第35話 王都への帰還と不穏な視線
長い街道を抜け、ようやく石造りの城壁が見えてきた。
朝日を浴びて輝く王都の姿に、柚希は思わず足を止める。
「……戻ってきたんですね」
「そうだ」
隣で馬を引くレオンの声は淡々としている。
けれど柚希にとって、この帰還は胸を締め付けるほどの緊張を伴っていた。
王都の人々は彼女を見るなり、ざわめき始める。
「聖女様だ……」
「本当に生きておられたのか」
「帝国に狙われていたと聞いたが……」
人々の視線が一斉に注がれる。
期待と憧憬。
疑念と恐れ。
その全てが重くのしかかり、柚希は無意識にレオンの袖を握りしめていた。
「気にするな」
小さく囁かれ、柚希は顔を上げる。
──そうだ。隣に彼がいる。それだけで。
城門を抜け、王城へと迎え入れられた。
白大理石の回廊を歩むと、既に宮廷の重臣たちが列を成して待ち構えていた。
「聖女様、お戻りになられましたか!」
「よくぞ……帝国の魔手から逃れられましたな」
言葉は歓迎のようでありながら、どこか探るような響きも含んでいる。
柚希は思わずうつむき、視線を彷徨わせた。
その時──背後から冷たい声が響く。
「……果たして、本当に“聖女”と呼ぶに値するのか」
空気が凍る。
振り向くと、長衣を纏った一人の男が立っていた。
白髪混じりの髪に、鋭い鷹のような眼差し。
宮廷魔導師団の長、ガルシアン。
「ガルシアン殿、それは……!」
慌てる重臣たちをよそに、彼は柚希を値踏みするように見据えた。
「聖女と持ち上げられてはいるが……災厄を呼ぶとも噂されている。帝国が狙うのも、利用価値があるからに過ぎまい」
柚希の胸が痛む。
まるで昨日の刺客の囁きを、そのまま口にされたようで。
だが、間髪入れずにレオンが前へ出た。
「ガルシアン。口を慎め」
「ほう。王子殿下は、随分と聖女殿を庇われるのですな」
「庇う必要などない。事実を見ろ。村を救ったのは彼女だ」
「……ふむ」
ガルシアンの目が一瞬だけ細まり、口元に笑みが浮かぶ。
だがそれは決して温かいものではなく、むしろ不気味な冷たさを帯びていた。
「いずれ真実は明らかになるでしょう。聖女様──あなたが救いなのか、それとも……」
その言葉を残し、彼は背を向けて去っていった。
残されたのは、重苦しい沈黙。
柚希は立ち尽くし、胸の奥で小さく囁いた。
──私は、本当に……救いになれるの?
隣でレオンの手が、そっと彼女の肩に触れる。
その温もりだけが、揺れる心をつなぎとめていた。