第9話 契約の花嫁
執務室の空気が一気に張り詰めた。
レオンの足音が近づき、柚希の前で止まる。机の上に落ちた紙片を拾い上げ、冷たい声で言った。
「……読んだのか」
「……ごめんなさい。勝手に見たわけじゃなくて、落ちてきたから」
必死に弁解するが、彼の鋭い瞳は揺るがない。
「内容を理解したのか」
その問いに、柚希は口をつぐんだ。理解できたと答えれば、余計な波風を立てる気がしたからだ。だが沈黙は、何より雄弁だった。
レオンは短く息を吐き、視線を逸らした。
「……異世界から来たお前が、どうして古代語を読める」
その声音には、苛立ちと同時に、ほんのわずかな驚きが混じっていた。
柚希は胸の奥で鼓動が高鳴るのを感じながら、思い切って尋ねた。
「“契約の花嫁”って……私のことなんですか?」
一瞬の沈黙。
やがてレオンは、紙を机に置き直し、背を向けた。
「それ以上知る必要はない。お前に課された役割は──俺の婚約者として振る舞うこと。それだけだ」
冷ややかな声が突き放す。
「でも、あなたが言ったでしょう。私の存在が国を動かすって……! それはこの予言と関係が――」
「黙れ!」
怒声が部屋に響き、柚希は言葉を失った。
背を向けたままのレオンの肩が、わずかに震えているのが見える。
──彼もまた、何かに縛られている。
静寂の中で、彼は低く呟いた。
「余計なことに関われば……お前が傷つくだけだ」
それ以上、言葉は続かなかった。
部屋を退出した柚希の胸には、恐怖と同時に、抑えきれない疑念が芽生えていた。
──私はただの駒なのか、それとも──。