この手を離さずに
もちろん、降りてきた巨体の声にも、聞き覚えはありすぎるくらいだった。
群がるUDB達が小さく見える、尾を除いても5メートルを超す体躯。背に生えた翼は、いつもと違って見合ったサイズだ。狼と竜を足したような猛々しい外見に、全身を覆う純白の体毛、白銀の鱗に黄金のたてがみ。
異形の魔獣でありながら、どこか神々しさすら感じるその姿……それにはあまりにも似合ってない、どこか子供っぽい声。普段よりは少し低くなっているけど。
その獣――フィオは、俺を一瞥すると、笑みのようなものを浮かべた。UDB達は、突然降ってきた遥かに格上の相手に大混乱だ。
フィオはそいつらに向かい、魔獣そのものの低い声で吠えた。途端に、そいつらはびくりと体をすくめる。俺ですら本能的に身をすくめたくなる。生物としての格の違い、ってやつか。
そして、フィオの背から聞こえてくる、複数の声。
「っ……す、凄い衝撃」
「し、死ぬかと思った……。おい、フィオ、もうちょい加減しろよ!」
「最大速度で降りろ、と注文をつけたのはお前だろう……」
「そうそう。それにちゃんと加減はしたから。じゃなきゃ、全身の骨が砕けてたと思うよ?」
「さらっと怖え事言うな!」
獣の群れのド真ん中で何を悠長な……じゃなくて!
「ガル、コニィ、海翔……」
どうして、みんながここに? そう考えてから、俺は自分の状況を思い出した。そうだ……俺はギルドを抜け出してきたんだ。美久にはこの場所も教えていたし、俺を探しに来たんだろう。
「色々と面倒なことになってるみたいだけど……フィオ、そいつらはどうかしら?」
「ん、僕が威嚇しとけば襲ってはこれないさ。先に話をするといいよ」
「……あ……」
次に思い出したのは……俺が昨日に吐いた暴言。そして、今の俺の姿。俺は今、悪魔と呼ばれていた時の姿、そのままだ。フィーネと話して、少しは決心ができていたつもりだったが、いざその状況になると、それが砕けそうになる。俺は反射的に、みんなから視線を逸らしかけた。だけど――そこで、何とか堪えた。
答えを聞くのは怖いけど……ここで逃げたら、俺は多分、いつまでも逃げっぱなしになる。駄目なんだ、それじゃ。拒否されたとしても……それを、受け入れないと。
「アトラ……てめえ、随分とナメた真似してくれたな?」
「…………ごめん」
「謝って済む問題じゃねえんだよ。ふざけやがって……」
海翔はやっぱり、俺を許してくれないか。いや、多分みんなも……だけど仕方ない。それは、俺がやったことの結果なんだから。
「こっちは昨日ので筋肉痛だってのに、朝っぱらから走り回らせやがって。謝るだけじゃねえで、何か飯くらい奢りやがれ、この馬鹿が!」
「ああ…………え?」
罵倒を受け止めようとしていた俺は、その内容を理解すると、思わず海翔の顔を直視した。……青い竜人は、何とも不敵に笑っていた。
「へへ。今、『ああ』つったな、お前。みんなも聞いたよな?」
「ええ。しっかり聞きましたよ、アトラさん」
「全員、お前の財布が空になるまで許すつもりは無いからな」
「な、あ……え?」
予想の斜め上すぎて、俺はまともに返事できなかった。だって、これじゃまるで……ただ、からかわれてるだけみたい、で……。
「それ以前に、馬鹿にしすぎなんだよ、お前。その姿……」
「…………!」
姿についての言及に、俺は身体を硬直させて身構える。
だけど……海翔は、先程の笑みを、崩していなかった。
「悪魔って言うから、もっと邪悪な感じかと思ってたら、全然大したことないじゃねえか」
「――――」
海翔はあっけらかんと言い放つと、意見を求めるようにみんなの方を見た。それに合わせて、みんな頷いている。……大したこと、ない?
「そうですね。確かに異質な力みたいですが、悪魔と呼ぶには足りないんじゃないですか?」
「姿が変わると言えば、俺や海翔もそうだからな。お前は俺たちを、悪魔や人外の者と見ていたのか?」
「な、何を……」
あっさりしすぎて、逆に思考が追い付かなくなった。言葉が出てこない。どうして、そんな簡単に。
そうだ、みんなはこの力の本質を知らないからだ。見た事のある美久は違うはずだ。そう思って、彼女を見たのに……彼女もまた、笑っていた。
「あ、そうそう、今のうちに覚悟しておきなさいよ。他のみんなやマスターはもちろん、ジンさんはカンカンだからね! 半日は説教から解放されないと思っておきなさい!」
「な……。そんな事は、別にどうでも……」
駄目だ。何なんだこの状況は? アインがいた時のほうが、まだ理解が簡単だった気がする。
「何だよ、その顔。まさか、悪魔だって罵るって思ってたか?」
「……。本当に、何とも思わねえのか? 俺の、この姿……相手の命を喰って、自分のものにする、この力に……」
「なるほど、な。それが、お前のPSの力か」
その問い掛けに、みんなはからかうような笑顔を消し、真剣な表情になった。
「ま、確かに禍々しいとは言えるんだろうな。何も感じない、と言えば嘘になるとは思う」
「じゃあ……」
「だけどその程度、お前を嫌いになる理由にはならねえってだけだ」
「…………!!」
それは、俺にとって頭を殴られたような衝撃だった。また、言葉が詰まってしまう。
「そりゃそうだろ。確かに、いきなり目の前に出てきたら、驚きはするかもしれねえけど。俺は、普段のお前を見てきてるんだぜ。お前みたいな女ったらしのお調子者の見た目がちょっといかつくなったぐらい、ビビるわけねえじゃんか?」
「……そんな、こと……」
「もちろん、お前のトラウマが、全てお前の考えすぎなどと言うつもりは無い。お前がその力を嫌うのも、それ相応の過去があるのだろう。だが、だからと言って、俺たちがお前を……大切な家族を嫌うものか」
「そうですよ、アトラさん。そんなのは、あなたらしくありません。アトラさんは、私たちギルドのムードメーカーなんですから」
……家族。俺が……みんなの……。
「……それから、言っときたい事があるんだ。昨日はさ、悪かった。何も知らなかったくせに、生意気なこと言っちまって、ごめん」
「な……何を言ってんだ。昨日のは、俺が八つ当たりしたのが原因じゃねえか!」
「それはそれ、だ。俺だって、言っちゃいけねえことを言った。……喧嘩なんて、だいたいどっちにも責任があるもんだろ」
喧嘩。昨日の衝突を、海翔はその言葉で片付けた。
「で、今の俺は、お前について昨日より知ってる。けど、まだ全部は聞いてねえからな。お前について、もっと聞きてえ。俺たちは仲間だし、家族だろ」
「……俺は、お前らみんなを馬鹿にするようなこと言ったんだぞ? なのに、まだ家族って呼ぶのか、お前」
「だから、そりゃおあいこだ。一回喧嘩したくらいで終わっちまうなら、俺とコウはどうなんだってな。お前に言われたことはそりゃ腹立ったが、それは俺が悪くない理由にはならねえだろ。両成敗、ってやつだ」
「………………」
「もちろん、これは俺の我が儘だよ。……許してくれ、アトラ。俺が言ったことは、お前に心底から嫌われても仕方ないぐらいにひどいことだった。だけど……俺はお前に嫌われたくねえ。お前ともっと仲良くなりてえ。もし許してくれるなら、今度こそ……ちゃんと、話をする機会をくれねえか?」
「……海翔……」
俺と同じような後悔を、こいつもしていた。そんなこと、想像もしてなくて……だけど、こいつは逃げた俺と違って、ぶつかってくることを選んだ。
「そういうことよ。あんた、さっきから聞いてたらさ……自分が悪く思われなきゃ、みたいに思ってない?」
「俺、は……」
そんなこと。俺だって悪くなんて思われたくない。だけど……確かに、俺はいま、自分が悪いんだという結論になる理由を探していなかったか。
「ま……私がそうさせたのも、あるわよね」
俺はその言葉に、美久を見た。どこか怒っているような、悲しんでるような、微妙な表情だ。彼女は、ゆっくりと俺に近づいてくると――おもむろに、俺の手を掴んだ。
「おい!? よせ、今の俺は……!」
攻撃した時ほどではなくとも、この力に触れれば、命を吸ってしまう危険がある。俺は彼女から離れようとするが、彼女はしっかりと掴んで離さなかった。
「握り返すの、遅くなっちゃったわね」
「は……?」
「あの時とは立場が逆ね。今の私は、あんたの手を掴めるのよ。あの時とは違うわ」
「あの時って……お前、まだ気にして」
「当たり前じゃない! ……なんて、言える立場じゃないわよね。私はあんたを傷付けた。それが分かってたのに、何年もちゃんとやれなくて……」
ごめんなさい、と。何度目になるか分からない謝罪だ。
……頭では、分かっていた。あの時のこいつは今よりも未熟で、あと一歩で死にかけるような状況になったら、それだけで恐怖に震えるに決まっている。
そんな時、俺は……彼女の目に浮かんでいた恐怖を、全て俺に向けられたものと解釈した。……そうだ。勝手にこいつのせいにして悲劇のヒーローを気取ったのは、俺のほうで……。俺は、こいつの言う通りに、自分が悪いんだって筋書きを用意して、それに勝手に溺れていたんだって、ようやく気付いた。
「覚悟しなさい。今度は、何があっても離してあげないわ。絶対に、あんたを引っ張って帰る。あんたの家に。ギルドに」
俺の家……ギルド。仲間。家族。
「よく覚えときなさいよ、アトラ。あんたがどんな勝手な真似をしようが、あんたが悪魔だとか化け物だとか呼ばれようが、私はあんたを見捨ててあげない。あの時のお詫びって訳じゃない……あんたがどんな姿になろうと、私はあんたを嫌ってあげないわ!」
繋がった手に、さらに力が入った。痛いほど、強く。
――ああ。そういや、そうだったな。
こいつら、こんなお人好しばっかの集団だったっけ。マスターを筆頭に、みんな、みんな……本当に、馬鹿だ。だけど、そんなみんなの中にいるのは、何より心地良くて……。
「みんな、ごめん。そこで一旦ストップね」
突然、フィオの声が響く。体格が体格だけに、声は辺りによく通る。
「あいつらに、僕の威嚇が効かなくなってきた。多分、もう少しで襲いかかってくる」
言われて周りを伺うと、最初はフィオに怯えていたはずの連中が、今は唸り声を上げながら、今にも飛びかかってきそうな状態だ。
「妙だな。いくらお前が幼生つったって、Sランク相手に襲いかかろうとするかよ。そもそもこいつら、昨日の奴らとは違うのか?」
「うん、普通ならとっくに逃げ出してるはずなんだけど。多分、何らかの強制力が働いてるんだろうね」
「強制力?」
「うん。本能を打ち消す程に強い命令……何かの信号が出てるみたい。人には感じないと思うけど、僕もちょっと変な感覚があるし」
変な感覚……耳鳴りはもう収まってるし、それとは違うんだろう。フィオの考察が正しいなら、もちろん考えられるのは、あいつの仕業しかねえ。
「〈操魔石〉だな」
そう言葉を発したのはフェリオだ。
「何だ、それは?」
「あの時、闘技大会の会場を襲撃したUDBを操っていたのと同じだ。使用者に影響されるため、あの小者が使っていた時と効果は段違いだろうがな」
「……そうだ。確かにあの時、あの男は石を持っていた」
フェリオの言葉は俺にはサッパリだったけど、ガルと海翔には通じてるみたいだった。
「いずれにせよ、こいつらとの戦いは避けられない。お喋りはそこまでにして、構えろ」
「フェリオさん、あんたは……」
「……フェル。今は味方だと思って良いのか?」
「状況も分からないほど愚かでは無いからな。手を貸してやる」
「……分かった。今は、頼りにさせてもらうぞ」
どういうこった……ガル達は、フェリオと面識があるのか? ……そういや、さっき言ってた銀月って……まさか?
「なら、そこの女の子は……」
「私も、戦える。気にしないで」
フィーネは既に戦闘態勢だ。さっきからずっとそっちに備えていたらしい。そりゃ、獣の群れの中で話をする方がおかしな状況なんだけど。
「……仲間」
「え?」
「ちゃんと、受け入れられたでしょう?」
「…………はは」
俺は少し気恥ずかしくなった。あれだけ悩んでたのが馬鹿らしくなるぐらいに、みんなの反応はあっけなかったから。
でも、それは俺にとって、とても大きな事だったんだ。彼女はそれを分かってくれているだろうか。
俺は美久と繋がった手を離すと、トンファーを構え直した。離しているのに、繋がった感覚が残っている気がした。
「よーし……じゃ、みんな! とっとと片付けて、ギルドに帰るわよ!」
『了解!』
ああ……そうだ。帰るんだ、俺は。こいつらに勝って、帰って……今度こそ、ちゃんと向き合うんだ。だから、ここで死んでたまるかよ!
彼らの戦闘を、アインは無表情なままで眺めていた。
(性能そのものは、スペック通りに発揮されているか。今回は相手が悪かったようだが)
大量にいたはずのUDB達は、確実にその数を減らしていた。対して、彼らの中には深手を負った者はいない。
(しかし、警戒すべきは六牙か。真っ向からの勝負では、この身と同等程度の力はある)
あくまで冷静に、データのみを集計して、彼は結論を導く。そこに主観が混ざる事は無く、あくまでも機械的だ。
(そして……銀月とその仲間たち。記憶を失い弱体化したとは言え、アンセルが敗北したのは偶然ではないようだな)
その冷たい紅の瞳が、銀の狼人を捉える。自覚の無いまま、災禍の中心に存在せねばならない男を。
(宿命に捕らわれた男、か。自らが掌の上にいることを自覚していない者は、幸せだな)
そして――最後のUDBが倒れた瞬間、アインの姿もまた、人知れずその場から消えていた。