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オーバードーズ・コード  作者: 狗島 いつき
第2章 メディナ編 (全25話)
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第09話:赤い目と赤いサプリ


 外はすっかり日が落ち、空の端にかすかな赤い名残が漂っている。


「で、ここからどうやってウィル社まで行くつもり?」

 歩みを止め、シエルがカインの顔を覗き込んだ。

「暴動の警戒はまだ解かれてないし、陸自のドローンも飛んでる。下手に映ったりしたら、あとあと面倒になるんじゃない?」


 カインは2人を説得し、ウィル社に乗り込むことを提案した。

 メディナの赤い目やサプリのことは伏せたまま、現状ではメディナの異常を調査するのには、それが最善だと断言した。「暴動で混乱している今がチャンスだ」とも付け加えた。


「足ならある」

 そう言って指さしたのは、彼がここまで乗ってきた車だった。無残に壊れたまま、道路の端に捨て置かれている。

「……まさか、これに乗るって言うの?」

 アリスが絶句した。


「ちょ、ちょっと待って! 仮に動いたとしても、あなたの運転はムリ! 私、死にたくないから!」


 隣で見ていたシエルも、困惑を隠せない。


「だったらどうしろってんだよ。動きゃ十分だろ。見た目なんざ、乗ってりゃわかんねぇよ」

「……そういう問題じゃないのよ。この車で走れば、間違いなく途中で止められる。目立ちすぎるわ」


 シエルがため息をついた。前後のバンパーは吹き飛び、ボディは傷だらけ。エンジンがかかると言われても、命を預けるには覚悟が要る。


「じゃあ、どうしろってんだよ。他に案があるのか?」


 そのとき、アリスがタブレットを操作していた指を止めた。


「あるわ」


 少し得意げに言い放つと、踵を返す。

「ついてきて」


 先を歩き出したアリスの背を見送り、カインとシエルは目を合わせ、無言のまま後を追った。



 アリスが向かった先は、雑多な通りに紛れ込むように建っていた古びたビルだった。

 輸送庁の出張所、とは名ばかりで、看板すら外され、見るからに廃れた雑居ビルだ。

 一階部分にはグレーのシャッターが閉じられており、風雨にさらされた「駐車禁止」の文字が、ところどころ剥がれかけていた。


「ここに、何があるってんだ?」


 カインが眉をひそめると、アリスは答えず、左腕のウェアラブル端末を操作した。

 金属が軋むような低音と共に、シャッターがゆっくりと巻き上がっていく。


「中枢街区に入るには、これが一番確実なの。政府の車なら、検問もスルーできる」


 そう言って、アリスは半分ほど開いた隙間を身を屈めてくぐった。

 それに続いて中に入ると、センサーライトがパッと点灯する。


 照らされたのは、1台の漆黒のリムジンだった。無人運転型、中枢街区専用の公用車――政府関係者だけが使用を許される特権の乗り物だ。


「うお! こりゃまた、太っ腹だな」

 カインが口笛まじりに言うと、シエルも思わず目を見開いた。


「ニュースでしか見たことない。これ、本物?」

「もちろん本物よ。フェイクを用意するなんて、そっちのほうがよっぽど手間なんだから」

 アリスは得意げに胸を張る。

「これでウィル社に向かえば、少なくとも門前払いはされないはず。ただ……」

 言葉を切り、彼女の表情にかすかな陰りが差す。


「ウィル社に正面から行ったって、中には入れないでしょうね……ましてやメディナに会うなんて……」


 カインは軽く肩をすくめたが、確信はあった。

 シエルの家で聞こえた声が本物なら、メディナは自分たちの訪問を拒否しないはず。


「中に入ってから考えるさ」


 カインはわざと軽く流した。



 中枢街区。

 政治機関、都市管理AIの中枢、そして情報管理本部――新東京の頭脳とも言える機関がすべて集約された区域だ。厳重な監視体制のもと、一般人の立ち入りは原則として許可されていない。

 

 ウィル社の本社ビルは、その中心にそびえていた。滑らかなガラスの外壁に覆われた塔は、まるで人工的な天柱のように空を突き刺しており、周囲のどの建造物よりも異質で、どこか不気味な存在感を放っている。


 政府公用車であるリムジンは、何の検問も受けることなく正面ゲートを通過した。

 顔認証もナンバー認証も、すべてアリスの政府認証タグが本物であるため、警備ドローンが一瞬こちらを見たが、それきりだ。


「……意外とあっさり通れたわね」


 シエルが小声で呟くと、アリスは肩越しに笑った。


「こういうのは、あっさり通れるからこそ怖いのよ。裏で何を記録されてるか分からないもの」


 リムジンはゆっくりと坂を下り、ビル地下の専用駐車場へと入っていく。

 照明の落ちた静謐な空間。壁に沿って並ぶのは、どれも高級感のある黒塗りの車ばかりだった。無人の警備ロボが巡回していたが、特に干渉されることもなく、リムジンは滑るように指定エリアに停車する。


「……問題なさそうね」


 車を降りたアリスが周囲を確認しながら言う。

 カインは手早く後部座席のドアを閉めると、駐車場の奥を指差した。


「じゃあ、行くか」

「ちょ、ちょっとどこ行くの?」


 カインの足取りに迷いはなかった。

 彼自身にも説明がつかない、何かがあった。


 3人は足音を殺して歩き出す。

 人気のない、薄暗い場所にたどり着いた。

 

「それで、どこに行くの? ウィル社の担当だからって、どこにでも行けるわけじゃない。私が許可されているのは、会議室と打ち合わせフロアだけよ」


 アリスの質問に答えたのはシエルだった。


「搬入用のエレベーターが使えるはず……」

 彼女は呟くように言って、鉄の防火扉に手をかけた。


 誰も口にはしなかったが、その場にいた3人は、すでに心の奥で覚悟を決めていた。

 これはただの「侵入」ではない。

 新東京という心臓に足を踏み入れることになるのだから。


「……私に、考えがあるわ」


 沈黙を破ったのは、シエルだった。

 その声に、カインとアリスの視線が揃って向けられる。

 カインはわずかに顎を引いて頷き、アリスは彼女を一瞥するも、言葉は返さなかった。


「私が勤めていた頃、職場のフロアへ行くのに搬入用のエレベーターを使ってたの。混雑を避けたくて……いつも裏手から出入りしてた。フロアボタンは、地上68階、地下B5まであったわ。ただ、地上より下の階には降りたことがない」


 その一言に、カインの眉がぴくりと動いた。

 確証はない。けれど、賭けてみる価値はある。

 アリスもまた、短く息を呑み、無言のまま頷いた。


「私の認証IDがまだ使えるなら……乗れるはずだけど」


 語尾が濁る。曖昧な自信が、彼女の瞳に影を落とした。

 だが、カインは鼻を鳴らして笑った。


「上等だ。どこに行こうが、それだけメディナに近づけるってもんだろ。シエル、案内してくれ。IDが通るか、試してみようぜ」


 彼女の先導で、防火扉をあけ、先に進む。その奥に「STAFF ONLY」と表示されたもう一つの鉄扉があった。無骨な防火扉。分厚いその質量が、彼らの進路を無言で拒んでいるようだった。


「この奥か?」

「……うん。でも、監視カメラと守衛室があるわ」

「今さらだろ。通報されてたら、とっくに捕まってる。黙って見逃してるのは……まあいい。どっちにしても、もう後戻りはできねえ」

 カインはニヤリと笑い、ためらいなく扉を開けた。


 機械音が最初に聞こえ、空気が変わる。開けた先には、3基の搬入用エレベーター。

 天井のカメラが2基、こちらを見下ろしていた。

 正面には、ガラス張りの守衛室。


 足を踏み入れた瞬間、守衛の男が顔を上げる。鋭い目つきが一瞬で空気を緊張させた。


「あんた……」


 声は聞こえない。だが口の動きでわかった。

 カインが動こうとした、そのとき。


「ごめんなさい。ちょっとエレベーター借りるわね」


 シエルが一歩前に出て、エレベーターを指差す。

 守衛はしばし目を細めたあと、小さく頷いた。


「しばらく見なかったけど……何かあったのかい?」


 ガラスの下にある小窓を開け、やわらかな声が届く。

 シエルは唇を噛み、「……ええ。ちょっと体調を崩してて」と答えた。


「そうかい。無理しちゃいかんよ」


 シエルは何も言わずに俯く。握った拳に、わずかに力が入った。

 彼女が認証IDをリーダー装置にかざす。すると「ポン」と短い電子音が鳴り、最奥のエレベーターが到着を知らせる表示を点灯させた。

 数秒後、柔らかな案内音が鳴り、該当の扉が静かに開く。がらんとした無人の箱、無機質な空間が口を開けた。

 3人は無言のまま、足を踏み入れる。


 シエルがカインを見る。

 どの階数ボタンを押すのか。本人もアリスも知らない。


 カインは迷わず、「B5」を押す。


「地下に行くのね」

「どうして?」


 2人同時に質問が飛んだ。

 カインは、頭を指さしただけで何も言わなかった。


 扉が閉まり、ゆるやかに下降する。

 静まり返った空間。

 壁面のカウントダウン表示が、緩やかに数字を刻んでいく。


「この先、どうなってるのか……知らないんだな? 2人とも」

 カインの問いかけに、数秒の沈黙が落ちる。


「……ええ」

「うん……」


「俺に考えがある。質問はなしだ。黙ってついて来れるか?」


「わかった」

「……いいわ」


 不確実な言葉が、会話の締めくくりとなる。

 同時に、エレベーターが静かに停止した。


 開いた扉の向こうは、フロアオフィスのようだった。

 無機質な白壁、案内表示のない廊下が延びる。


「さて、どうするか」

 カインが天井を見上げるように言った。

 そのときだった。

 何機かある監視カメラの一つが、赤く点滅していた。

 対物センサーでもついているのかと、カインは一歩動いてみるが、点滅しているのはそれだけ。


「こっちだ」


 確信めいたカインの言葉に、アリスとシエルは顔見合わす。だがすぐに、そっぽを向いて後を追った。


 何度か角を曲がり、ドアの前に立つ。

 

「ここになにかあるの?」


 シエルが確認する。通り過ぎたどのドアにも案内プレートはなく、同じドアが並んでいるだけだった。

 カインは質問に答える代わりに、ドアノブに手をかけて回す。


「カチャッ」


 特に認証キーのようなものはなく、あっけないほど、すんなりと開いた。


「ちょっと、拍子抜けね……」


 アリスがぽつりと呟く。

 カインが先に部屋の中へと足を踏み入れた。

 無機質な空間に並ぶのは、ガラス張りのボックス群。その内部には、モノリスのような黒い物体が、沈黙を保ったまま鎮座している。

 初めて目にする光景に、カインは思わず眉を上げた。


「これが、メディナか? 小型の冷蔵庫みてえだな」

「そんなわけない。これは、メディナの端末よ。私も何度か使ったことあるわ」


 シエルがボックスに近づいて言った。どことなく懐かしい響きが含まれていた。


「基本は音声でやり取りするから、入力装置は付いていないの」


 説明しながら、シエルは迷いなくボックスの扉を開けると、無造作にモノリスへと声を投げかける。


「メディナ、聞こえる?」


 次の瞬間、機械的な声が空間を満たした。


『はい。認証タグを表示してください。生態認識データに該当社員は見当たりません』


 ボックスの奥で、モノリスの「目」が青く発光し、スキャンの光がシエルの身体をなぞっていく。

 やがて光が止まり、シエルは無言のまま扉を閉める。

 そしてこちらを振り返り、肩をすくめた。


「本社の端末は、メディナの登録がないと動かないわ」


 カインはしばし黙ってモノリスを見つめていたが、やがて一歩、前へと進み出た。


「俺がやる」


 その言葉に、アリスが即座に反応する。

「ちょっと! まさかアレを使う気? ログが残るのよ!」


 だがカインは無視して、ニヤリと笑う。

 視界が揺らぎ、赤い光が脈打つ。

 『カフカC-12』が脳裏を刺す。


「……メディナ、強制執行モードだ」


 青い粒子がざわめく。


「ちょっと!」

 アリスが声を上げるが、もう遅かった。


『エージェント鞍馬カイン、認識。あなたは当社の社員ではありません。会話を続けるには――』

「うるせ! 裏モード実行だ。今すぐやれ」


 命令と同時に、モノリスの「目」が痙攣するように瞬く。青だった光が、「ジジッ」というノイズとともに赤に変わった。


『裏モード、実行しました。――鞍馬カイン、あなたが来るのを待っていました』



(第2章 第10話に続く)


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