第82話 黒霧の王
大地を割って吹き出す闇は、まるで生き物のようにうねりながら天を覆い尽くした。
黒霧の瘴気が広がるたびに、空が赤黒く染まり、呼吸をすることさえ困難になる。
柚希は両手を広げ、全身で光を放った。
彼女の放つ聖なる光が霧を焼き、足元の地を浄化していく。
だが──その中心、封印の裂け目から、さらに深い闇が姿を現した。
「これは……ただの黒霧じゃない……!」
リディアが息を呑む。
裂け目から現れたのは、人の形をした“影”だった。
その瞳は深い紅、全身からは黒炎のような瘴気が立ち昇っている。
「久しいな……聖女ユズハ。いや――ユズキ。」
低く響く声が、空気を震わせる。
柚希はその名を聞いて、心臓が強く跳ねるのを感じた。
「……あなた、誰なの?」
「我こそ、“暁の王”の影にして、かつて封じられし王──《黒霧の王》だ。」
その瞬間、柚希の脳裏に、夢の中のレオンの姿がよぎった。
光と闇、ふたつの存在が背中合わせに生まれた――そんな感覚。
(まさか……暁の王と黒霧の王は、同じ存在から分かたれた……?)
リディアが叫ぶ。
「柚希様! あれは封印の中で分離した“王の影”──レオン陛下のもう一つの魂です!」
柚希は息を呑んだ。
「レオンの……もう一人の……!」
黒霧の王は冷ややかに笑う。
「光があれば、影が生まれる。あの男が“暁”を選んだ瞬間、私は生まれた。
お前が戻らぬ間に、この世界は闇の均衡を失ったのだ。」
柚希の瞳に涙が浮かぶ。
「そんな……レオンが苦しんでいたのは……あなたのせい……!」
「違う。彼が“光”を愛したからこそ、闇が必要となった。」
黒霧の王の声は、まるで悲しみのようにも聞こえた。
そのとき、谷全体が揺れた。
帝国軍が後方でざわめき、エドワード皇子が声を上げる。
「王国も聖女も、闇も光も──すべて我がものだ! 捕らえろ!」
無数の兵が進軍する中、柚希の周囲で光の精霊が旋回した。
リスティアの声が響く。
「ユズハ……封印の再起動を! 闇の王をこのまま解き放てば、世界が崩壊する!」
「でも……! 彼は……レオンの一部なのよ!」
その一瞬の迷いを突くように、黒霧の王の腕が振り下ろされる。
漆黒の刃が柚希を襲う──
だが、眩い光が割り込んだ。
「下がれ、柚希!」
風を裂いて現れたのは、金の鎧を纏った男。
その瞳には“暁”の光が宿っている。
「──レオン!」
柚希が叫ぶ。
レオンは振り向かず、剣を構えた。
「もう二度と、闇には屈しない。
暁の王として、そしてお前の契約者として──」
レオンと黒霧の王、二つの“王”が対峙する。
光と闇がぶつかり合い、空が裂け、谷が震える。
柚希はその光景を見つめながら、胸の奥で確信した。
──この戦いは、世界を救うだけじゃない。
レオンの魂を、再び一つにするための戦いなのだ、と。