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第12話 港へ向かう道



港へ向かう道は、市場とはまた違う顔を見せていた。


魚の匂いが濃くなり、潮と油と木材が混ざった独特の空気が肺の奥まで入り込んでくる。

朝日を受けて水面は細かくきらめき、無数の船が係留された港はまるで巨大な生き物のように呼吸しているようだった。

荷を積み下ろしする船員たちの怒号、滑車が軋む音、木箱が石畳に置かれる鈍い衝撃音。

港は、静かさとは正反対の場所だ。

けれどその騒がしさの中には、確かな秩序があった。


人の流れは決まっていて、通路は自然と分けられ、立ち止まっていい場所と邪魔になる場所が暗黙のうちに区別されている。

誰かが指示を出しているわけでもないのに、長年の経験と慣習が、この空間を機能させているのが伝わってきた。


「……本当に、大きい街だなぁ……」


思わず、そんな感想が心の中に浮かぶ。


案内役の男は無言のまま先を歩き、私は少し距離を空けてその背中を追った。

近すぎると邪魔になりそうで、離れすぎると置いていかれそうで、その微妙な距離感を測りながら歩く。


やがて、港の一角にある比較的古い桟橋に辿り着いた。

新しい船よりも年季の入った船が多く、木材の補修跡や何度も塗り直されたであろう船名が目につく。


「ここだ」


男はそう言って立ち止まり、振り返る。

そして、改めて私の顔をまじまじと見た。


「……見かけねぇ顔だな」


その一言で、心臓がひくりと跳ねた。


「……っ」


「ここの住人じゃねぇだろ?」


反射的に、体がびくっと強張る。

声を荒げられたわけでも、詰問されたわけでもない。

ただ事実を確認するような口調だったのに、それだけで背中に冷たい汗が滲んだ。


やっぱり、そう見えるよね。

身なりも立ち振る舞いも、たぶん“よそ者”だ。


「……えっと……」


言葉を選ぼうとした瞬間、男は片手を軽く上げた。


「別に、詮索する気はねぇよ」


「……」


「港には、いろんな事情を抱えた連中が流れ着く。いちいち根掘り葉掘り聞いてたら、仕事にならねぇ」


その言い方は突き放しているようでいて、どこか現実的だった。

優しいわけでも、冷たいわけでもない。

ただ、港という場所で生きてきた人間の距離感。


「……ありがとうございます」


思わず、そう答えていた。


深くは聞かれずに済んだ。

それだけで、少しだけ肩の力が抜ける。


でも——


不審者であることに、変わりはない。


身分証もない。

保証人もいない。

名前だって、本名を名乗っているかどうか、相手からすれば分からない。


信用されているわけじゃない。

ただ、“今は使える人手”として扱われているだけ。


「……それで、やることは?」


男は視線を桟橋の先に向けた。


「清掃だ。昨日の嵐で流れ着いたゴミが溜まってる。木片、藻、壊れた網……あとは、厄介なもんもな」


厄介なもの、という言葉に、少しだけ嫌な予感がする。


「足元には気をつけろ。釘も出てるし、滑る」


「……はい」


私は頷きながら、周囲を見渡した。


確かに、桟橋の隅には流木や海藻が絡まり、濡れた木材が不規則に積み重なっている。

ところどころ、錆びた金具や破れた網が顔を出していて、不注意に踏み込めば怪我をしそうだった。


「……軍手とか、ないんですか……?」


恐る恐る尋ねると、男は肩をすくめた。


「日雇いにそこまで用意はしねぇ。嫌なら、今から戻ってもいい」


その言葉は突き放しているようで、でも選択肢を与えている。


私は一瞬だけ迷ってから、首を横に振った。


「……やります」


今は、選り好みしている場合じゃない。

怪我をしないように、気をつければいい。


男はそれ以上何も言わず、近くに置かれていた木製の箱を指差した。


「ゴミはそこにまとめろ。終わったら声をかけろ」


「……分かりました」


こうして、私の異世界二日目は、港の清掃作業から始まった。


しゃがみ込み、濡れた木片を拾い上げると、冷たい感触が指先に伝わる。

海水で重くなった藻は想像以上に重く、腕にじわじわと負荷がかかる。


「……思ったより、きつい……」


けれど、不思議と嫌じゃなかった。


単純作業。

考えすぎなくていい。

今は、目の前の仕事に集中すればいい。


時折、近くを通る船員たちが、ちらりとこちらを見る。

好奇の視線。

警戒の視線。

興味のない視線。


そのどれもが、今の私の立場を物語っていた。


私は、ここでは“よそ者”で、“使われる側”で、“様子見されている存在”だ。


それでも。


目の前の人が信用できる人かどうかなんて、正直、分からない。

この男の人が善人なのか、打算的なのか、ただの仕事人なのかも分からない。


でも——


「……今は、ついていくしかない」


そう自分に言い聞かせながら、私は黙々と手を動かし続けた。


港の空気は冷たく、太陽は少しずつ高くなり、街は本格的な一日を迎えようとしている。

その片隅で、私はまだ名もない存在として、ただ働いていた。


——この街に受け入れられるかどうかも分からないまま。

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