第67話 帝国の影、迫る
砦の夜は重苦しい沈黙に包まれていた。星空の下、見張りの兵士たちが焦燥を隠せずに歩哨を続けている。帝国軍が国境を越えて集結しているとの報せが届き、誰もが嵐の前の静けさを感じ取っていた。
柚希はバルコニーに立ち、遠くの闇を見つめていた。そこには黒霧と混ざり合うように帝国の旗がはためいているような錯覚さえ覚える。胸の奥に恐怖が広がるが、それ以上に自分の力が再び人々を巻き込むのではないかという不安が押し寄せてきた。
「眠れないのか」
背後からレオンの声がした。彼は鎧を纏わず、ただ一人の男として柚希の隣に立った。
「…怖いんです。私が“聖女”だから、帝国は攻めてくる。もし私がいなければ、誰も争わずに済んだかもしれない」
柚希の呟きに、レオンは首を横に振った。
「違う。帝国は力を欲する国だ。君がいなかったとしても、別の理由をつけて侵攻してきただろう」
彼の言葉は厳しい現実を突きつけるものだったが、不思議と心は軽くなった。
「それに──」レオンは柚希の手をそっと取った。
「君がこの国にいてくれるからこそ、皆は希望を持てる。俺も…君がいてくれるから戦える」
柚希の胸の奥に、また光がともる。彼の強さと優しさに支えられるたび、自分の力を受け入れられるようになっていく。
そこへ、リディア宰相が急ぎ足で現れた。
「レオン様、ユズキ殿。斥候からの報告です──帝国軍の一部が、すでに砦の南側へ回り込んでいます」
「何だと…!」レオンの表情が険しくなる。
ルカも駆けつけ、剣を腰に下げながら報告を補足した。
「黒霧を連れた部隊も確認されました。ただの軍勢ではなく、“聖女”奪取のための精鋭でしょう」
広間に緊張が走る。
柚希は迷いを振り払うように一歩前に出た。
「私も戦います。帝国の思い通りにはさせません」
その瞳には、恐れを越えた決意の光が宿っていた。
「…よし」レオンは剣の柄に手を置き、力強く頷いた。
「この戦い、俺たちで勝ち抜く。柚希、君の光が必要だ」
砦の夜空に、戦の気配が濃く広がっていった──。