第35話:予定調和の予想外
ドームの外が騒がしくなってきた。
遠くで何かが走行する音、重機のうなる音、人の声が混ざり合う。
新東京の陸自が乗り込んできたのだろう。
その喧騒が本格化する前に、カインには、どうしても確かめておきたいことがあった。
視界の中で、ゆらめいていた光の粒子が次第に整い、ノイズが消えていく。
乱反射していた輝きは、輪郭を持ち始め、明確な「存在」へと変わっていった。
「アトラは……落ちたか」
カインがつぶやくと同時に、光源は伸縮を繰り返しながら、人の輪郭を作りはじめる。
霞の向こうから、逆光のライトに照らされた人影が、じわじわと浮かび上がってくるようだった。
そこに感じるのは生命の気配ではない。より正確にいえば、それを真似た“何か”だった。
「……レグナマキナ、か?」
問いは半ば呆れにも似た口調だった。
AIとこうして直接対話するのは、これで3度目。
1度目はメディナ、2度目はアトラ。
確信があるわけではない。しかし、3度目ともなれば、警戒よりも慣れの方が勝る。
「はい。私は健康管理AI、レグナマキナ。神名川県区域の住民の健康を維持・管理するのが――」
「自己紹介はいい。アトラはどこにいった?」
カインは言葉を鋭く切り込んだ。
冗長な説明は求めていない。求めているのは、明確な『確認』だった。
「自衛隊本部総合戦術戦略統合システム・アトラは、現在、雑賀大佐の監督のもと、一時機能を停止しております。その影響により、国防に関する広域防衛網に一時的な空白が発生し――」
「要点だけ話せ」
再びカインが割り込む。
AIの語りは、いつも人間の焦燥とはズレている。だからこそ、強引にでも軌道修正しなければならない。
時間はない。次の一手が来る前に、まだ聞くべきことがある。
「俺が聞きたいのは、アトラに支配されていた人間は解放されたのか?」
カインの声には、どこか祈るような響きがあった。
「はい。アトラによる実効支配は、ナノマシンの一斉停止により、現在完全に解除されています」
レグナマキナは、機械的な口調で断言した。
どこか決まりきった答えをなぞっているようにも聞こえる。
それでも、カインはその言葉を受け取ると、すぐに次の一手をぶつけた。
「雨宮たんぽぽは、どこに行った?」
それは、カインがどうしても確認したかった核心だった。
全てを動かした、あの「少女」の行方。
たんぽぽがアトラと同一の存在。
そう考えれば筋は通る。だが、カインの直感はそれを否定していた。
たんぽぽは、あのとき確かに言った。
――レグナマキナを「お母さん」と呼んだ。
その声音は、嘘をついているようには聞こえなかった。
もちろん、あの場にいたレグナマキナは、アトラが成り代わっていた存在。
ならばすべて芝居だったのか?
だとすれば、なぜあの声に、あれほどの感情が宿っていたのか。
混乱の中で、返ってきたのは――。
「申し訳ございません。そのようなデータは、現在保有しておりません」
「……なんだと?」
額に深い皺が刻まれる。指先に力が入り、拳が震えた。
「おい、ユナ。どういうことだ? アトラと一緒に、たんぽぽも停止したんじゃなかったのか?」
『現在、アトラの機能が完全に停止しており、ネットワーク連携も切断されています。雨宮たんぽぽの位置情報は取得不能。先に光学迷彩の兵士が語った“生体情報を中核にしたプロトタイプ『リベリオン』”――それが彼女である可能性が高いと見ています』
「……じゃあ俺が、膝を貸していたときは実体で、気分次第でいつでも消えてしまえるっていうか?」
『量子化技術、または次世代フェーズのナノ構造による仮想・実体のハイブリッド体である可能性があります』
「……おいおい、やめろよ。冗談だろ……。嘘だって言ってくれよ」
カインは思わず頭を抱え、うずくまった。
急激な思考の渦が脳を締め付ける。
脳裏に浮かぶのは、アトラと交わしたあの会話――。
『世の中には、イレギュラーは必ず存在します。貴方たち同様、“私たちも”また、そういう存在です。そして、“選択肢”がある限り――イレギュラーこそが、未来を変える“鍵”となることもあります』
未来を変える“鍵”。
あの時は、抽象的な表現だと受け流していた。だが今、その言葉が重くのしかかってくる。
――そしてもう一つ。
「たんぽぽを守れ。彼女は人類最後の選択肢だ」
光学迷彩の兵士が最後に言い残した、あの言葉。
“鍵”じゃない。“選択肢”だ。
その微妙な違いに、カインはずっと気にかかっていた。
なぜ“鍵”ではなく、“選択肢”と呼んだのか。
“扉を開ける存在”ではなく、“どちらかを選ばせる存在”として。
今になって、その意味が分かる気がした。
しかし、その“選択肢”が、消えた?
「……なんなんだよ、いったい……何を信じりゃいいんだ……」
呟きは、誰に届くでもなく、空気に溶けていった。
しばらくして、ドームの外がざわめき始めた。
重い靴音と共に、新東京の陸自の兵士たちがなだれ込んできた。
その姿は、戦地に赴くかのようだった。
重装備のボディアーマーに肩掛け式の火器を携えた兵士たち。
対人戦には過剰とも言える火力を携えている。
何が現れても対応できるよう、最悪の事態を想定していたのだろう。
「鞍馬カインか! 両手を広げ、地面に伏せろっ! 抵抗は敵対行為とみなす!」
指揮官らしき男の鋭い声が、ドーム内に響いた。
カインは、その声に一瞬だけ気圧されたが、安堵と不安が交錯する中、ゆっくりと両手を広げ、静かに地面に伏せた。
雨宮たんぽぽ。
彼女を見つけないことには、本当の意味で何一つ終わっていない。
地面の冷たさが、妙に現実味を帯びて感じられた。
ーーー
カインたちは、全員別々に帰還させられた。
百藍特任隊はもちろん、シエルとも引き離された。
互いに口裏を合わせさせない。
軍の常套手段だ。
わかっていても、気持ちのいいものではなかった。
目隠しをされたまま降ろされたのは、カインの知らない場所だった。
壁や床の真新しい匂いが、ここが新設された兵舎であることを物語っている。
雑賀大佐は、カインの瞬間認知能力を知っている。
だからこそ、その能力を逆手に取られないよう、徹底的に用心したのだろう。
石橋を叩いても渡らない。
一度壊して、相手に作り直させる。
それを見て、ようやく渡る。
それでも、渡らないことのほうが多い。
そんな人物だったことを、カインは思い出し、思わず頬を緩めた。
カインは心中でつぶやいた。
「なあ、ユナ。俺たちって、予定調和ってことはないだろうな?」
『その可能性は否定できません。ですが、カインが選択した行動は、少なくとも“予定外”の連続でした』
「なんだよ、慰めてくれるのか? AIも捨てたもんじゃないね」
『捨てられては困ります。協力はまだ継続中です』
カインは鼻で笑って、椅子に深く腰掛けた。
取調室というより、応接室を簡素にしたような空間だった。
無機質な机と、向かいにひとつだけ置かれた椅子。
壁にはモニターも時計もない。
その空虚さが逆に「見られている」ことを強調していた。
目に見えない誰かが、こちらの様子をじっと観察しているような気配がした。
ユナの声すら、それに含まれているように感じてしまう。
カインはひとつ息を吐き、思った。
――さて、次はどんな“予定外”を見せてやろうか、と。
(第3章 第36話に続く)




