第36話 孤立する聖女と陰謀の影
王都に戻ってからの日々は、柚希にとって決して安らげるものではなかった。
街を歩けば「聖女様だ」と囁かれる。
その声に温かな敬意が混じる一方で──冷ややかな視線も同じくらい向けられていた。
「……あの娘、本当に聖女なのか」
「帝国に狙われたというが、むしろ繋がっているのでは」
そんな噂が背後から聞こえてくる。
柚希は足を止め、うつむいた。
──災厄。昨日の囁きが、また胸に蘇る。
「顔を上げろ」
低い声に振り向けば、すぐ傍にレオンが立っていた。
彼の瞳は真っ直ぐで、揺れることがない。
「……レオン様、皆、私を……」
「気にするな。真実は一つだ」
「でも……」
「俺が見てきたお前は、人を救う者だ。それで十分だ」
レオンの言葉は心強かった。
けれど、王都に渦巻く疑念は日に日に強まり、柚希を蝕んでいく。
その頃、王城の一室。
重厚な扉の奥で、ガルシアンは密やかに誰かと交わっていた。
「……聖女の心に“種”は植えた」
「順調、ということか」
返事をしたのは、黒衣の男。帝国の密使だった。
「帝国は彼女を“器”として迎え入れる準備を整えている。お前の役目は、彼女を疑念と孤立に追い込み、我らに差し出すことだ」
「心得ている。あの娘は脆い。自らの存在を疑わせれば、すぐに崩れる」
ガルシアンの目が薄く笑む。
「いずれ、光は闇に呑まれる。……それでこそ我が研究も完成する」
黒衣の男は静かに頷き、闇へと溶けて消えた。
その夜、柚希は眠れずにいた。
王都の空は澄んでいるはずなのに、心は曇り続ける。
──私は、本当に聖女なの?
──それとも、災厄なの?
目を閉じれば、村で救った人々の笑顔が浮かぶ。
けれど同時に、囁かれた言葉も消えない。
「……レオン様」
小さな声で名を呼んでも、返事はない。
彼は今も、どこかで剣を研いでいるのだろう。
──もし、私が本当に災厄なら……この人は……。
胸が痛む。
涙を拭いながら、柚希は小さく拳を握った。
「……私は、災厄じゃない。絶対に」
その言葉は、夜風に溶けるほどに小さかった。
だが確かに、彼女の心に灯る意志の欠片でもあった。