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オーバードーズ・コード  作者: 狗島 いつき
第2章 メディナ編 (全25話)
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第05話:静かなる監視者


 翌日。

 スラムから戻った鞍馬カインは、頭痛に悩まされ一睡もできずに出勤していた。

 目の下にはうっすらと隈ができ、眠れなかったことは一目瞭然だった。


 社内は昨日の件で騒然としており、社員たちは慌ただしく動き回っている。

 カインはその中に、後輩の雲坂ユウトを見つけて呼び止めた。


「おい、混成街区の件はどうなった?」

「おはようございます。って先輩。昨日の緊急会議、出てなかったですよね? 部長、怒ってましたよ」

「うるせえ。放っときゃいい。で、どうなってる」


 雲坂はしぶしぶタブレットを差し出した。

「これ、見てください」


 画面には、混成街区のほぼ全域(詳細は別紙)のメディナが一斉にサプリ生成エラーを出したという報告が表示されている。原因欄には「不明」や「調査中」の文字がずらりと並び、正常動作とされる項目はひとつもなかった。


「正直、まいりましたよ。ウィル社もクレーム処理に動いてくれてるみたいですけど、結局うちの仕事じゃないですか? 営業も管理者も、みんな対応で外出中です」


 なるほど。矢崎ハサの姿が見えないのは、そのせいか。

 こんな日に、あの甲高い声を聞かずに済むなら、それだけで救いだ。


「わかった。そのデータ、俺のタブレットにも転送しておいてくれ」

 雲坂は小さくうなずき、周囲に視線を走らせたあと、声をひそめた。


「……あの、先輩。朝から部長室に政府の偉い人が来てるみたいなんです」

「政府の人間? 誰だ?」

「そこまでは……でも、若い女性をひとり連れてました。秘書、ですかね?」

 雲坂は部長室の方向に目を向け、意味ありげに笑った。


「知るか。とっとと失せろ」

 怒鳴りつけると、雲坂は目を丸くして、慌ててその場を離れていった。


「チッ、どいつもこいつも遊びに来てんじゃねえぞ!」

 苛立ちを抑えきれず、カインは自席のデスクを足で蹴り上げた。


 椅子に深く腰を沈め、背もたれに体を預ける。

 サプリ型の頭痛薬を飲んでから、6時間以上が経っていたが、それでも眠気が取れず、頭痛も治らなかった。もっと強い薬をメディナにリクエストしようかと考えたが、やめておく。

 私用で使えば、あとで部長に何を吹っかけられるか分かったもんじゃない。


 矢崎ハサが不在のうちに、さっさと昨日の報告書を仕上げてしまおう——そう思った矢先だった。


「鞍馬さん、部長がお呼びです」

 内線を持った社員が、声をかけてきた。

「……いないって伝えろ」

「……」


 返事がない。

 聞こえていないのかと体を起こし、「めんどくせぇな。いないって——」と続けようとした瞬間、目の前に人影が立っていた。


 部長、小鳥遊レイコ。


「おはよう、鞍馬君。居留守なんてひどいじゃない? ちょっと来なさい」


 よく通る声。彼女の声が、カインの頭に鋭く響いた。寝不足と頭痛で限界のカインには、それが刺さるように感じられた。


「声がでけぇよ……」

 こめかみに手を当て、呟く。

「ん? 何か言った? あなた、昨日の会議をすっぽかしたんだから、大人しく言うことを聞きなさい。さ、行くわよ」

 声は穏やかだったが、笑っていない目が全てを物語っていた。



 部長室に足を踏み入れた瞬間、カインは思わず顔をしかめた。

 無機質な空気が、肌を撫でるようにまとわりつく。壁一面に整然と並んだ表彰状。その几帳面さに、元官僚らしい性格が滲んでいた。


 そんな空間の中心に、同化するような男が立っていた。


「紹介するわ。白石アルトさん。ヘルスケア省から来ていただいたの。私と同期なのよ」


 小鳥遊の言葉に反応し、男が微笑を浮かべる。

 鋭くも柔らかい目つき。隙のない立ち姿。そのすべてが計算され尽くしたような印象を与える。


「鞍馬さんですね。ヘルスケア省、白石アルトと申します。以後、お見知りおきを」

 名乗る声音は穏やかだったが、その奥底には一分の曇りもなかった。

 まるで磨き抜かれた刃物のように、整っていて、冷たい。


 ――ああいうタイプ、昔、指揮系統の上にいたな。

 忘れかけていた古い感覚が背筋を這い上がり、思わず奥歯を噛みしめる。


「クソ忙しいときに……政府の偉いさんが現場に顔出しとはな。お堅い省庁も、ずいぶんフットワークが軽くなったもんだ」

 嫌味のつもりだったが、アルトはまったく動じなかった。


「本件は、それだけ重大だということです。特に、第5スラムの「ブライトヤード」地区が一斉に停止したのは前例がありません。我々としても、慎重に動かざるを得ませんので」


 口調は丁寧。だが内容は容赦がない。

 それが、アルトという男の「やり方」なのだろう。


「……そうかよ。政府がスラムに関心があると思わなかったけどな。まあ好きにすればいいさ」


 カインはアルトの報告に興味なさげに応じ、椅子に深く腰を沈めた。

 自分に関係がなければ、どうでもいい――そんな態度だった。


 だが次の一言で、彼の目の奥に鋭い光が灯る。

「つきましては、現場には我々の人間を同行させます。鞍馬さん、あなたと一緒に行動していただきます」

「……は?」


 声のトーンが一段、低くなった。眠気も頭痛も一瞬忘れるほどだった。


「断る。足手まといはいらねえ」

 短く、鋭く。拒絶の言葉を投げる。

 だが、小鳥遊レイコは、静かに、そして微笑んだまま言葉を挟んだ。


「いいえ、鞍馬君。「同行」は昨日の会議で決まったの。あなたが最適任者だと、全会一致でね」

 その一言に、カインの眉間の皺が深くなる。


「……その会議に俺は」

「出てなかったわね。でも、出席していたなら文句も言えたでしょ? 残念だったわね」

 声音は柔らかいが、微塵も揺るがない圧があった。

 

 普段ならすぐに反応するところだが、頭痛と寝不足で反応が鈍っていた。だが、そんな自分に腹が立ち、すぐに冷静さを取り戻した。会議をサボった事実は変わりようがない。


 逃げ道のない理屈と、職務命令。それを笑顔のまま差し出すのが、彼女の「やり方」。

 カインは元官僚と現官僚の「やり方」に反吐が出そうだった。

 

 アルトが軽く手を振ると、後方からひとりの若い女性が一歩前に出た。

 スーツの肩にぎこちなさが残る。目元には、緊張の色が濃く滲んでいた。


「辻村アリスです。政府で渉外官をしています。ウィル社の折衝を主に担当しています」

 小さな声で名乗ったその女性は、まだ若い。

 

「彼女は今年で3年目です。現場経験は浅いですが、真面目で、何より適任です」

 アルトの声には、疑念を差し挟む余地がない。


「……付き添いのお姫様ってわけか。あいにく俺は、接待付きの現場なんざ性に合わない」

「現場判断は、すべて鞍馬さんに委ねます。彼女はあなたの動きを記録し、政府に正確な報告を上げる。それだけです」


 要するに、監視役ということだ。

 カインはしばし黙り込み、それからアリスをじっと見た。


 おどおどした目。だが、その奥にはかすかに光るものがあった。

 まだくすんでいるが、打たれれば輝きそうな未研磨の原石。


「ついてこれるなら勝手にしろ。ただし、俺の邪魔はするな。命の保証もできねえ」

 アリスは戸惑いながらも、かすかに頷いた。


「……分かっています。よろしくお願いします」


 その返事に、カインはひとつだけ感心する。

 言葉は震えていたが、目だけは、逃げなかった。


「良かったわね、鞍馬君」

「何がですか?」


 カインは小鳥遊のよそ行きの言葉に背筋がゾクッとした。


「深い意味はないわ。――そういえば、昨日の報告、まだだったわよね? 帰ってからでいいから、ちゃんと報告してくれる?」


 何気ない口調。けれど、その言葉の裏には、有無を言わせないものがあった。


 カインは返事をする代わりに、片手を上げて出ていった。



(第2章 第06話に続く)


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