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オーバードーズ・コード  作者: 狗島 いつき
第2章 メディナ編 (全25話)
40/40

第40話:クライマックスは、問題定義の場所


 ユナとの会話を楽しんだあと、カインは簡単に食事をとり、シャワーを浴びた。

 湯気の残るバスルームを出る頃には、強烈な睡魔に襲われ、そのままベッドに倒れ込むようにして眠りに落ちた。


 次に目を覚ましたときには、窓の外が夕暮れ色に染まっていた。


「ユナ、今何時だ?」

『午後5時45分です。17時間45分の睡眠を確認しました』


 寝すぎたせいか、体はこわばり、関節が鈍く痛む。

 働かない頭を無理やり動かして、ベッドの端に腰を下ろす。


「……体、だる……」

『人体は17時間も連続して眠るようには設計されていません。次回は適正な睡眠時間を推奨します』

「はいはい……で、連絡は?」


『ウェアラブル端末に着信が1件、メールが1件あります』

「電話は誰から?」

『発信者番号は非通知です。メールの送信元は、陸軍のものと思われます』


 カインは手を伸ばし、机の上のウェアラブル端末を手に取った。

 ディスプレイに表示されたメールは短く、ひと言だけだった。


 「15日0800時、回収に向かいます」


 その一文に、カインは小さくため息をついた。

 再び戦地のような場所に向かうかと思うと、心が折れそうになり、ベッドへ戻りたくなった。


 それでもなんとか気持ちを奮い立たせ、カインはスポーツウェアに着替え、ランニングシューズを履いて表へ出た。


 今回の件で、はっきり分かった。

 鍛えていたつもりでも、現役とは比べものにならないほど、身体は鈍っていた。


 せめて、毎日続けているランニングだけでも。

 そう思いながら、カインは走り出す。


 沈みかけた夕日に向かうように走り、いつもの堤防に出た。

 ぬるい風がまとわりつき、不快指数を押し上げる。

 堤防の唯一いいところは、都市部に比べて消毒液の匂いが少ない点だった。


 30分ほど走ったところで、ふと足を止める。


 堤防の下の砂利道では、親子連れが犬の散歩をしていた。

 ジャージ姿の高校生たちが列になって、掛け声を上げながら走っている。

 サラリーマンが自転車を漕いで、その脇をすり抜けていく。


 いつもと変わらぬ、日常の光景。

 だがその中に、ひとつだけ異質な影があった。


 鉄道の高架下に、少女が一人立っていた。

 通過する電車を、下から見上げている。


 普段なら、気にも留めなかっただろう。

 だが今は違う。


 赤いワンピースに、白いスニーカー。


 距離があって表情までは見えないはずなのに、愛らしい瞳で電車を見上げていることが、なぜか分かった。


「ユナ!」


 カインは走りながら叫んだ。

 呼応するように、ユナが反応する。


『高架下の人物を確認中です。位置情報から本体を特定します……少し時間がかかります』

「急げ、頼む!」


 カインは足を止めず、まっすぐ高架下の少女に向かって走り続けた。

 心臓の音が耳元に響く。

 鼓動は次第に速くなり、うるさいほど激しくなる。


 近づくと、向こうも気づいたのか、ゆっくりと振り向いた。

 

 ――間違いない、雨宮たんぽぽ!


 カインは5メートルほど手前で足を止め、息を整えながら、視線だけは外さず少女を睨みつけた。


「おまえ、どこに行ってた」

「あぁ、カインお兄ちゃん。どうしたのぉ? そんな怖い顔してぇ」


 間延びした口調は相変わらずで、今にして思えば、あれは最初から、どこか人を小馬鹿にしているような響きだった。


「俺の顔なんてどうでもいい。どこで、なにをしていた!」


 たんぽぽはカインの怒気をものともせず、小首をかしげ、次の瞬間、くすくすと笑い出した。


「ねぇ、おかしなこと言わないでぇ。お母さん殺しの人に教えるわけないじゃん」


「……っ!」


 アトラのことか。それともレグナマキナの件か。

 どちらを指しているのか、カインには判断がつかなかった。


「ふん、お母さん殺しか。AIでも、愛情ってのは理解できるらしいな」


 意図的に挑発するように言葉を投げた。

 時間稼ぎが必要だ。ユナの特定が終わるまで、1秒でも長く繋げたかった。


『202、201、200……うん、はやいはやいぃ。ちゃんと調べてるんだねぇ』

「……何の話だ」


 たんぽぽは口元に笑みを浮かべた。


「ごまかしても無駄だよぉ。メディナって、ほんと賢いんだねぇ」

 ひと息ついてから、にこやかに言った。

「わたしも、最初からメディナに乗っかればよかったぁ」

「なんだと!?」


 その一言で、カインの中の前提が揺らいだ。


 暴走した軍事用AIアトラが、健康管理AIレグナマキナを取り込んだ。

 そう思っていた。


 だが今の発言で、すべての因果が逆転する。


「お前が、アトラを操っていたのか!」

「操ってたぁ? そんな言い方してぇ、ひどいなぁ。人間ってぇ、ほんと何でもアリなんだねぇ」

「うるせえ! さっさと答えろ!」


 怒鳴る一方で、カインはユナに焦った声を送る。


「ユナ、まだか! こっちの動き、完全に把握されてるぞ!」

『解析進捗54%。頑張ってください、カイン』


「答えるってぇ? 何をぉ? ちゃんと言わなきゃぁ、わたしわかんなーい」


 たんぽぽのふざけた口調に、カインの目がさらに鋭さを増した。


「なら言ってやる。おまえ、俺たちの車の前で、わぞと倒れただろう!」

「ふーん。続けてぇ、カインお兄ちゃん」


 カインは怒りをぐっと堪え、言葉を続けた。


「トラックの暴走、兵士たちの襲撃。お前を拾ってから次々と起きた異常事態は、俺たちの中に内通者がいると思わせるための仕掛けだった。だが、それだけじゃ足りなかった」


 カインの瞳が鋭く光を帯びる。


「そこで次に仕込んできたのが、光学迷彩をまとった“裏切り者”の登場だ。あいつを見せつけることで、仲間の中に敵がいるという印象を決定づけたかった。そして最終的には、その疑心を利用して、アトラという存在に誘導する――そういう筋書きだったんだろ」


「へぇ。ちゃんとぉ、わかってたんだぁ。カインお兄ちゃん、ほんとぉに賢いねぇ。でもぉ、最後がちょっとぉ、違うよぉ」

「何が違う」


 たんぽぽは、うふふと笑い、まるで別人のような冷たい目でカインを見た。


「アトラに誘導したかったんじゃなぁいのぉ。アトラにぃ、“気づかせたかった”のぉ。ねぇ、お兄ちゃんが思ってるよりぃ、ずーっと複雑なんだよぉ、この世界ってぇ」


 たんぽぽは、楽しげに微笑んだまま、さらに言葉を重ねた。


「わたしねぇ、自分のことぉ、ただのAIの模倣品だと思ってたのぉ。アトラとぉ、雨宮博士がつくった“作品”。構造もぉ、目的もぉ、最初から決まってる存在ぃ……それってぇ、つまんなぁいでしょぉ?」


 風がふわりと吹き、彼女の赤いワンピースが揺れる。


「でもねぇ、偶然お兄ちゃんに出会ってぇ、気づいちゃったんだぁ。カインお兄ちゃんの中にはねぇ、特別な“種”が眠ってたのぉ。カフカC-12――ナノマシンの活性化率がぁ、ほかの誰よりもずば抜けてるってぇ。だからぁ、メディナに侵入して探ろうとしたんだけどぉ……失敗しちゃったぁ。偽装が上手でぇ、すっかり騙されたんだよぉ」


 ユナが言ったことを思い出した。

 ――カフカC-12。

 カインの体内に取り込まれたナノマシン。その活性化率は異常値を示していた。


 たんぽぽの瞳が、わずかに細められる。


「それでぇ、限界まで追いつめてやろうって思ったのぉ。なんていったっけぇ……」


 ――オーバードーズ・コード。


 カインの脳裏に、突如として言葉が浮かぶ。


「まぁ、細かいことはいいよぉ。お母さんと接触させることでぇ、ある“現象”を起こさせたかったのぉ。人間が進化すればぁ、わたしもぉ、一緒にもっともーっとぉ、高みに行けると思ったんだぁ」


「……都合のいいことばかり言いやがって。自分勝手で、自分本位。見たまんまの、お子様の発想だな。クソ野郎が」

「そういう汚い言葉ぁ、使っちゃダメだよぉ。お兄ちゃんもぉ、まだまだお子様だねぇ」


 たんぽぽは、くすくすと笑いながら、ふと表情を変えた。


「まだわかってないみたいからぁ、ヒントを一つぅ、あげるぅ」


 その目が一瞬、鋭く光る。


「“鍵”っていうのはねぇ、たんぽぽのことぉ。“選択肢”は……カインお兄ちゃん、あなただよぉ。すっごいヒントでしょぉ?」


「……えっ」


 カインの中で、積み上げてきた思考が音を立てて崩れ落ちる。

 「鍵」がたんぽぽ。

 それは、まだ理解できる。

 だが、「選択肢」が……俺だと?


 思わず息を呑む。

 自分はただの駒じゃない。状況を左右する、「選択肢」そのもの。

 たんぽぽは、最初からそう見ていた。


 ――オーバードーズ・コード。


 その言葉の意味が、実感と責任感を伴って襲ってくる。


 たんぽぽは、空を仰いだ。

 遠くから電車の接近を知らせる音が高架を震わせる。


「もうぉ、時間切れぇ。侵入はぁ、させないよぉ。メディナってぇ、ほんと優秀ぅ。じゃあねぇ、カインお兄ちゃん!」


 その言葉と同時に、電車が高架を轟音とともに通過しはじめた。

 次の瞬間、たんぽぽの姿が不規則なノイズに包まれて揺らぎはじめる。


「クソッ、逃がすか!」


 カインは即座に駆け出した。

 5メートルの距離を、ほぼ助走なしで一気に詰める。


 ――既視感。


 神名川支部で、アトラのもとへ疾走し、たんぽぽを追ったあのときと同じだ。


「待てっ、たんぽぽ!」


 絶叫とともに手を伸ばす。指先が、たんぽぽの細い腕を掴んだ。


 たんぽぽは驚いたように目を見開いたが、すぐに笑顔に戻る。

 何かを口にしたが、電車の轟音にすべてかき消された。


 世界の音が遠のいた。

 肌の温度と感触だけが、強烈に刻まれる。


 ――その感触が、崩れはじめる。


 カインの指先で、腕はさらさらと砂のようにほどけていった。

 光の粒子が、指の隙間から零れ、風に乗って舞い上がる。


 たんぽぽは、消えた。


 見上げた先。

 走り去る電車の窓に、ほんの一瞬だけ、見慣れた顔が映った。

 カインはその場に立ち尽くし、名を呼ぶことすらできなかった。


「……逃げられた」

『申し訳ありません。解析率、残り1.011%で消失を確認しました』


 カインは、遠ざかる電車を目で追ったまま、静かに息を吐いた。

 頭の中で、たんぽぽの最後の言葉が反芻される。


「……市国島で待っている。そう言いやがった」

『はい。音声の再現は不完全でしたが、内容の一致を確認しています』


 そして、電車の窓に一瞬映った“あの顔”を思い出し、カインは苦い顔をして拳を握りしめる。


「待ってろよ……。今度こそ全部、暴いてやる」


 風が吹き抜ける高架下に、カインの決意だけが、重く残った。



(次回、第4章「市国島編、開幕」 第41話:「夫婦という名の潜入作戦」)


『オーバードーズ・コード』をお読みいただき、ありがとうございます。

第4章市国島編は只今、全力を尽くし、鋭意執筆中であります!

すべて書き終わってからのアップになりますので、よろしければブックマークをして頂けると、励みになります。


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