第71話 帝国の影、迫り来る
薄曇りの空の下、王都の空気は張り詰めていた。街を歩く人々は口々に帝国の名を囁き、落ち着かぬ視線を交わしている。
「聖女を奪うために、帝国が動いたらしい」
「暁の王は守り抜けるのか……」
噂は尾ひれをつけながら、柚希の耳にも届いていた。
城の回廊で足を止めた柚希は、胸の奥に冷たいものを感じた。
自分の力──光を操る聖女の力が、人と国を動かす火種になっている。
「ユズキ、顔が強張っている」
そっと肩に触れてきたのは、レオンだった。彼の琥珀色の瞳は、曇天を突き抜けるように真っ直ぐだ。
「心配しなくていい。帝国がどんな策を弄そうと、おまえを渡す気はない」
その言葉に、柚希の胸は少しだけ安堵で満たされる。けれど同時に、恐怖も消えなかった。
会議室に入ると、宰相リディアと、魔術師ルカが待っていた。大きな地図の上に、帝国軍の動きが赤い印で示されている。
「国境付近に大規模な軍勢が展開しています。単なる示威ではなく、侵攻の意志があると見ていいでしょう」
リディアの声音は冷静だが、その瞳は強い決意に揺れていた。
「……やはり聖女を名目に戦を仕掛けるつもりか」
ルカが低く呟くと、柚希の心臓がひとつ跳ねた。
「聖女が帝国の手に渡れば、この国の均衡は崩れます」リディアは柚希を見つめる。「だからこそ、あなたを守ることが最優先。ですが、同時に――あなた自身の力が、この局面を切り拓く鍵になるでしょう」
柚希は小さく息をのんだ。
「わたしの……力で?」
「ええ」リディアは静かに頷いた。「聖女の光は、黒霧すら退けると伝えられている。帝国はそれを手中に収めようとするでしょうが……逆に言えば、あなたが自らの意思で力を使えば、この国を守る盾になれる」
その言葉に、柚希の胸に複雑な感情が渦巻いた。守りたい人たちがいる。レオンがいる。けれど、そのためにまた戦いに身を投じることになるのだ。
レオンは柚希の手を取り、強く握った。
「ユズキ。おまえが望まぬ戦いに巻き込まれるのは本意じゃない。だが──俺は絶対におまえを守る。そして、この国を守る」
「レオン……」
その瞬間、外から鐘の音が響いた。
「緊急報告!」扉を蹴破るように兵が駆け込んでくる。「帝国軍、国境を突破しました!」
会議室の空気が凍りつく。
リディアが即座に指示を飛ばし、ルカが魔術の防衛準備を整える。
柚希は胸に手を当て、覚悟を決めた。
──逃げない。私は聖女として、この光を使う。
守るために。レオンと共に生きる未来のために。
新たな戦火が、ついに幕を開けた。