第32話 帰路の誓いと帝国の影
朝日が昇り始め、森の木々を金色に染めていく。
化け物が倒れた跡地にはまだ焦げた匂いが漂い、静けさが戻ったとはいえ、緊張の余韻は消えていなかった。
柚希はレオンと並んで、村を後にしていた。
背後では村人たちが見送ってくれている。誰もが深く頭を下げ、祈るように手を合わせていた。
──聖女様。
その呼び声が、耳から離れない。
偽りの花嫁としてこの世界に来たはずなのに。
でも、今日だけは。ほんの少しだけ、胸を張れる気がした。
「……疲れたか?」
不意に隣のレオンが声をかけてきた。
「えっ? あ、いえ……」
「顔に出ている」
短い言葉に、思わず頬が熱くなる。
彼の横顔は相変わらず鋭く冷たいのに、どこか安心できる不思議な温もりを帯びていた。
柚希は唇を噛みしめ、勇気を出して口を開いた。
「あの……私、怖かったです。化け物が現れて……逃げたくて……でも……」
「でも?」
「でも、もう逃げたくないって思ったんです。誰かを守れるなら……聖女って呼ばれても、少しは……受け入れてもいいのかもって」
レオンはしばし沈黙した。
やがて、わずかに口元をほころばせる。
「ようやく、お前らしい答えを見つけたな」
「……私らしい?」
「そうだ。お前は最初から、人を守ろうとしていただろう。自覚していなかっただけだ」
その言葉に胸が熱くなり、思わず視線を落とす。
──この人は、いつも私を見てくれているんだ。
「ユズキ」
「は、はいっ!」
「お前が選ぶ道がどんなものであっても……俺は守る」
その誓いのような言葉に、柚希の胸が高鳴った。
頬に触れる朝風さえ、涙がにじむほど優しく感じられる。
一方その頃──帝国。
暗い地下室に、黒い法衣を纏った魔導師たちが集まっていた。
床に描かれた魔法陣が淡く光り、中心には砕け散った魔獣の欠片が置かれている。
「……失敗した、というのか」
低く響く声。
奥に座る壮年の男が、怒気を孕んで弟子たちを睨めつけた。
「はい……聖女の力によって、魔獣は討たれました」
「聖女……ふん。やはり生きていたか」
男の名はヴァルター。帝国魔導院の長にして、禁忌の研究を率いる者。
彼の口元に、冷酷な笑みが浮かぶ。
「ならば好都合だ。我らが“器”を完成させるには、聖女の血が欠かせぬ」
「まさか……直接、動かれるおつもりですか」
「無論だ。レオンごとき小僧に邪魔はさせん。聖女は必ず我が手に落ちる」
魔法陣の光が強まり、地下室の空気が震えた。
闇が広がり、帝国の陰謀はゆっくりと、その姿を現し始めていた。