第78話 風が導く方角
夜の帳が落ちる頃、王都の高台から吹く風が、柚希の金の髪を優しく揺らした。
遠く、帝国軍の駐屯地からは鬨の声がかすかに届く。だがその響きの奥に、柚希は奇妙な違和感を覚えていた。まるで──誰かが「進軍を遅らせている」ような気配。
「……何か、変ね。」
彼女の呟きに、隣で地図を広げていたリディア宰相が顔を上げた。
「ユズキ様、何か感じ取られましたか?」
柚希は小さくうなずいた。
「黒霧の気配が……薄いの。帝国の方角から、もう何日も新しい魔獣が現れていない。」
「確かに。報告でも、黒霧の活動は一時的に沈静化していると。」
ルカが腕を組み、険しい表情で地図を覗き込む。
「まるで誰かが、黒霧の流れを──意図的に止めているみたいだ。」
柚希は風に目を細めた。その風の向こうから、確かに何かが呼んでいる。光の精霊たちが、かすかな声で囁く。
“西の境界、霧の向こうに──真実の門がある”
「西……?」柚希が呟くと、リディア宰相は顔をしかめた。
「そこは“アルステンの断崖”。帝国と我が国の境、霧の谷が続く場所です。長らく誰も立ち入っていません。」
「でも、そこに答えがある気がします。」
柚希の声には迷いがなかった。
「黒霧の源。帝国の策略。──そして、私の“聖女の力”が、なぜ彼らに狙われるのか。」
ルカが一歩踏み出し、静かに言った。
「行くつもりなんだな、ユズキ。」
「ええ。でも一人では無理。リディア宰相、王都の防衛はあなたに任せます。」
「承知しました。……ユズキ様、どうかお気をつけて。」
そして柚希は、光を纏った指先で空をなぞった。
淡い紋章が夜空に浮かび、風が一方向へと流れ始める。
その風は、まるで“道しるべ”のように柚希たちの進むべき方角を照らしていた。
──風が導く。
──夜明けの先に、真実が待っている。