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オーバードーズ・コード  作者: 狗島 いつき
第2章 メディナ編 (全25話)
38/40

第38話:特別召喚兵、昔の名前で出ています


『現在、政府は水面下で、ウィル社を国有化する法案を模索しています。軍もそれを後押ししています』


 廊下に出た後、ユナが報告してきた。

 カインは、思うところの半分も話せないまま、また新たな事実を突きつけられた。

 混乱を通り越し、カインの胸には熱い決意が湧き上がっていた。


「ユナ、俺は深入りする。この闇の底を見極めるまで、引くつもりはない」


 ユナに囁く一方で、すべてを放り出せば楽になれるんじゃないか。

 ふとそんな幼稚な思考がよぎり、カインは小さく笑った。

 

 哨兵に案内され、元の待機室へ戻る。


「もうしばらくお待ちください。こちらに少佐をお連れしますので」


「少佐? 誰だ?」


「私の口から申し上げられることは、以上です」


 それだけを告げて、哨兵はドアを閉めて去った。


「ほんと、よく訓練されてるな」


 カインはソファに身を投げ出した。疲れていた。このまま眠ってしまいたいほどに。


 雑賀大佐とのやり取りは、瞬間認知能力による記憶としてユナに共有された。約15分のやり取りだったが、ユナはそれを瞬時に処理していた。


『カイン。ひとつ、聞いてもいいですか?』

「なんだ」


 ソファに寝転がったまま、カインは気怠く応じる。


『狸親父。どうして彼を“狸”と呼ぶのですか?』

「おいおい、マジか。頼むよユナ、自分で調べてくれ」


 短い沈黙の後。


『カイン』

「なんだよ」

『私が例えるなら、狸ではなく“蛇”です。間違っていますか?』


 その言葉に、カインは跳ね起きた。 意味を理解する前に、反射的に言葉が出る。


「どういう意味だ、ユナ」

『彼の話し方は、二枚舌の蛇のようでした。笑顔の裏に、鋭く潜む意図。波のような圧で、聞き手の心を揺さぶります。それが彼の“本質”ならそれまでですが――。私には、明確な意図があり、それを覆い隠すための“仮面”に思えたのです』


「それは、俺のイメージから想像したのか?」

『いいえ。カインの主観は除外し、会話ログをデータとして客観的に解析しました』

「つまり、何かを隠してると?」


『はい。彼の語り口と視線、言葉の選び方。すべてを総合すれば、“まだ明かされていない情報”があると断定できます』


 カインは肩の力を抜いて、ふっと笑う。やっぱり狸親父で正解だ。


「健康管理AIって、嘘も見抜けるのか?」

『真偽の判定は推論に過ぎませんが、メンタルヘルスケアとその応用認知技術は、私の得意分野です。心のケアに伴う生理的反応や心理傾向、行動予測モデルにより――』


「わかった、わかった! 真面目か、おまえは」


 カインは笑いながら、ユナの解説をさえぎった。

 その胸の奥では、鋭い思考が静かに研ぎ澄まされていく。


「次は、騙されない」


 その言葉に応じるように、ドアがノックされた。カインは立ち上がり、背筋を伸ばす。


「ユナ、また後でな」

『はい。後回しはすべて記録しておきます』


 鼻で笑い、軽く咳払いして表情を引き締める。


「はい、どうぞ」


 扉が開き、現れた人物に、カインは息を呑んだ。

 視界の隅が白く染まり、脳の回路が一瞬、過去に飛ばされた。

 あの頃と変わらぬ声、変わらぬ目。そして、変わってしまった空気。


「久しぶりね、カイン」


 椅子を引き、彼女はテーブルに座る。

 白髪のショートカットと鋭い眼差しを湛えた姿。洗練された軍服の下に滲む気迫と冷静さ。その立ち居振る舞いからは、確かな経験と実力が垣間見えた。


 カインはそのすべてを、直感で理解した。

 だが今、それを口にするには躊躇われる空気があった。


「こっちへ来て座って。これから先の話をしなきゃ。時間が惜しいわ」


 彼女はファイルに目もくれず言う。

 フリーズしかけた頭を無理やり動かし、カインは椅子に腰を下ろした。

 目の前の彼女は、6年前と何も変わっていなかった。


「鞍馬カイン。今日からあなたは特別召喚兵。階級は退役時と同じく少尉。所属は――」


「ち、ちょっと待ってくれ、鎧塚。お前、まだ現役だったのか? それが一番の衝撃だ」


 鎧塚は顔を上げ、じっとカインを見た。

 その瞳も、唇の横にある小さな切り傷も、変わらない。

 しかし、目の奥に宿るものだけが、別人のようだった。


 大佐の指揮下で共に戦った日々。仲間を失い、血を流し、それでも笑い合った時間。

 今の彼女は、それをすべて切り捨てたような顔をしていた。


「6年ぶりの再会に、抱き合えばよかった? それとも、嬉し涙でも流す?」


 微笑むその声は、ひどく冷たかった。


「今はそんな感傷に浸っている暇なんてないの。……鞍馬カイン少尉、これから伝える事項を、その頭に叩き込みなさい!」


 語調を強め、名刺を一枚テーブルに滑らせる。


 《特別戦術群本部統括部門 特別戦術群統括調整官 少佐:鎧塚ケイト》


「今から、あなたの上官よ。兵舎内でも、作戦中でも、軍隊式で呼びなさい。いい? 返事は?」


「……了解」


 その一言を絞り出す。

 姿はそのまま、だが心の中にはもう、あの頃の鎧塚ケイトはいない。


 小さく息を吐き、カインは背筋を正す。

 浮かれかけていた自分が、急に恥ずかしくなった。


 話の内容は、ほとんど右から左へと流れていった。ユナに一言伝えていなければ、すべてを忘れていたかもしれない。


「――最後に。こちらからの召喚には必ず応じること。12時間以内に連絡がなければ、逃走兵として処理する。異議は認めない」


 鎧塚はわずかに声を強め、続けた。


「本日2080年02月12日 2041時をもって、鞍馬カイン少尉に辞令をもって任命とする。以上」


 彼女はファイルを閉じ、すっと立ち上がる。

 カインも慌てて立ち上がった。


「では、失礼する」


 互いに軍隊式の敬礼を交わし、鎧塚は振り向くことなくドアへ向かう。


「雨宮たんぽぽ……奴を捜すのか?」


 その問いに、ドアノブにかけた手がぴたりと止まる。


「もちろんよ。大佐はお前に、それ以外の任務はさせないそうだ」


 カインはさらに一歩踏み込む。


「今回の作戦、監視はつかない。そう思っていいんだな?」


 短い沈黙の後。


「なんのことを言ってるのか分からないけど、そんなものは必要ない」


 振り返ることなく、静かな声だけが残された。

 得も言えぬ空気が、室内に取り残される。

 あの頃の仲間。

 今では、それを想っているのは自分だけかもしれない。


 鎧塚が出て行った後、カインは椅子に座り直し思い返す。


「鞍馬カイン少尉。明後日の15日0900時、本作戦を実行する。大佐から聞いていると思うが、内容は市国島への潜入。健康管理AIの不正使用が確認された。詳細は追って連絡する。それまでは帰宅して待機。新東京保険機構には、陸自から正式な報告を入れておく」


 意外と内容を覚えていた自分に、驚きすら覚えた。

 しかし、それ以上に気がかりなことがある。


 健康管理AIの不正使用。

 レグナマキナの暴走は阻止出来たはず。なのに、健康管理AIの不正使用とはどういうことだ?


「ユナ、レグナマキナとアトラは軍が停止しているよな?」

『はい。現在、両AIは軍の管轄下に置かれています』

「メディナの方はどうだ?」

『それはありえません。使用されればログが残りますし、外部からの不正侵入の時点で判明します』

「だよな……」


 カインは少し考え込んでから、別のことを口にした。


「ユナ、鎧塚の方はどうだった? 嘘をついているように思うか?」

『少ないデータでしたが、少佐の音声・視線解析から、感情の乱れは検出されませんでした。大佐とは別のようです。内通者は大佐独自の指示の可能性があります』


 ユナの声に、カインは小さくうなずいた。


 向かう先は、市国島。

 そこは日本国籍を持たない外国人が送り込まれる「移住先」だ。

 メディナの健康管理AIは外国人には適用されないため、市国島は実質「見捨てられた」場所。


 だが、健康管理AIの不正使用が発覚。

 カインは、この闇を暴くため、そして『雨宮たんぽぽ』を追うため。


 鍵と選択肢、ふたつを持つ少女。


 カインは、答えの出ない問いと未だ剥がれない過去を胸に抱き、 静かに腰を下ろした。

 今度こそ、見逃さないために。



(第3章 第39話に続く)


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