第41話 穏やかな日々の影
試練を終えてから数日。
王都の空は雲ひとつなく晴れ渡り、柚希の心にもようやく穏やかな風が吹き込み始めていた。
「ほら、そこはもう少し水をやった方がいい」
レオンがそう声をかけると、柚希は両手で持ったジョウロをぎこちなく傾けた。
「え、えっと……こうかな?」
水は少し勢いよく流れ、花びらに跳ねてしまう。
慌てて手を引くと、レオンがそっとその手を取った。
「力を抜け。花も人も同じで、優しさは伝わる」
低い声に導かれ、二人の手が重なる。水はやわらかい滴となって土を潤し、色鮮やかな花が揺れた。
「……ありがとう。なんだか、ちょっと自信がついたかも」
柚希が照れくさそうに笑うと、レオンも微笑んだ。
「その調子だ。お前の笑顔は、俺にとっても力になる」
不意に心臓が跳ね、柚希は視線を逸らした。
胸の奥で、確かに温かなものが育っている。
「ユズキ!」
元気な声とともに、ルカが駆け足で庭に現れた。
「果樹園の方に、珍しい鳥が巣を作ってたんだ! 小さな雛までいるんだよ!」
「本当に? 見に行きたい!」
はしゃぐルカの手を柚希は取り、二人で駆け出した。
レオンもその後ろ姿を追いながら、ふっと目を細める。
戦乱や陰謀に晒されてきたこの国で、こんな光景がどれほど尊いか──彼はよく知っていた。
夕暮れ。
小さな食卓を囲み、ルカが拾った果実や鳥の話を弾んで語る。
柚希は耳を傾けながら、笑みを絶やさずにいた。
──この日常が、ずっと続いてほしい。心からそう願った。
だが、その同じ頃。
王都の外れ。
夜霧に包まれた村で、牛舎の扉が破られ、家畜が血を抜かれたように倒れていた。
逃げ惑う人々は口々に「黒い霧の怪物」を見たと恐れ、家に鍵をかけて震えている。
やがて不安の声は、密やかな噂となって王都の門へ届き始める。
それは、静かな幸福を覆い隠す影のように、確実に近づいていた。