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オーバードーズ・コード  作者: 狗島 いつき
第2章 メディナ編 (全25話)
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第08話:接続の残響


 意識が闇に溶け、深い静寂に沈んだ。

 次にカインが目を開けたとき、ぼんやりとした視界に埃の粒子が漂い、体が鉛のように重かった。柔らかなソファの感触に包まれ、鼻をつくのはかすかな布の匂い――洗剤の残り香だった。

 

 ゆっくりと首を動かす、見覚えのあるピンクのカーテンが揺れていた。


 ここは……。


 思考がそこまで届くより早く、鈍い痛みが後頭部を打った。呻き声を漏らしながら、カインは頭を押さえ、身を起こす。

 視界の端。ひとつの影が、ぼんやりと形を成していた。


「……起きた」


 その声に、カインは瞬きを一度だけ挟んだ。

 カウンター。その向こう側に、女がいた。


 藤間シエル――Tシャツの上に薄手のジャケットを羽織り、カウンターに片肘をついている。

 数日前に見たはずのその姿が、今はどこか違って見えた。頬はややこけ、目の下には薄い隈。だが、瞳の奥に宿る冷えた光だけは、あのときと同じだった。


「ここは……」


 口を開くと、彼女はごく自然に答えた。


「私の家。倒れたあんたを運んできたのよ」


「なんで……お前が」

 問いをぶつけると、シエルは少しだけ目を開き、「頭ぶつけて、記憶でも飛んだ?」皮肉を滲ませた声だった。

「……そっちこそ。暴動が起きてるってのに、なんで――」


 カインの言葉が、自身の意識を呼び覚ました。


「おい、暴動はどうなった?」


 急くように問うカインに、別の女性が答えた。


「今、第5スラムは完全に包囲されている。入ることも出ることも出来ない状況よ」


 口調は軽かったが、怒気が含まれている。


「アリス――、メディナの状況は?」


 アリスはタブレットを操作し、「サプリ生成エラー《E11W90ZX》は、16時34分に解消された。通信状況も回復してる。理由は不明だけど」と言った。


 偶然にしては、できすぎている。

 だが、引っかかっているのはそこだけじゃない。


 『――接続開始』


 繋がりかけた点が、ふたたび霧の中で散り散りになる。


「詳しく教えてくれ」

「二時間前、陸自が介入して鎮圧。混成街区S-03-E34……ブライトヤードの北西に臨時のテントを設営して、怪我人の手当と尋問が進められてる」


 アリスの声は淡々としていたが、どこか張りつめた空気を含んでいた。

 カインは視線を移す。


 タブレットを手にした辻村アリスは、疲労の色があった。


「現在、ブライトヤード一帯は危険区域に指定されて、完全封鎖中。……それ以外なにもわからない」


 ため息交じりにそう言いながら、アリスは虚空に視線を投げる。


「……どういうことだ?」


 問い返したその瞬間――脳裏に、鈍く鋭い衝撃が走った。


「……っ!」


 思わず眉をひそめ、カインは額に手をやる。


「どうしたの、大丈夫?」

 シエルの声が、遠くから聞こえるように響いた。

 目の奥が焼けるように痛む。現実が少しずつ遠のき、代わりに何か、名もなきざわめきが頭の内側を這う。

 

 まずい。誰もいなければ、弱音を吐いていただろう。

「……だ、大丈夫だ。それより尋問って、何のことだ?」


 無理やり声を絞り出すと、今度はシエルが応じた。


「その女なら、知ってるんじゃない?」


 シエルは冷ややかに言い放ち、顎をしゃくってアリスを指した。

「まだヘルスケア省に残ってるなんてね。……昔は、メディナの未来を一緒に夢見てたはずなのに。政府の犬でも飽き足らず、今度はウィル社の忠犬ってわけ?」


 手にしたマグカップが小さく震えていた。指先に力が入りすぎている。怒りか、あるいは悔しさか。そのどちらにも見えた。


 アリスの瞳が、冷たい光を帯びる。

「よく言うわね。ウィル社を裏切ったあなたが、何を今さら。あのプロジェクト、覚えてる? 私たちにとって絶対だったのに……あなたはそれを平気で見捨てた。スラムでサプリを流してるって話、本当? ただ責任から逃げてるだけじゃないの?」

 彼女の声は一瞬震え、すぐに冷たい鋭さを取り戻した。

「それとも、何か企んでるの?」


 タブレットを握る手に、アリスの爪が深く食い込む。抑えきれない感情が顔にも現れていた。


 言葉が途切れた。

 誰もが次の一言を待っていた。だが、張りつめた沈黙だけが場を支配した。


「なんだ、お前ら、顔見知りだったのか?」

 カインが、無造作にその空気を割った。

 2人はほぼ同時に視線を逸らす。答えは、言葉ではなくその沈黙が物語っていた。


「だったら、自己紹介は必要なさそうだな」


 カインはあえて険悪な空気には触れず、話を前へと押し進めた。

 彼にとって、感情のぶつかり合いよりも重要なのは、「今」なにが起きているかだった。


「時間が惜しい。暴動の鎮圧までは聞いた。だが、「尋問」ってのはどういう意味だ? スラムの住人を片っ端から捕まえて、締め上げてるのか?」


「……違うわ」

「そうよ……」


 二つの声が、同時に応じた。だが、内容は真逆だった。

 カインは思わず額を押さえる。


「おいおい、勘弁してくれ。お前らがどういう了見でいがみ合ってるのかは知らねえが、後にしてくれ。こっちはメディナのエラーとやらを調べなきゃならねえんだ」

 静かに放った言葉だったが、その芯には確かな圧があった。


 シエルもアリスも、すっと黙り込む。数秒の沈黙。その隙を縫うように、カインはシエルへと視線を向けた。


「シエル、お前言ってたよな。メディナがおかしいって。サプリに手を出したスラムの人間が中毒を起こしたって。――そいつらが暴動を起こしたのか?」


 問いかけには、確証を求める響きがあった。シエルの目がわずかに揺れる。だが、彼女はすぐに視線を戻し、答えた。


「……たぶん、そう。私が直接見たわけじゃないから、本当かどうかわからないけど、スラムの近くの人が、中毒者が暴れてるって言ってた。でもあれは、自分の意志で暴れたりしない。そんな症状じゃない。誰かが、意図的に暴れさせた。そうとしか思えない」


 確信とも迷いともつかない響きが、声の端に残る。

 シエルは無言でタブレットを取り出すと、数回の操作を経て画面をカインへと向けた。


「あれから、メディナのログを解析したの。でも、メディナが情報公開を拒否した。そんなこと一度もなかった。サプリ生成エラー《「E11W90ZX》、覚えてる? あんたがエラー報告を求めた」


 カインは無言で頷いた。

 その件はまだ、小鳥遊に報告していない。

 シエルの目が細くなる。声も、わずかに低くなった。


「ウィル社が、メディナに何かを隠してる。このコード……メディナのコアに近い部分でしか発生しないはず。だから……これはもう、誰かが意図的に仕込んだとしか思えない」

「……隠蔽ってことか?」


 カインの問いに、シエルは唇を噛んだ。

「まだ確証はない。でも、暴動と……関係あるかもしれない」


 アリスが話を遮るように口を開いた。


「話の途中で悪いけど。こっちもいろいろわかってきたわ。いま尋問を受けてるのは、暴動を引き起こした連中よ。陸自のドローンが割り出した人物たち」


 そこで言葉を切ると、彼女は小さく首を振った。


「でも……なぜエラーが発生したのか。どうして回復したのか。どちらも不明のまま。原因も、理由も、いまはまだ見えてこない。調査が進めば、いずれ分かるとは思うけど……」


 その話を聞いた瞬間、カインの脳裏にあの闇に響いた、無機質な声がよみがえった。


 『接続開始』


 ぞわり、と背筋を冷たいものが這い上がる。

 あれは偶然なんかじゃない。

 何かが、確実に動き出している。

 そして、自分の身に起きたあの現象と、暴動、エラー―すべてが、どこかで繋がっている気がしてならなかった。


「わかった。要するに、自分の目で確かめりゃいいってことだな。だったらメディナに直接聞くのが一番手っ取り早い」


 カインは静かに立ち上がると、そのままディスペンサーの前にたった。

 

「おい、メディナ。エラーを報告しろ、今すぐだ」


 ディスペンサーの目が青く光る。

 いつもならメディナの声が聞こえるが、反応がない。


「アリス、接続は戻ってるんだよな?」

「そのはずだけど、どうして?」

「反応が――」


 カインが言い終える前に、ディスペンサーの『目』が光りはじめた。青いはずの光が赤に変わっていた。


『エージェント鞍馬カイン、認識。エラー報…[-X-#*]…告=Connection_Lost[#X!]_Signal=Err…』

「ん? なんだ」


 メディナが意味不明の言葉を発した直後、カインの頭に釘を叩き突きつけるような衝撃が走る。


「……っ!」


 激痛で膝をつきそうになり、なんとか堪える。


『第3フェーズに移行。鞍馬カイン、メディナに会いに来なさい』


「な、なんだと!?」


『時間がありません。そこですべてを話します』


 ディスペンサーの赤い目が脈動し、部屋全体を不気味な赤に染めた。「ジジッ……」と耳障りなノイズが響き、カインの肌に冷や汗が滲む。

 次の瞬間、跡かたもなく消え失せ、静寂に包まれる。


「クソ……」

「どうしたの、鞍馬君?」

 異変を感じたアリスが声をかける。


「……お前ら、今の聞いたか?」


 こめかみを押さえながら振り返る。

 カインの正気を疑うような眼差し。


「ねえ、本当に頭ぶつけて、おかしくなった?」


 シエルの声に、アリスも頷く。

 聞こえていない?


「赤い光も……か?」


 返事はない。


「……わかった、気にするな」


 カインが見たもの、聞いたものは、二人には見えず、聞こえなかった。

 その事実を理解する間もなく、ディスペンサーから一粒のサプリメントが生成された。

 受け口を覗き込んだカインの目が大きく見開かれる。

 

 そこには、真っ赤なカプセルが一つ、静かに排出されていた。



(第2章 第09話につづく)


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