第58話 退却と誓い
黒霧の王が消え去った瞬間、砦を覆っていた闇は霧散し、澄んだ夜空が広がった。
月光が降り注ぎ、兵士たちは思わず剣を掲げて歓声を上げる。
「やったぞ! 聖女様が勝った!」
「黒霧が消えた……!」
その歓声を背に、帝国軍は動揺していた。
切り札を失った軍勢は統率を欠き、後退を始める。
「退け! 一旦退け!」
帝国将校の怒号が響く。
だが、その瞳には敗北の色よりも、なお柚希を狙う執念が宿っていた。
柚希はその視線に気づき、胸の奥にひやりとしたものを覚える。
(……帝国は諦めない。私は、まだ狙われ続けるんだ……)
その肩に、温かな手が置かれた。
「大丈夫だ」
振り返ると、そこにはルカがいた。
泥と血にまみれながらも、真っ直ぐな瞳を柚希に向けている。
「お前を絶対に渡さない。俺たちが守る」
リディア宰相も歩み寄り、深く頭を垂れた。
「聖女殿……あなたの光が、この国を救いました。帝国は必ず再び牙を剥くでしょう。しかし、その時も我らは決して一人にはさせません」
柚希の胸に、熱いものが込み上げてきた。
守られる存在であるだけでなく、共に戦う仲間がいる──そう実感できたのだ。
「ありがとう……ルカ、リディア。
私……逃げない。もう二度と」
砦の兵士たちが次々と跪き、柚希に向けて「聖女様」と声を上げる。
その光景に、柚希は頬を紅潮させながらも、真っ直ぐに受け止めた。
戦いは終わった。だが、それは嵐の前の静けさにすぎない。
帝国の執念は、きっとこれからが本番だろう。
柚希は夜空を見上げた。
月光が柔らかく砦を照らし、彼女の瞳に未来への光を映し出す。
(私は……この世界で生きていく。
聖女として、そして──一人の女として)