第54話 帝国の影、聖女を狙う
夜空を裂くように、重々しい号砲が響いた。帝国軍の陣営から、城砦都市を威圧するように放たれた威嚇射撃だ。
リディア宰相は眉をひそめ、すぐさま伝令を飛ばす。
「……とうとう動いたわね。これは明確な挑発よ」
砦の上から見下ろす柚希は、夜闇の中でゆらめく黒い影に息をのんだ。漆黒の霧をまとった魔獣──黒霧──が、帝国の旗のもとに従えられていたのだ。
「まさか……黒霧を……!」
「ええ。帝国は禁忌を破ったんだ。魔獣を兵器として操るなんて」
ルカが険しい表情で剣を握りしめる。
そのとき、帝国の使者が声を張り上げた。
「聖女を差し出せ! さすれば、この黒霧の群れを引き上げてやろう!」
柚希は胸の奥が凍りつくような感覚を覚えた。自分が「聖女」と呼ばれ、この力を狙われていることは理解していた。だが、これほどあからさまに命を賭けた争いに巻き込まれるとは。
「……ユズキ様、決して向こうの言葉に耳を貸してはなりません」
リディア宰相は冷静に言い放つ。だがその瞳の奥に、強い怒りが燃えているのが分かった。
「彼らはあなたの力を奪い、帝国の覇権のために使い潰すつもりよ。だからこそ、私たちが守り抜かねばならない」
砦の空気は張りつめ、兵士たちの手が次々と武器に伸びていく。
柚希の胸の奥に、光の力が反応するように脈打ち始めた。
──この力で、誰かを傷つけるのは怖い。けれど、目の前で人々が奪われようとしているのを見過ごすことはできない。
帝国が、黒霧とともに前進を始める。
大地が揺れ、城壁の上からは人々の息をのむ音が重なった。
その瞬間、柚希の体から淡い光が広がった。闇を裂くように、砦全体を照らすまばゆい光の盾が展開される。
「これ以上、誰にも奪わせない!」
柚希の声は夜空に響き渡り、帝国軍と黒霧の進軍を一瞬押しとどめた。
だが、その光を破ろうとするかのように、帝国の本隊が次々と攻撃の準備を始めていく──。