決意
武装した集団が、荒れ果てた建物の中に集っていた。
ここは、とある国家に位置する、小さな山村。貧しいながらも平穏に暮らしていた村人達の暮らしは、ある日突然、理不尽な暴力に奪われた。
突如現れた武装集団による攻撃と制圧。戦いとは無縁の村人に抵抗などできるはずもなく、武装集団はあっという間に村を占拠、こうして自分達の拠点へと変えてしまった。
見せしめに数名が殺され、残った村人もまた、彼らへの屈服を強要された。元々が外部との交流も多くない村だ。誰にも気付かれず、武装集団は着々と計画への準備を進めていた。そうして今、村の集会所には、この部隊の主要なメンバーが集っている。
「……本当に、やるんだな」
「怖じ気ついたか?」
「そうじゃないさ。ただ……また、多くの血が流れるな、と思っただけだ」
「我らの声を聞き入れずにのうのうと暮らしている連中の血だ。いくらでも流れてしまえばいい」
「……そう、だな。こうしなければ、いつまでも俺達は支配されたままだ。この作戦さえ成功させれば、次の段階に進める。そうすれば、腐敗した支配者達に鉄槌を下せるんだ」
彼らがこの村を拠点に選んだのは、目的である首都へのルートが確保しやすいからだ。それだけの理由で、何人もの人が殺された。
「ヒトは平等であるべきだ。なぜ、支配する側とされる側に分かれなければならない? 大した力もないくせに我らを上から縛り付ける連中など、存在する意味はない」
その演説が始まると、ざわついていた建物の中が静まり返った。彼らのリーダーは、一同の視線が集まったことを確認してから、言葉を続ける。
「今こそ我らの怒りを、愚鈍な支配者達にぶつける時だ。恐れるな! 我らは神の代行者として裁きを下すのだ! 我らには、神の加護がついている!」
「おお……! 散々飲まされた煮え湯の借りを、ようやく返せるんだ!」
「各地の同志達も、首尾は上々だ。へへ、間抜けどもの寝首をかく瞬間が楽しみで仕方ねえ!」
沸き立つ屋内。誰もが狂気にとらわれていることに気付かないまま、或いは気付かないフリをしながら、来るべき革命の瞬間に胸を踊らせていた。
――異変に最初に気付いたのは、誰だっただろうか。ひとりの男が立ち上がり、ゆっくりと集会所の中心に向かって歩いていく。
「おい、あんなやつ、こっちの部隊にいたか?」
「いや、初めて見る。新入り、じゃない……なら!」
ざわつく空間の中で、ようやく数名が事態を把握する。侵入者がいる、と。
「止まれ、何者だ!」
見知らぬ男は、さらに数歩だけ進んだところで、足を止めた。それは彼らの指示に応えたため、というわけではなさそうだ。
そこに立っていたのは、ひとりの獣人だ。
種族はイヌ科、狼だろう。白銀色の体毛が全身を包む、長身の男。さらりとした髪だけは金色だ。黒いコートを羽織って静かに佇む姿は、スマートな印象を与える。獣そのものの見た目である顔立ちは、異種族から見ても整っていることが分かる。
明らかな部外者、それが集会の中に紛れていたのだ。少なからず混乱する場の中で、男とリーダーが向かい合う。指導者を庇うように、数名が護衛として前に出ている。
「何だ、貴様は!?」
「反政府組織〈ネメシス〉。お前達は我が主により、国際的な危険因子として定められた」
武器を持って立ち上がった者の問いに応えるわけでもなく、銀狼は静かに告げる。銃を向けられているにも関わらず、平然とした、冷たい口調で。
「即刻、武装解除して投降しろ。そうすれば、お前達にも悔い改める機会を与える。さもなくば……俺がお前達を、裁く」
その静かな宣告は、リーダーの嘲笑をもって迎えられた。たった一人で何を言っているのだ、と。
「はっ、文字通り支配者の犬ってやつか! どこの国が差し向けたかは知らんが……」
「………………」
「……殺せ!」
相手は侵入者、ならば遠慮はいらない。そう判断したリーダーは指示を飛ばし、銀狼を狙って銃を構えていたメンバーが、一斉に発砲した。
――その次に起きたことを、リーダーは理解できなかった。何故ならば、血の海に沈むと思われた銀狼が、一瞬にして視界から消え去ったからだ。
そして、何が起こったかを理解するよりも早く。護衛とリーダーの首は、まとめて胴体から離れていた。そうして、何一つ分からないままに、彼らの意識は永遠の闇の中へと消えていった。
「…………ひっ……!?」
あまりにも呆気なく、指導者を失った。銀狼の手には、いつの間に抜刀したのであろうか、血に濡れてなお煌めく、白銀の刀が握られていた。
「最後通告への拒否を確認。各員、行動を開始しろ」
男が呟くと、集会所の外からいくつも銃声と悲鳴が上がった。一瞬にして恐慌がその場を満たしていく。
彼らが最期に見たものは、銀狼の背に浮かび上がる、光の翼。淡く輝く羽を散らすそれは、まるで天使のようにも見えて――
「これより、障害の殲滅を開始する」
――しかしそれは、彼らにとってはまごうことなき死神だった。
「………………」
静寂の訪れた戦場。紅く染まった刀身を振るい、軽く血を落とす。俺自身もいくらか返り血を浴び、毛並みが血に汚れている。
辺りに転がる、大量の骸。それらはほんの数分前まで確かに生きていた、そして、俺がこの手で葬った者達。溢れた血が、大地に染み込んでいく。それはもはや、単なる赤黒い液体でしかない。
「制圧完了だな」
「馬鹿な奴らだよ。〈銀月〉様を前にして、立ち向かってくるなどと」
「………………」
俺の部下は、侮蔑と哀れみの混じった視線で死体の山を見据える。こちらには被害は出ていない。武装したテロ組織と言えど、その構成員の多くは武器を得ただけの素人だ。俺が鍛え上げた部隊に太刀打ちできるはずもない。
「銀月様、各部隊から連絡が入りました。全ての地区で、殲滅を確認したとのことです」
「村人の救助も完了しています。後は手はず通りに」
「……そうか」
部下からの報告を受けながら、俺は自らが作り出した光景を眺めていた。死体が積み重なった様子は、まさしく地獄絵図という言葉がふさわしいだろう。
全員出来る限り即死させ、苦しませないようにはした。だが、彼らの亡骸には、最期の瞬間の……死への恐怖が張り付いていた。全て、俺のこの手がやったことだ。
「……銀月様、大丈夫ですか」
「この程度の相手に遅れは取らない。心配するな」
「いえ、それは分かっているのです。そうではなく、少し、辛そうな顔をしていたので」
俺の様子を見てか、一人の部下が俺に言う。彼は、俺の腹心だ。それゆえに、俺の性格をよく理解している。
「すでに戦意を失い、逃げ惑う者であっても背後から斬る。それはどうしても、気分の良いものでは無いからな」
「……そうですね。ですが彼らは、こうなるだけの罪を犯した。その報いを受けたんです」
「その通りだ。だが……」
分かっている。紛れもなく、彼らは『悪』だった。こうしなければ、彼らを止める事は出来なかった。これは彼らへの罰で、彼らはそれだけの事をしようとしたのだ。だが……それと同時に、拭えない思いもある。
「ならば、この虐殺は罪ではないと言うのか、ラドル?」
「………………」
俺の問いかけに、ラドルは辛そうに目を伏せる。部下の様子に、俺は漏らしてしまった言葉を後悔した。
「……指揮官たる存在が言う事ではなかったな。忘れてくれ」
「いえ。あなたがそういう人だからこそ、俺はあなたを尊敬しているんです。少しぐらい、弱音は見せてください」
「済まない……」
ラドルの慰めは、少しだけ気を楽にしてくれた。腹心である彼には、俺もかなり心を許している。
俺とラドルは、再び眼前の地獄を見る。俺達の任務がもたらした結果。殺した者達の最期の瞬間の表情と叫びが、俺の瞳と耳に、呪いのように焼き付いていた。だがそれは、昔ほどには俺の心を揺さぶらない。
「今さら、だな」
俺は、これまでだって多くの命を奪ってきた。その事実に震えることすら、何年も前に止めてしまった。俺には、彼らの死に対して感傷を抱く資格など無い。
もしかすれば、引き返せた者もいたかもしれない。まだ手を汚していない者もいたかもしれない。そんな可能性を考慮していたのも、遠い昔だ。
「銀月」
そんな時、背後から聞こえてきた俺を呼ぶ声に、俺とラドルは振り返った。
そこにいたのは、一人の青年。種族は虎人で、蒼く美しい毛並みを持ち、髪にあたる部分は他より少し色が濃い。身長は180を超える程度で、俺の方が少し高いのだが、体格に恵まれているため、彼の方が大きい印象を受ける。基本的に無表情だが、顔立ちは整っており、背にはその体躯に見合ったハルバードを携えている。
「……蒼天」
「こちらも完了したようだな」
この男は〈蒼天〉。無論、本名では無い。俺の〈銀月〉と同じく、本来は部隊の名前だ。そして、指揮官である俺達は、任務の上ではそれをコードネームのようなものとして利用している。彼は俺の同志であり、同時に昔からの親友でもある。
「どうしてここに? お前の部隊はどうした」
「黒影がうちの指揮も引き受けてくれた。大方、お前がこうなっているだろうから、行ってやれとな」
「……そうか」
連中との付き合いは長い。俺が今回の任務にどんな感情を持つのか、見透かされていたか。自分達とて、何も感じていない訳ではないだろうに。
「では、俺は後処理について少し見てきます。銀月様、蒼天様、失礼します」
「ああ。お前ならば、自己判断で構わないだろう」
ラドルは気を利かせたのか、軽く頭を下げてから、この場を離れていった。俺が部下の気配りに感謝していると、先に蒼天から話を切り出してきた。
「そこまで気に病む必要はないだろう。相手は、既に無数の罪無き人々を巻き込んだテロリストだ。こうしなければ、さらなる悲劇が起こっていた」
「……分かっている」
最初は、彼らの祖国で生活の改善を求めた貧民達の集いだったらしい。だが、彼らの声は国家に届くことはなく、ならばと手段は過激になっていき……次第にその活動は暴走、彼らはテロ組織として国際的な脅威になってしまった。
「一人を逃せば、そいつのせいで二人が死ぬかもしれない。残党の暴走、報復、リスクはいくらでも考えられる」
「……報復と言うならば、壊滅させても起こる。友人や家族は誰にでもいるのだからな」
「悪であった者のために行動を起こすならば、その者もまた悪だ。それもまた、排除するだけだ」
蒼天はそうするだろう。そして俺も、そうしてきた。彼からすれば、何を今さら、という言葉だ。俺は思わず、深く息を吐いていた。
「最近は、思うんだ。俺達と彼らにどれだけの違いがあるのか、とな」
「………………」
「彼らは武力をもってでも何かを成そうとして、道を踏み外した。その結果として起こった事態を許すつもりはないし、だからこそ斬った。……だが、ならば俺達は、道を踏み外していないと言えるのだろうか」
俺の問いかけに、蒼天は答えない。だから俺はその代わりに、俺がずっと自分に問い続けてきたことを問うた。
「蒼天。俺達の理想は、本当にこんな方法で叶うものなのか?」
「……さて、な。いずれにせよ、簡単には叶うものではない。叶うと信じているからこそ、俺達は戦っているんだろう? 例え道を踏み外し、俺達が外道に落ちる矛盾があってもだ。そう、決めていたはずだ」
「ああ、そうだ。だが、俺は……」
「お前は、少し優しすぎるんだ。全てを受け止めようとすると、押し潰されてしまうぞ」
違う。俺は優しくなどない。俺は……。
「優しければ、このような虐殺など出来はしない。俺はただ、臆病なだけだよ」
「……お前がそう思うのなら、それでも構わない。だが、毎回そのように深刻に捉えていては、そのうち限界が来るぞ。非情になれとまでは言わないが、せめて割り切れ。そうしなければ、お前が保たない」
蒼天の口調はぶっきらぼうだったが、俺を心配してくれている事は、確かに伝わってきた。
「俺達は指揮官だ。俺達の迷いは、全体の士気に関わる事を忘れるな」
「……済まない」
「謝る必要はない。……お前は先に戻って休んでいろ。今日は俺がこちらの事後処理を受け持つ」
「なに? だが……」
「迷うなと言われて迷わずに済むものでもないだろう? ラドルもいるなら問題はない。辛い時ぐらい、抱え込まずに頼れ」
青虎はうっすらと微笑むと、少しだけ優しい口調になる。任務中の非情な蒼天とは違う、友人としての口調だ。
「分かった、今回は甘えさせてもらう。ありがとう、シグルド」
だからこそ、俺は彼を本当の名前で呼ぶ。シグルドはそれを咎める事もなく、ゆっくりと首肯した。
「礼もいらない。俺とお前の仲だろう? 後でフェリオと一緒にお前の部屋に行くよ。たまには三人で酒でも飲もう」
「ああ、そうだな。楽しみにしておくよ」
仮にも任務が完全には終わっていない時に、シグルドとしての顔を出すのは珍しい事だった。それだけ心配をかけていると考えると申し訳なくもあるが。俺は数名の部下にだけ指示を残し、素直にその場を後にした。
「……いずれ限界を向かえる、か」
済まない、シグルド。どうやら、その限界は……もう、来ているようだ。俺は、もう。
敵を殺したところで、その事実には心を揺さぶられない。だが……『揺さぶられないということに、揺さぶられて』いた。今回のように、分かりやすい悪を討つだけならば、まだ良い。しかし。
「全ては、我らの理想の世界のために……」
それは、俺達の願掛けとなる言葉だ。俺達の理想、戦う理由。それがあったから、それを信じてきたから、俺は戦えた。だが。
……このような手段で、理想は叶うのか。何年かかったとしても叶うならばいい。だが、叶ったとして……それは、誰の理想だ。我らの理想? ならば、俺自身の理想はどこにある。
もう一度だけ、胸の中で問いかける。俺はどうすればいい? 俺は、どうしたい。
「俺は……俺の理想は、ひとつだけだ。そして、それは……」
――この決断が、どれだけの苦難を呼ぶのだろう。どのような結果を招くのだろう。だが……それでも俺は。俺の、戦う意味は――