「うん。……それから、あなたについても、もっと知りたくて」


「……そうか」


 確かに、思い出したくはない。だが、その反面、少し嬉しくもある。彼女が俺を知ろうとしていることが。


「断っておくが、聞いて愉快な話ではないぞ。それでも良いのか」


 それでも、彼女は頷いた。ならば俺も、それに応えるとしよう。

 俺は思い浮かべる。俺の記憶の、最も深くにある部分。普段は考えないようにしている、悪夢のような時間について。


「最初に言っておく。少年の時のことはほとんど思い出したと言ったが、本当は半分間違っている」


「え?」


「俺は、孤児になる前の記憶も持っていない。これに関しては、転移装置の副作用以前に無くしているものだがな」


 瑠奈は目を丸くする。これはまだ、数名にしか話していなかったことだ。


「じゃあ、ガルは……二重の記憶喪失になってるってこと?」


「孤児になった時のショックで記憶を無くした可能性が高いらしい。俺の記憶の始まりは、路地裏で転がっていたんだが……最初は名前すら覚えていなかった」


 あの時、俺には本当に何も無かった。俺であるという実感すら。それでも、生きようとする意思ぐらいは何とか持てたが。


「じゃあ、どうして名前は思い出したの?」


「ああ、それは……少し待ってくれ」


 俺は立ち上がると、部屋の片隅から小さな箱を取り出し、彼女の前に置いてみせた。


「これは?」


「開いて良いぞ」


 俺の許可が出ると、瑠奈はゆっくりと箱を開けた。そこに入っているのは、翼を象った、紋章のようなもの。


「これは……」


「元々はペンダントだったんだがな。チェーンの部分が壊れてしまって、そのままになっている。そこがスライドするようになっているから、動かしてみろ」


 俺が言うと、瑠奈は翼の上部をゆっくりと回してみせた。中には、古びた写真が入っていた。


「……ロケットペンダントだったんだね」


 その写真に写っているのは、ひとりの人間の女性と、狼人の子供……幼い俺だ。俺はその女性に、満面の笑みで寄り添っている。


「……綺麗な人。それに、この人の髪の色、あなたの毛の色に似てるね」


 瑠奈の言う通り、その女性は長く美しい白銀の髪を揺らしている。その穏やかな微笑みを見ていると、いつも俺の胸の中には、安らぎと寂しさがないまぜになったような、奇妙な感覚が湧き出す。それは、俺はこの人を知っているから、なのだろう。


「ああ。だから、その人が……俺の母なのではないかと思っている」


「ガルの、お母さん……」


「そして、裏にメッセージが刻まれているだろう? それで、自分の名が分かったんだ」



 ――五歳の誕生日おめでとう、ガルフレア。

お父さんももうすぐ帰ってこれるから、

来年は、三人でたくさん思い出を残そうね――



 俺も、考えることはある。両親はどんな人物だったのか。……俺のことを、両親は愛していてくれたのだろうか。

 少なくともそのメッセージからは、確かな愛を感じられる。だが、それならば何故、俺は孤児になったのだろうか。


「孤児になった時も、記憶を失いエルリアに飛ばされた時も、これだけは肌身離さず持っていた。これが、俺が俺である証明である気がして、な」


 もしも名前すら分からなかったら、俺は全てを見失っていたかもしれないから。

 瑠奈はどことなく神妙な顔で、じっと写真を見ていた。


「前置きが長くなってしまったな。俺が孤児の時の暮らしだったか?」


「……うん」


「そうだな……一言で形容すれば、地獄だった。泥水をすすり、安心して眠る場所も無く、いつだって満たされはしない。そんな毎日だ」


 俺は目を閉じて、回想する。あの時の苦しみを思い出すたび、俺は今の生を噛み締める。


「夏は暑さに苛まれ、冬は寒さに凍えた。少しでも体調を崩せば、それが死に繋がった。たとえ、普通の家庭であれば何のことはない病気であろうとも」


 死んでいった奴など、山ほど見た。簡単な治療で助けられるはずの者ですら、なすすべもなく倒れていった。


「一応、仕事は貰えることもあった。通常の十分の一程度の賃金だが、重要な資金源だ。ガラクタ拾いをして、使えそうなものを売って金を得たりもした。物乞いや盗みもしたな。特に旅行者は狙い目だが、全員が群がるから早い者勝ちだった」


 アトラと同じだ。悪事にだって、いくつも手を染めた。そうしなければ生きられなかったから。


「食料は……本当に大変だったな。ゴミを漁って何かを得られれば、まだ運の良い方だ。虫のたかるパンでも、取り合いになった。数日間何も口にしなかった時があったが、さすがに死にかけた。幸い、最後の力を振り絞って実行した盗みに成功したから、何とか持ちこたえられたが」


 瑠奈は黙って聞いているが、その顔色は悪い。恐らくは、俺も普段通りの顔はできていないだろうがな。……流すように話しているのは、意図的だ。深く掘り下げるのは、俺だって辛い。


「そんな生活の中で、自分の命の価値は、俺の中でどんどん下がっていった。その内、俺は自分の命を、半ばどうでもいいと思うようになっていった」


「どうでもいいって……」


「あの時はそうだったんだ。生きていても、どうせ地獄だったからな。それに、死を悲しんでくれる相手がいるわけでも無かった。誰かの死など、日常茶飯事だ」


 最初は、必死に生きようとした。周りの孤児から知識を得て、あらゆる手段を使って命を繋いだ。

 だが、心は時間が経つにつれて擦りきれていった。辛かった、何もかもが。そして、そんな辛さに慣れてしまった。


「だが、そんな生活にも限界が来た。あの時、俺は一週間近く、食料も水もまともに口にしていなかった。そして、さすがに力尽き、動けなくなった」


 あの時の、自分の心もはっきりと覚えている……()()()()()()()()と、俺はそう思った。もちろん、死にたかったわけではない。だが、それ程までに、生きることが辛かったんだ。


「そして、自分の運命を受け入れて、そのまま意識を手放してしまおうとした時……俺は、声を聞いたんだ」


「声?」


「そうだ。『大丈夫か? しっかりしろ。諦めるな!』そう言われて、半ば無理やり、口に水を流し込まれた」


「それって……」


「俺が驚いて目を開けると、立て続けにパンをねじ込まれてな」


 俺は苦笑する。思い返してみても、あれは強烈だった。


「よほど、俺が瀕死に見えて慌てたそうだ。……結果、パンを喉に詰まらせて死にかける羽目になったんだが」


 ジェスチャーで呼吸ができないのを伝えるのに十数秒ほどかかった。余った水を飲んで、何とか取れたから良かったが……命の恩人どころか、俺を殺しかけたんだったな、あの人は。


「その人、よっぽど慌ててたんだね……」


「普段は冷静な人なんだがな。あの時はまだ13歳だったから、仕方ないさ」


 窒息死しかけた俺にひたすら謝り続けていたな。そんなやり取りのおかげで、意識ははっきりと戻ったんだが。後にも先にも、俺が知るあの人の失態はあれぐらいだ。第一印象はともかく。


「だが、俺が驚いたのは、その行動よりも、彼の言葉だったんだ」


 大丈夫か。しっかりしろ。諦めるな……どれも、そんな言葉があったことを忘れかけていたほどに、久しぶりに聞いたものだった。だから俺は驚いた。弱った自分に対して、心配をしてくれる人がいたことに。


「その人は……?」


「エルファス・クロスフィール。孤児院で、俺の兄代わりになってくれた人だ」


「じゃあ、それが、ガルが孤児院に拾われるきっかけになったの?」


「ああ。あの時に死にかけていなければ、今頃は死んでいたかもしれない。そう考えると、数奇な巡り合わせだな」


 あの日、エル兄さんはたまたまいつもと違う道を通り、俺を見つけたらしい。パンも元々は自分の昼食だったらしく、一緒に歩きながら腹を鳴らしていた兄さんは照れたように笑っていた。……孤児院の暮らしも決して豊かではなく、食べ物は貴重であったのに、あの人は見ず知らずの俺に迷わずそれを与えた。


「その後のことは、何度か話したな」


「うん」


 瑠奈はふう、と息を吐く。やはり、少し辛い話だったか。


「ごめんね、ガル。話すの、辛かったでしょう?」


「いや、構わない」


「知っただけで、体験したわけじゃないけど……やっぱり、知るべきだったと思う。だから、ありがと」


 確かに、知る事と体験は全然違う。が、知ろうとしないよりは余程良いと思う。


「……ねえ、ガル。一つだけ、良い?」


「何だ?」


「ガル、孤児院のことは覚えてるんでしょ? なら、孤児院に行ってみれば、記憶も少し戻るんじゃないの?」


「ああ……」


 彼女の提案に、俺は曖昧な返事をするしかなかった。


「できることならそうしてみたいが、無理なんだ。クロスフィール孤児院があるのは……アルカイドの首都、セントレイクだからな」


「アルカイド……」


 あ、と瑠奈が声を上げる。彼女もあの国のことは知っているだろう。有名だからな……悪い意味で、だが。


 アルカイド国。

 あの国家は、五年ほど前に、突如として()()を行うことを宣言した。その言葉通り、国境には〈鉄のカーテン〉と呼ばれる防壁が作られ、内外の行き来を禁止している。今や世界から完全に遮断された、未知の国家となってしまった。

 何故そんな政策を行っているのか、それは誰にも分からない。いずれにせよ、あの壁の中には、誰であろうと入れないのだ。現状では、諦めるしかない。


「もどかしいね……」


「……ああ」


 手が届きそうな所に手掛かりがあるのに、それに触れることはできない。俺の過去を知る者は、俺の記憶が戻ることを望まない。本当に、もどかしい。


 もっとも、これについてはここで話してもどうにもならないだろう。


「今日はありがとう、ガル。私もそろそろ戻るね。いろいろあって疲れちゃったし、ガルもゆっくり休んで」


「ああ、分かった」



 ――返事をしてから、俺は()()()()を思い出した。良く考えれば、今はチャンスではないのか。いや、だがしかし……この話の後で、と言うのも……。


「それじゃ、また明日ね」


「……ま、待ってくれ!」


 部屋を出ようとする彼女を、俺は勢いで呼び止めてしまった。しまったと思っても、もう遅い。


「何?」


「そ、その、だな……」


 どうする。何でもないと言うのも今さらだ。くそ、後には退けない、か。

 俺は覚悟を決め、棚にしまっておいた、あるものを取り出す。


「これを、お前に渡そうと思って、な」


「え……?」


 俺は取り出した小包を、彼女に手渡す。それを開いた彼女は、意外そうに目を丸くした。


「……イヤリング?」


「あ、ああ。その……この首飾りの礼が、まだだっただろう?」


 俺が彼女に渡したのは、先日エリスに押し売りされた、三日月を模したイヤリングだ。


「この前、見つけてだな……お前に似合うのでは無いかと、思って……その……」


 くそ、どうしてこんなに挙動不審になっているんだ、俺は! 情けない……我ながら、どこまで免疫が無いんだ。


 そんな俺を見て、瑠奈はくすりと笑った。


「選ぶの、大変だったでしょ?」


「……俺はこういったものには、どうも疎いからな。お前の名に合った物を選んだんだが……」


 きっかけは押し売りではあったが、似合うだろうと思ったのは間違いない。安直かもしれないが、彼女がこれを着けたところを見たいと、素直にそう感じたのだ。


「迷惑、だったか?」


「そんなわけないでしょ? ありがとう。凄く、嬉しい」


 彼女はにっこりと俺に微笑みかけてくる。俺は、この笑顔にはどうにも弱い。


「明日になったら着けてみるよ。ふふ。今から楽しみになってきちゃった」


「……そうか。俺も、楽しみだ」


 元々、勝負をかけるためのプレゼントだったような気もするが……さすがにそこまでをする気もない。急いては事を仕損じるとも言うからな。いや、いつかそうするつもりなのか、と言われると困るんだがな……。


「呼び止めて悪かったな。お休み、瑠奈」


「うん。お休み、ガル!」


 楽しそうに部屋を後にする瑠奈を、俺は穏やかな気持ちで眺めていた。彼女が喜んでくれた、今はそれだけで十分だった。単純だな、俺も。


「……ふう」


 気を張ったからか、俺も眠くなってきたな。それに、よく考えれば昨日は寝不足だった。今日の疲れもある、明日に備えてそろそろ寝るか。そう思い、ベッドに入ろうとした時。


「ガル、起きているか? 少しでいいから、時間が欲しい」


 再びのノックと共に聞こえた声に、俺は動きを止める。


「開けていいぞ」


「すまんな、疲れているだろうに」


 謝罪の言葉と共に、ドアが開く。立っていたのは、誠司だった。


「どうしたんだ?」


「なに。お前にも話しておいた方が良いと思って、な」


 声音から察するに、あまり楽しい話題では無さそうだ。誠治は俺の前に座ると、こう切り出した。


「……ティグルを覚えているか?」


 出し抜けに放たれた名前に、俺は自分の中に黒い感情が湧き上がるのを感じた。


「当然だ。あいつさえいなければ、今とは状況が違ったかもしれない」


 信念も何も無く、ただ自分の短絡的な欲求を世界に押し付けようとした男。フェリオに始末されたらしいが、死んだ今でも、俺はあの男を許すことはできない。


「あいつがどうしたんだ?」


「まず一つ。あの男の遺体が、盗み出されていたそうだ」


「……何だと?」


 遺体を盗み出す? そんなことをして、何になると言うんだ。


「犯罪者とは言え、一応は弔ってやる準備をしていた時の話らしい。慎吾は俺たちが出発準備をしていた時には知っていたらしいが、余計な心配をさせまいと黙っていたそうだ」


「犯人は、誰にも見られていないのか?」


「ああ、そのようだ」


 そんなことが可能な奴は数少ない。そして、それを行いそうな奴となると、さらに絞られるが……。


「どうして、今になってそれを?」


()()()()、だ。余計な先入観を持たせまいと、先ほどは伏せたんだが」


「……どういう意味だ?」


「慎吾は、あの男の素性についても調べたそうなんだ。その結果、分かったことがある」


 奴の素性。それがいま語られた理由。誠司の次の言葉は、俺の想像だにしていない事実だった。


「あの男……ティグルは――」






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