第53話 帝国皇子の求婚
王都に重々しい鐘の音が鳴り響いたのは、柚希が「聖女」として人々に知られるようになってから数日後のことだった。
「帝国の使節団が到着しました!」
兵士の報告に、玉座の間は一気に緊張に包まれる。
柚希はリディア宰相に導かれ、玉座の間の片隅に立っていた。背筋を伸ばしてはいたが、心臓の鼓動は落ち着かなかった。──帝国が、自分を狙ってやって来る。頭では理解していても、現実となると足が震える。
やがて、豪奢な衣をまとった青年が堂々と入場してきた。
漆黒の髪に鋭い黄金の瞳。口元には余裕を漂わせ、どこか人を試すような笑みを浮かべている。
「初めまして。我が名はエドワード・フォン・ヴァルハルト。帝国の第一皇子にして、次期皇帝候補だ」
その声は低く響き、場の空気を支配した。
彼の視線が、柚希を捉える。
「……噂は本当だったようだな。“聖女”よ」
柚希は身を固くした。だが、視線を逸らさない。
「あなたに……何のご用ですか?」
エドワードは口元を緩め、ゆっくりと歩み寄る。
「単刀直入に言おう。──私の妻となれ」
場がざわめいた。リディア宰相は眉をひそめ、ルカは思わず剣に手をかける。
そしてレオンは、一瞬で空気を切り裂くような冷たい気配を放った。
「……何だと?」
彼の低い声に、柚希の背筋も凍りつく。
「我が帝国に来れば、君の力は最大限に尊重される。王国のように利用されることもなく、君は皇妃として守られるのだ。悪い話ではないだろう?」
エドワードは自信に満ちた声で言い放つ。
柚希の胸はざわめき、言葉を失いかけた。
──利用されることなく、守られる。
一瞬、心が揺れそうになる。だがその時、レオンが柚希の前に立ちふさがった。
「ユズキはこの国の民だ。帝国に連れて行かせはしない」
エドワードは冷笑を浮かべ、挑発するようにレオンを見据える。
「ほう……ならば、彼女の意思を聞こうじゃないか」
突然視線を向けられ、柚希は息を呑んだ。
「君はどちらを選ぶ?王国の戦士か、それとも帝国の皇子か」
玉座の間の空気が凍りつく。
柚希は唇をかみしめた。答えを出せば、国の行方さえ左右しかねない。
そして何より──自分の心に正直でなければならない、と。
胸の奥で光が小さく瞬き、柚希の決意を促していた。