双つの影
アルタリア帝国首都ヴァルミナ。帝国軍参謀本部の地下室にて、老将ガロス・ヴェルダンは苦々しく地図を睨んでいた。老いた指が線をなぞるたびに、塹壕、要塞、燃えた村が頭に浮かぶ。
「和平だと?この百年、我らは何のために血を流した…」
背後で若き将校が応える。「終戦は皇帝陛下の意志にございます」
「陛下には、現場の痛みが届いておらぬのだ。ならば、我々が教えてやる必要があるな」
一方、ベルーラ大公国の首都タルドンでは、諜報機関の古参将校アルマン・シュテファンが地下書庫の一室に集められた親衛将校たちを前に言った。
「協定は、我らの犠牲を裏切る。大公殿下が腰を折ろうが、我らは国の誇りを汚させはせぬ」
「…しかし殿下はもはや軍に命令できる立場では」
「ならば影で動けばよい。混乱を作り、和平を“自然に”破綻させる。それでよいのだ」
第一の歯車:中立地帯の襲撃
終戦協定が調印される予定の都市ヴィストールは、両国の国境にまたがる旧王国の中立都市であった。
アルタリアの将軍ガロスは、「過激派ベルーラ兵が式典前日にアルタリアの補給部隊を襲撃した」という偽情報を流すよう部下に命じた。
同時にベルーラ側のシュテファンは、都市警備を務める傭兵の中に私兵を紛れ込ませ、帝国側外交官の宿舎を小規模に爆破するよう命令していた。
両事件はほぼ同時に発生し、いずれも相手の仕業として報道された。帝国新聞は「和平を裏切ったベルーラ」、大公国の通信社は「帝国の陰謀」と声高に叫んだ。
第二の歯車:証拠の捏造と暴露
ガロスは密かに帝国側の情報局に命じ、協定に反対するベルーラ側議員が帝国将校と通じていたという偽文書を流布させた。大衆は「和平を結ぶことで祖国を売った」と激昂した。
一方シュテファンは、ベルーラ貴族の一人が和平と引き換えに帝国から莫大な資金を受け取っていたという「裏帳簿」を公開、軍人たちに「協定は腐敗の産物だ」と印象づけた。
第三の歯車:協定調印式当日
調印式典の場に、両国から多数の軍人と政治家が集まった。
式の直前、アルタリアの警備兵が会場近くで不審な銃声を聞いた。直後、ベルーラ側の将校が一人、帝国兵に射殺された。混乱の中で帝国側外交団の車列が発砲され、ベルーラの警護部隊が反撃。
その銃声は、遠くで見守る大衆に「開戦再来」の恐怖を与え、数時間後には両国の国境地帯で兵の再配置と演習が開始された。
結末:共作されし陰謀
式典は中止され、和平は破綻した。
だがアルタリアの老将ガロスも、ベルーラの諜報将校シュテファンも、お互いの動きを完全には知らなかった。
それぞれが、それぞれのやり方で「戦争の継続」を選んだだけだ。だが結果はまるで連携していたかのような、見事な破壊工作となった。
冷たい風が吹き荒れる中、両国の国旗が再び掲げられた。そして前線では、若い兵士たちが銃を持ち、理由もわからぬまま塹壕に伏せた。
百年の戦争は、再び「始まらずに終わるはずだった戦争」として、続いてゆくのだった。