自問自答
――その日の夜。
「………………」
今日は本当に目まぐるしい一日だった。アトラの事に始まり、ローヴァル山での出来事、フィーネのギルド入り、獅子王との話……単純なはずの依頼から始まった騒動は、ようやく表面上の落ち着きを見せた。
いずれにせよ、アトラの話は何とか上手い方向に転がったようだ。あんなに吹っ切れたような笑顔を見たのは初めてだったからな。いつもの芝居がかった笑いと比べて、とても良い顔だったと思う。
カイツが「アトラさんみたいなギルド員を目指します!」と言った時の、アトラの嬉しげな顔が深く印象に残っている。リックがものすごく渋い顔だったのもな。
そして……俺にはまだ、考えるべき問題が残っている。フェリオのことだ。
あいつとの思わぬ再会。そこで聞かされた話。
薄々、そうではないのかと気付いてはいたが、それは確信へと変わる。
あいつの言った、俺に世界を考える猶予を与えるためという言葉。その後の言葉からも、彼らの意図を推測できた。
「俺はただ、泳がされているだけ、か」
彼らは、俺の存在を利用しようとしている。
フェルの言葉を信じるならば、彼らの側からの襲撃はしばらく無い。だが、それは俺に利用価値がある間のみの話だろう。
彼らにとっての利用価値をリスクが上回った時。あるいは、利用価値そのものが無くなった時。その時が来れば、彼らもまた俺の敵になるのだろう。
そして……みんなも、それに巻き込まれる。
「……馬鹿か、俺は」
たまに考えてしまう。俺が一人で死ねば、これ以上みんなを巻き込まなくて済むのではないかと。だがそれは、みんなへの裏切りに等しい行為だ。そんなことが、許されるはずがない。
――今さら、裏切りを恐れるのか? 裏切り者の、俺が。
「……くそ」
その結果、誰かが死ねばどうするんだ? そうなった時に、俺は償えるのか?
「そうならないために、俺がみんなを護る。そう誓ったはずだろう」
護る? 本当に、俺一人で全てを護れるとでも? そんなのは、夢想家の考えだ。
「最初から諦めるような臆病者になるぐらいならば、夢想家の方がましだ……!」
頭の奥から湧き上がってくるのは、嫌な考えばかりだ。俺はそれを振り払うため、言葉に出して自分の考えを否定していく。
「それに……俺には、成し遂げなければならないことがある。犬死には、御免だ」
そう。だから記憶の手掛かりを探しているんだ。全てを成し遂げる為に。――だが……俺はどうやって、それを成し遂げる?
「ッ……!」
自問自答を続けていると、分からなくなってくる。記憶を取り戻して……俺は、どうするんだ?
かつての目的を成し遂げるにしても、それは一人で可能なのか? いや、それならば、俺はこんな状況に陥ってはいない。無理だったから、俺は逃げたんだ。ならば、巻き込むのか、みんなを。俺の責務に。
いや、そんな事は許されない。記憶さえ戻れば……後は、みんなに迷惑をかけるわけにはいかない。
……矛盾している。だが、どちらも譲れない。俺の使命を果たす事も、皆を危険に巻き込まないことも。何かを犠牲にしなければならないとしても……それは、俺の命だけで十分だ。
かつての自分に無理だったのならば、強くなるしかない。このちっぽけな命一つで、どこまでやれるかは分からない。それでも……。
部屋にノック音が響いたのは、その時だった。
「……誰だ?」
「お、起きてんな。俺様だよ、ちょっと良いか?」
「……アトラか。鍵は開いているぞ」
……考えるのは後にするか。これ以上は、悪いものしか浮かんできそうにないからな。
「邪魔するぜ~」
「入るね、ガル」
ドアが開き、アトラと……もう一人が、部屋に入ってくる。
「瑠奈もいたのか」
「おう、入り口でバッタリな。いや~、同じタイミングで同じ場所に行こうとしてるなんて、運命じゃね?」
「同じギルドで暮らしてるんだし、そんなこと誰にでもあるでしょ」
「へへ、つれない瑠奈ちゃんも可愛いぜ!」
そんなやり取りに、思わず溜め息をつく。
「すっかり元に戻っているようだな」
「ん。ま、こっちのが俺様っぽいじゃん? いつまでもクヨクヨしてんのも似合わねえってな」
俺はムードメーカーだしな~、などと言いながらウインクするアトラ。……それはいいが瑠奈からは離れろ。
「だが、その喋り方は、芝居だったと言っていただろう」
「別に気を張ってるわけじゃねえよ。ま、最初は確かにそうだったんだけど……長年続けてりゃ、染み付いてくるもんだぜ」
「そういうもの、なのか」
「ああ。ま、向こうのが素なことに間違いはねえけどな~。でも、この俺様だって、俺様の一面だろ? 何だかんだで気に入ってるしな、この立ち位置!」
「……ふ。それならば、良いか」
軽口を叩きながらの笑顔は、いつもと違う心からのものに感じた。そうかもな……この方がこいつらしい。それに、俺たちはもうこいつの内面を知った。喋り方の違いくらいで、壁は作らせないさ。
「そうだ、先に言っとくぜ。ガル、それに瑠奈ちゃんも……改めて、今日はありがとな」
「気にするな。俺たちは仲間で、家族だろう?」
「へへ。そう言ってもらえりゃ助かるぜ」
結果論だが、今回の一件で、こいつとの距離を縮めることができた。ギルド内の結束も深まったように思える。
「それで? 何か話が……いや、聞きたいことがあるんじゃないのか」
「……察しが良いな。聞きてえのは、兄貴のことだ」
予想はしていたがな。俺とフェルの関係は、先ほどみんなに話した。同じ孤児院の出身であり、俺が裏切った組織の一員である、と思われること。弟のこいつが興味を持つのは当然だろう。
「だが、俺は知っての通り記憶喪失だ。覚えているのは子供の時の話だけ……今のあいつに繋がることは分からないぞ」
「構わねえよ。俺様は単に……俺様と別れてからのあいつを、少しでも知りてえだけだからよ」
髪をかき乱しながらアトラが言う。兄の姿を少しでも知っておきたい、か。何となく、その気持ちは分かる。
「ところで、瑠奈はどうして?」
「私はちょっと別のことを聞きに来たの。でも、せっかくだから私も聞きたいかな。ガルとあの人たちが、どんな関係なのかを」
「……分かった。とりあえず、二人とも座れ」
俺はとりあえず二人を座らせ……やたら瑠奈に密着しようとするアトラを引き剥がしてから、話を始めた。
「昔、俺とあいつは親友と呼べる関係だった。同じ孤児院の中で、同い年と言う共通点もあっただろうが……俺、フェリオ、そしてシグルドの三人は、いつも一緒に行動していたんだ」
大会の後に、孤児院での出来事はあらかた思い出した。そして、それは俺にとって、とても穏やかで楽しかった記憶でもある。
「当時のフェルは、そうだな。俺たちの中では、一番落ち着いていたと思う。そして、面倒見が良かったな。年下の子をあやしたりするのが好きな、優しい奴だった」
「……想像すると微笑ましいかも」
「はは、確かに」
面倒見の良さは、弟の世話をしていた経験が大きかったのだろう。俺もそんな彼に、何度となく助けられた。
「一度、俺が高熱を出して寝込んだことがあってな。その時は兄さんや院長、シグと一緒に、一晩中看病してくれたよ。印象に残っているのが、あいつが俺の手を握って『大丈夫、おれがいるからな、怖くないぞ』と言っていたことだな」
「……懐かしいな。昔、俺様が熱出しちまった時も、同じように励ましてくれてたんだ、あいつ」
「ふ……。何しろ軽い病でも命取りな環境だからな。あいつの言葉は、本当に励みになったよ」
苦しくて、本当に死ぬかもしれないと思ったほどだったから、あいつの優しさは凄く嬉しかった。回復した後に礼を言うと、少し照れ臭そうにしていたが。
「そして、あいつは口癖のように、弟について語っていたよ」
「……俺様について?」
「ああ。自分の夢は、いつか弟を迎えに行くことなんだ、と。そして、弟や叔父さんと一緒に、また仲良く暮らせる日が来ることだ、とな」
だからこそ、俺もウェア達の話で二人の関係に気付けたんだ。
「お前が笑顔で暮らせるように頑張りたい。それがあいつの糧だったんだろう。孤児院の生活も決して楽では無かったが、あいつが弱音を見せなかったのは、きっと目標があったからだろうな」
「……そっか。あいつ、そんなことを」
アトラは、嬉しさと寂しさがないまぜになったような表情を浮かべる。
「俺は、あいつほど一途な奴を知らない。あいつは、自分の決めた目標のためになら、何だってやれるような強い奴だ。お前に会いたい思いを押し殺せるほどにな」
「…………」
「だが、誤解するなよ。それはお前を思っていないからじゃない。むしろあいつは、誰にも負けないほどにお前のことを思っている。それだけは、信じてやれ」
そう、あいつは一途なんだ。一途すぎるほどに。
だから……かつての友であろうと、障害となるならば排除してのけるだろう。
それでも、弟にだけはその刃が向かないと、俺はそう信じたい。もし向けるのならば……俺がその刃を叩き落とし、気付かせてやらなければいけない。
「……ありがとよ、ガル。何か、ちょっと吹っ切れた気がするぜ」
言いつつ、アトラは立ち上がった。
「あいつはやっぱり変わってねえ。だから、まだ大丈夫だよな。生きてるんだから、まだどうとでもなるよな」
「そうだな……」
死んでしまえばどうしようもないが、彼もアトラもまだ生きている。だから、これから先にある未来は、まだ作れるはずだ。
アトラは気分を切り替えるように、大きく背伸びをしてみせた。
「さてと。じゃ、俺様はフィーネの部屋にでも行くとすっかな!」
「また口説くつもりか?」
「へへ、そりゃ当然だろ? せっかく俺様に興味を持ってくれたんだからな!」
断言しきったアトラに、俺と瑠奈は苦笑する。やはり、こういう言動が一番、彼らしいな。
「そんじゃ、ガル。お前もちょっとは頑張れよ?」
「…………む」
最後に不必要なエールを残し、アトラは部屋を出て行った。……大きなお世話だ。