第79話 霧の谷の封印
夜明け前。
柚希とルカを乗せた馬車は、霧深い谷を進んでいた。薄明の光が差し込み、木々の影が揺れる。だが、風はどこか息を潜めているようで、柚希は胸の奥にひやりとした違和感を覚えた。
「まるで……時間が止まっているみたい。」
彼女の囁きに、ルカは頷く。
「この霧、ただの自然現象じゃない。魔力の干渉を感じる。」
彼が手を掲げると、指先から青白い光がほとばしった。その光が霧に触れた瞬間、空気が裂けるような音がして、隠されていた“古代の紋章”が浮かび上がる。
柚希の瞳がわずかに見開かれた。
「……封印陣。」
「おそらく、帝国が古代の力を使って“黒霧”を封じ込めていたんだ。」
ルカは険しい顔で霧の向こうを見つめた。
「だが、なぜ今になって封印を弱めている?」
柚希は静かに一歩、封印の中心へと進んだ。
その足元で、淡い光が彼女を包み込む。まるで封印そのものが、彼女の存在に反応しているかのように。
──“聖女の力”。
柚希の掌から柔らかな光が溢れ、紋章の一部が共鳴した。
ルカが目を見開く。
「ユズキ! それ以上は危険だ!」
けれど、彼女は動かなかった。
「この封印……呼んでるの。私の中の光が、何かを思い出そうとしてる。」
次の瞬間、眩い閃光が走り、二人の周囲に光の輪が展開する。
そこに現れたのは──白い翼を持つ少女の幻影。
透き通るような声で、彼女は告げた。
「光の契約者よ。時は巡り、再び“暁の王”が目覚める時が来た。」
柚希の心臓が高鳴った。
──暁の王。
その名を聞いた瞬間、頭の奥で何かが弾けたように、封印の光景が過去と重なった。
血と炎。王と聖女の誓い。
そして、途絶えた契約。
「私……前にも、ここにいた……?」
柚希は呟く。だが、答える者はいない。
ルカが彼女の肩を支える。
「ユズキ、今は戻ろう。これ以上は危険だ。」
「うん……でも、この封印が解ければ──帝国の狙いが、分かる気がする。」
霧が再び濃くなり、封印陣が静かに光を閉じた。
遠くで、風が一筋だけ流れる。
それはまるで、“暁”の訪れを告げる風だった。
──そして、柚希はまだ知らなかった。
この封印の奥底に眠る“暁の王”が、彼女の運命を大きく変える存在になることを。