第56話 黒霧の王
砦を覆う光の柱が夜空を裂き、黒霧を一掃した──そのはずだった。
しかし、帝国軍の後方で不気味な咆哮が響いた瞬間、空気が凍りついた。
闇の海から現れたのは、他の魔獣とは比べものにならない巨体。
全身を濃密な黒霧に包み、黄金色の双眸がぎらついている。
「……あれは……!」
リディア宰相が蒼白になり、声を震わせた。
「黒霧の王。過去に幾つもの国を滅ぼした、災厄そのものです……!」
兵士たちの間に恐怖が走る。剣を握る手が震え、声が失われていった。
「聖女を差し出せば、命は助けてやる!」
帝国の将が高らかに叫ぶ。
「その力はお前たちの手に余る! 今すぐ差し出せ!」
兵士の中に一瞬、迷いが広がった。
だが、柚希は毅然と前に進み出る。
「私を渡しても……黒霧は止まらない。あれは人の欲望が呼び起こした闇。
なら、私が光で──終わらせる!」
その声は震えていなかった。砦の兵士たちは、胸を張り直すように剣を掲げた。
「ユズキ!」
ルカが隣に駆け寄り、彼女を守るように立った。
「お前の光がある限り、俺は何度でも立ち上がる。だから一人じゃない!」
リディア宰相も魔導士たちを指揮し、結界を張る。
「聖女殿、私たちが時間を稼ぎます! どうか……あの王を討ち払ってください!」
黒霧の王が咆哮を上げ、前脚を振り下ろすと、大地が砦ごと揺れ動いた。
柚希はその衝撃に膝をつきかけたが、胸の奥から再び光を呼び起こした。
「──来なさい、闇! 私は退かない!」
彼女の背後に純白の翼の幻影が広がり、眩い光の槍が無数に生まれた。
聖女の姿に、兵士たちは歓声を上げ、帝国兵は戦慄した。
「これが……聖女……!」
黒霧の王が咆哮とともに突進する。
柚希は両腕を広げ、光の槍を一斉に放った──。