第77話 聖女の決意
夜明けの光が王都を包むころ、柚希は静かに城へ戻った。
外套には夜露が染み、指先にはまだ、彼に触れたときの冷たさが残っていた。
──セイルは、生きていた。
それだけで胸の奥が軋む。けれど、その彼が「帝国の剣」として、再び自分の前に立つ。あの月光の中で誓ったように。
王城の会議室では、すでにリディアとルカ、そしてレオンが待っていた。
柚希の顔を見るなり、レオンが席を立つ。
「ユズキ! 一人で帝国の使者に会うなんて、無茶だ!」
その声音には怒りよりも、深い心配が滲んでいた。
柚希は静かに頷いた。
「……ごめんなさい。でも、どうしても確かめなきゃいけなかったの」
「セイルについてか?」リディアが問う。
柚希は唇を結び、頷いた。
「彼は……黒霧に堕ちた“光の契約者”でした。私の前任者。
そして、私がこの世界に呼ばれたのは、彼が消えた直後だったの」
室内の空気が凍りつく。
ルカが息をのむようにして言った。
「つまり、聖女の召喚は……彼の代わりを呼ぶための儀式だった?」
「……はい。
彼の力が完全に失われる前に、“光”は新たな器を求めた。
その器が、私だった。」
柚希の声は静かだが、確固たる意志を帯びていた。
リディアは眉をひそめ、深く考え込む。
「帝国があなたを狙う理由も、そこにありますね。セイルの力とあなたの光を一つにすれば、世界の均衡は崩れる。帝国はそれを狙っている」
レオンが机を叩いた。
「ふざけた話だ……! 帝国が何をしようと、柚希を渡すつもりはない」
その言葉に、柚希はわずかに微笑んだ。
けれど、その笑みの奥には決意があった。
「ありがとう。でも……私は逃げるためにここに来たんじゃない。
“光”として、“人”として、彼を──セイルを救いたいの」
レオンは息をのむ。
「救う? あいつはもう、黒霧の中に沈んだ……」
「それでも、私は信じたいの。
彼が闇に堕ちたのは、誰かを守ろうとしたから。
その優しさが、今もどこかに残っている気がするの」
その言葉には、かつて自分が闇に引きずられかけたときの記憶が重なっていた。
光はときに残酷だ。
純粋であればあるほど、人の弱さを許さない。
だからこそ、柚希は“人としての光”を示したかった。
沈黙ののち、リディアが小さく頷いた。
「……いいでしょう。聖女としてではなく、一人の人間として、あなたが彼を救う道を選ぶなら、我々はそれを支えます」
ルカがすぐに続けた。
「僕も協力する! セイルがどこにいるのか、情報を集めよう」
レオンは黙っていたが、やがて深く息を吐いた。
「……お前の決意、わかった。ただし、一人では行かせない。俺も行く」
柚希は目を見開く。
「でも、国の防衛は──」
「国もお前も守る。それが“暁の王”の務めだ」
レオンの瞳は、夜明けの空よりもまっすぐだった。
その瞬間、柚希は確信した。
──この戦いは、奪い合いではなく、取り戻すための戦いになる。
窓の外で、朝陽がゆっくりと昇り始めていた。
光が差し込むその中で、柚希の瞳は強く輝いていた。
「セイルを救う。闇も、帝国も、光も──すべての均衡を取り戻すために」
それは、聖女としてではなく、柚希という一人の少女としての、最初の真の決意だった。