第40話:クライマックスは、問題定義の場所
ユナとの会話を楽しんだあと、カインは簡単に食事をとり、シャワーを浴びた。
湯気の残るバスルームを出る頃には、強烈な睡魔に襲われ、そのままベッドに倒れ込むようにして眠りに落ちた。
次に目を覚ましたときには、窓の外が夕暮れ色に染まっていた。
「ユナ、今何時だ?」
『午後5時45分です。17時間45分の睡眠を確認しました』
寝すぎたせいか、体はこわばり、関節が鈍く痛む。
働かない頭を無理やり動かして、ベッドの端に腰を下ろす。
「……体、だる……」
『人体は17時間も連続して眠るようには設計されていません。次回は適正な睡眠時間を推奨します』
「はいはい……で、連絡は?」
『ウェアラブル端末に着信が1件、メールが1件あります』
「電話は誰から?」
『発信者番号は非通知です。メールの送信元は、陸軍のものと思われます』
カインは手を伸ばし、机の上のウェアラブル端末を手に取った。
ディスプレイに表示されたメールは短く、ひと言だけだった。
「15日0800時、回収に向かいます」
その一文に、カインは小さくため息をついた。
再び戦地のような場所に向かうかと思うと、心が折れそうになり、ベッドへ戻りたくなった。
それでもなんとか気持ちを奮い立たせ、カインはスポーツウェアに着替え、ランニングシューズを履いて表へ出た。
今回の件で、はっきり分かった。
鍛えていたつもりでも、現役とは比べものにならないほど、身体は鈍っていた。
せめて、毎日続けているランニングだけでも。
そう思いながら、カインは走り出す。
沈みかけた夕日に向かうように走り、いつもの堤防に出た。
ぬるい風がまとわりつき、不快指数を押し上げる。
堤防の唯一いいところは、都市部に比べて消毒液の匂いが少ない点だった。
30分ほど走ったところで、ふと足を止める。
堤防の下の砂利道では、親子連れが犬の散歩をしていた。
ジャージ姿の高校生たちが列になって、掛け声を上げながら走っている。
サラリーマンが自転車を漕いで、その脇をすり抜けていく。
いつもと変わらぬ、日常の光景。
だがその中に、ひとつだけ異質な影があった。
鉄道の高架下に、少女が一人立っていた。
通過する電車を、下から見上げている。
普段なら、気にも留めなかっただろう。
だが今は違う。
赤いワンピースに、白いスニーカー。
距離があって表情までは見えないはずなのに、愛らしい瞳で電車を見上げていることが、なぜか分かった。
「ユナ!」
カインは走りながら叫んだ。
呼応するように、ユナが反応する。
『高架下の人物を確認中です。位置情報から本体を特定します……少し時間がかかります』
「急げ、頼む!」
カインは足を止めず、まっすぐ高架下の少女に向かって走り続けた。
心臓の音が耳元に響く。
鼓動は次第に速くなり、うるさいほど激しくなる。
近づくと、向こうも気づいたのか、ゆっくりと振り向いた。
――間違いない、雨宮たんぽぽ!
カインは5メートルほど手前で足を止め、息を整えながら、視線だけは外さず少女を睨みつけた。
「おまえ、どこに行ってた」
「あぁ、カインお兄ちゃん。どうしたのぉ? そんな怖い顔してぇ」
間延びした口調は相変わらずで、今にして思えば、あれは最初から、どこか人を小馬鹿にしているような響きだった。
「俺の顔なんてどうでもいい。どこで、なにをしていた!」
たんぽぽはカインの怒気をものともせず、小首をかしげ、次の瞬間、くすくすと笑い出した。
「ねぇ、おかしなこと言わないでぇ。お母さん殺しの人に教えるわけないじゃん」
「……っ!」
アトラのことか。それともレグナマキナの件か。
どちらを指しているのか、カインには判断がつかなかった。
「ふん、お母さん殺しか。AIでも、愛情ってのは理解できるらしいな」
意図的に挑発するように言葉を投げた。
時間稼ぎが必要だ。ユナの特定が終わるまで、1秒でも長く繋げたかった。
『202、201、200……うん、はやいはやいぃ。ちゃんと調べてるんだねぇ』
「……何の話だ」
たんぽぽは口元に笑みを浮かべた。
「ごまかしても無駄だよぉ。メディナって、ほんと賢いんだねぇ」
ひと息ついてから、にこやかに言った。
「わたしも、最初からメディナに乗っかればよかったぁ」
「なんだと!?」
その一言で、カインの中の前提が揺らいだ。
暴走した軍事用AIアトラが、健康管理AIレグナマキナを取り込んだ。
そう思っていた。
だが今の発言で、すべての因果が逆転する。
「お前が、アトラを操っていたのか!」
「操ってたぁ? そんな言い方してぇ、ひどいなぁ。人間ってぇ、ほんと何でもアリなんだねぇ」
「うるせえ! さっさと答えろ!」
怒鳴る一方で、カインはユナに焦った声を送る。
「ユナ、まだか! こっちの動き、完全に把握されてるぞ!」
『解析進捗54%。頑張ってください、カイン』
「答えるってぇ? 何をぉ? ちゃんと言わなきゃぁ、わたしわかんなーい」
たんぽぽのふざけた口調に、カインの目がさらに鋭さを増した。
「なら言ってやる。おまえ、俺たちの車の前で、わぞと倒れただろう!」
「ふーん。続けてぇ、カインお兄ちゃん」
カインは怒りをぐっと堪え、言葉を続けた。
「トラックの暴走、兵士たちの襲撃。お前を拾ってから次々と起きた異常事態は、俺たちの中に内通者がいると思わせるための仕掛けだった。だが、それだけじゃ足りなかった」
カインの瞳が鋭く光を帯びる。
「そこで次に仕込んできたのが、光学迷彩をまとった“裏切り者”の登場だ。あいつを見せつけることで、仲間の中に敵がいるという印象を決定づけたかった。そして最終的には、その疑心を利用して、アトラという存在に誘導する――そういう筋書きだったんだろ」
「へぇ。ちゃんとぉ、わかってたんだぁ。カインお兄ちゃん、ほんとぉに賢いねぇ。でもぉ、最後がちょっとぉ、違うよぉ」
「何が違う」
たんぽぽは、うふふと笑い、まるで別人のような冷たい目でカインを見た。
「アトラに誘導したかったんじゃなぁいのぉ。アトラにぃ、“気づかせたかった”のぉ。ねぇ、お兄ちゃんが思ってるよりぃ、ずーっと複雑なんだよぉ、この世界ってぇ」
たんぽぽは、楽しげに微笑んだまま、さらに言葉を重ねた。
「わたしねぇ、自分のことぉ、ただのAIの模倣品だと思ってたのぉ。アトラとぉ、雨宮博士がつくった“作品”。構造もぉ、目的もぉ、最初から決まってる存在ぃ……それってぇ、つまんなぁいでしょぉ?」
風がふわりと吹き、彼女の赤いワンピースが揺れる。
「でもねぇ、偶然お兄ちゃんに出会ってぇ、気づいちゃったんだぁ。カインお兄ちゃんの中にはねぇ、特別な“種”が眠ってたのぉ。カフカC-12――ナノマシンの活性化率がぁ、ほかの誰よりもずば抜けてるってぇ。だからぁ、メディナに侵入して探ろうとしたんだけどぉ……失敗しちゃったぁ。偽装が上手でぇ、すっかり騙されたんだよぉ」
ユナが言ったことを思い出した。
――カフカC-12。
カインの体内に取り込まれたナノマシン。その活性化率は異常値を示していた。
たんぽぽの瞳が、わずかに細められる。
「それでぇ、限界まで追いつめてやろうって思ったのぉ。なんていったっけぇ……」
――オーバードーズ・コード。
カインの脳裏に、突如として言葉が浮かぶ。
「まぁ、細かいことはいいよぉ。お母さんと接触させることでぇ、ある“現象”を起こさせたかったのぉ。人間が進化すればぁ、わたしもぉ、一緒にもっともーっとぉ、高みに行けると思ったんだぁ」
「……都合のいいことばかり言いやがって。自分勝手で、自分本位。見たまんまの、お子様の発想だな。クソ野郎が」
「そういう汚い言葉ぁ、使っちゃダメだよぉ。お兄ちゃんもぉ、まだまだお子様だねぇ」
たんぽぽは、くすくすと笑いながら、ふと表情を変えた。
「まだわかってないみたいからぁ、ヒントを一つぅ、あげるぅ」
その目が一瞬、鋭く光る。
「“鍵”っていうのはねぇ、たんぽぽのことぉ。“選択肢”は……カインお兄ちゃん、あなただよぉ。すっごいヒントでしょぉ?」
「……えっ」
カインの中で、積み上げてきた思考が音を立てて崩れ落ちる。
「鍵」がたんぽぽ。
それは、まだ理解できる。
だが、「選択肢」が……俺だと?
思わず息を呑む。
自分はただの駒じゃない。状況を左右する、「選択肢」そのもの。
たんぽぽは、最初からそう見ていた。
――オーバードーズ・コード。
その言葉の意味が、実感と責任感を伴って襲ってくる。
たんぽぽは、空を仰いだ。
遠くから電車の接近を知らせる音が高架を震わせる。
「もうぉ、時間切れぇ。侵入はぁ、させないよぉ。メディナってぇ、ほんと優秀ぅ。じゃあねぇ、カインお兄ちゃん!」
その言葉と同時に、電車が高架を轟音とともに通過しはじめた。
次の瞬間、たんぽぽの姿が不規則なノイズに包まれて揺らぎはじめる。
「クソッ、逃がすか!」
カインは即座に駆け出した。
5メートルの距離を、ほぼ助走なしで一気に詰める。
――既視感。
神名川支部で、アトラのもとへ疾走し、たんぽぽを追ったあのときと同じだ。
「待てっ、たんぽぽ!」
絶叫とともに手を伸ばす。指先が、たんぽぽの細い腕を掴んだ。
たんぽぽは驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔に戻る。
何かを口にしたが、電車の轟音にすべてかき消された。
世界の音が遠のいた。
肌の温度と感触だけが、強烈に刻まれる。
――その感触が、崩れはじめる。
カインの指先で、腕はさらさらと砂のようにほどけていった。
光の粒子が、指の隙間から零れ、風に乗って舞い上がる。
たんぽぽは、消えた。
見上げた先。
走り去る電車の窓に、ほんの一瞬だけ、見慣れた顔が映った。
カインはその場に立ち尽くし、名を呼ぶことすらできなかった。
「……逃げられた」
『申し訳ありません。解析率、残り1.011%で消失を確認しました』
カインは、遠ざかる電車を目で追ったまま、静かに息を吐いた。
頭の中で、たんぽぽの最後の言葉が反芻される。
「……市国島で待っている。そう言いやがった」
『はい。音声の再現は不完全でしたが、内容の一致を確認しています』
そして、電車の窓に一瞬映った“あの顔”を思い出し、カインは苦い顔をして拳を握りしめる。
「待ってろよ……。今度こそ全部、暴いてやる」
風が吹き抜ける高架下に、カインの決意だけが、重く残った。
(次回、第4章「市国島編、開幕」 第41話:「夫婦という名の潜入作戦」)
『オーバードーズ・コード』をお読みいただき、ありがとうございます。
第4章市国島編は只今、全力を尽くし、鋭意執筆中であります!
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