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オーバードーズ・コード  作者: 狗島 いつき
第2章 メディナ編 (全25話)
30/40

第30話:人ならざる者、戦場に現る


 2車線の道路を山に向かってしばらく進むと、正面に立派なゲートが姿を現した。


 《神名川支部 開成統制群》


 アーチ型のゲートに、部隊の名が堂々と掲げられている。

 本来いるはずの衛兵はおらず、無人の開閉ゲートになっていた。


「警戒を怠るな!」


 レイジの鋭い声が飛ぶ。


「現時点で、クラウドスターリンクを解放する。」


 隊員たちの体から、かすかなオゾン臭が漂った。

 前回の解放とは違う。狭い車内、高まる緊張、高圧電流の傍にいるような痺れる感覚が肌を這う。


 今朝、レイジから再び渡された透明なカプセル。インナーコードを通じて相互通信が可能になる。

 ユナがクラウドスターリンクと繋がれば、飲む必要はなかったが、あえて説明はせず、カインは飲み込んだ。


「氷室、上に乗って警戒しろ。」

「了解!」


 カスミは速度を緩めた車から飛び降り、ゲート前の一時停止線でトウヤが車を止めたタイミングで、天井に足音が響いた。


 コンコン。


 スタンバイ完了の合図だ。

 彼女は近距離特化型と聞いていたが、コンビニでの発砲騒ぎの際にも、隊長は彼女に監視任務を任せていた。おそらくインナーコードと接続した時点で、動体視力は数倍に引き上げられているのだろう。

 現代における近距離戦闘では、動体視力の高さが生死を分ける重要な要素だ。


 さらに、彼女の特性としてもう一つ特筆すべきは、空間認識能力の高さだ。

 遮蔽物の位置、仲間の動き、敵の配置。

 それらを瞬時に把握し、戦場全体を「立体的に」捉えることができる。

 この能力があるからこそ、彼女は監視役としても、最前線の突破役としても信頼されていた。


 軍事用AIと接続し、ナノマシンで覚醒した隊員たちの特筆すべき能力は、200対4という絶望的な戦力差ですら覆し得る可能性を秘めていた。

 一人一人が、常人の枠を超えた戦闘ユニットへと変貌する。

 それが、この作戦の唯一にして最大の武器だった。


「望月、ドローンはまだ飛ばすな。ぎりぎりまで様子を見る」

「はいっ」


 短い返事とともに、トウヤの目つきが鋭く変わった。


「結城、すべての電波を拾え。怪しいものがあれば即報告だ」

「はいっ!」


 最後尾の座席から結城の声が飛ぶ。

 昨晩の戦闘の余韻がまだ残っているのか、気合は十分だ。


 オフロード車は徐行しながら、ゆっくりと進んでいく。

 前方に延びるのは、基地のメインストリートのような直線道路。

 遥か先には兵舎が豆粒のように小さく見え、道の長さを物語っていた。


 片側2車線の道路には、両脇に等間隔で桜の木が植えられ、中央分離帯にはヤシの木が規則正しく並んでいる。

 まるで南国と日本が交差したような風景。

 散り舞う花びらが道を染め、足元は淡いピンクに覆われていた。


 本来なら、美しく穏やかな光景だったのかもしれない。

 だが、昨夜の出来事を強引に呼び起こすこの風景は、今のカインには、むしろ不快ですらあった。

 

 車内に沈黙が落ちる。誰もが呼吸を潜め、微かに響くエンジン音とタイヤが花びらを踏みしめる音だけが耳に残った。


「望月、ブレーキに足をかけとけ」

「了解」


「結城、電波は?」

「……微弱なノイズ、北東方向。何かいるかも」


「よし……氷室、何か見つけた合図しろ」


 コンコン。


 天井から軽く響く音。氷室の指が車体を叩いた。

 スタンバイ完了。緊張の糸が、さらにぴんと張りつめる。


 さらに進めると左側に見慣れぬ建物が現れた。

 真っ白で、窓のない建物。人が出入りするには不便な形だ。

 一辺は2、3メートル、高さは5メートルほどの四角柱。

 巨大な石碑のように、無言でそこに立ち尽くし、周囲に圧迫感を漂わせていた。


「結城、あれはなんだ?」

「……調べていますが、資料にはありません」


 謎の建造物。

 白い石碑が道沿いに等間隔で並び、奥の方へも続いていた。


「何だと思う?」


 レイジが車を止めさせ、ぽつりとつぶやく。

 誰に向けたわけでもないその声は、空中に溶け、消えていった。


「あれはねぇ、蓄電所だよぉ。電気がいっぱい貯まってるんだおぉ」


 答えたのは、たんぽぽだった。

 車内の視線が、一斉に彼女へと集まる。


 また一つ、彼女の言葉が現実味を帯びていく。

 「基地から来た」

 深く追及されなかったその一言が、ここにきて彼女が本当に神名川支部の人間であることを示し始めていた。


「隊長、あの建物を検索した結果……KDS設備が製造したものと判明しました」

「KDS設備?」

「はい、主に電気設備を施工している会社です。……そこの資料を確認すると」


 ノアはひと呼吸置き、慎重に言葉を選んだ。


「蓄電設備です。2度確認しました。間違いありません」


 もう、子供の戯言として片付けられる状況ではなくなっていた。


「……なんで知っている?」


 カインがたんぽぽに視線を向け、問いかける。


「研究所の人が言ってたからぁ。電気がたくさんいるからぁ、貯めてるんだってぇ」

「……研究所の人? 誰だ?」

「ん? 誰ってどういう意味ぃ」


 たんぽぽは首をかしげる。


 確かに、誰と言われて誰を答えればいいのか、迷うだろう。

 だがこちらとしては、そう問うしかない。

 わからないことが、あまりにも多すぎる。


「隊長。氷室からの目視データで規模を予想した概算がでました……」


 ノアが言う。ただ言葉が続かない。


「どうした、報告しろ」

「は、はい」


 めずらしくノアが緊張をしていた。声も震えているようだった。インナーコードを纏ってもなお、そう思わせることをカインは息を飲んで待った。


「概算ですが、報告します。この蓄電施設、出力はおよそ500メガワット、容量はおおむね50万キロワット時です」


「どれくらいの規模だ?」

「理論上、新東京の全世帯、1800万人分の電力を、1時間だけまかなえます。あるいは中規模都市なら丸一日、余裕を持って支えられる計算です」


 隊員たちの間に、かすかな緊張が走った。

 自衛隊の基地で、そんな規模の蓄電施設など聞いたことがない。

 新東京の本部ですら、比べ物にならない規模だ。


「上空から確認できれば、さらに詳しい情報が得られると思います」


 十分だろう。

 たとえ概算の3分の1だとしても、自衛隊が保有するには破格の規模だ。

 やはり、何かがおかしい。


 中毒者が多数いると報告されていたのに、ここまで誰一人、姿を見ていない。

 神名川県の住民が、まるごと消えたような、いや、最初から存在しなかったような、奇妙な感覚が背筋を冷たく這った。


「隊長、どうします?」


 トウヤが声をかけた。

 指示を待つ者が多いこの時代、その問いはまさに今、この場にふさわしいものだった。

 カイン自身、次の一手を即座に決められる状況ではなかった。


 果たして隊長はどう決断するのか‒‒。


 コンコン。


 天井からカスミの合図が伝わる。

 インナーコード通信を通じて、彼女の声がクリアに響く。


「蓄電施設から1名、西方向、約200メートル」


 カスミの空間認識能力が発揮される。

 レイジとトウヤは無言のまま車外へ飛び出す。

 カインも素早く身をかがめ、運転席に滑り込んだ。


「指示があるまで待機!」


 レイジは車のボンネットを盾に、M15-TR “Velcro”(ヴェルクロ)を肩に据える。

 軍特殊部隊専用の超長距離精密狙撃ライフル。

 インナーコード接続時には、5キロ先の缶ビールを正確に撃ち抜ける性能を誇る。


 トウヤは片膝をつき、MZ-89 “Hound”(ハウンド)を構えた。

 近~中距離制圧戦闘用の可変型軽機関銃システム。

 今は中距離設定だ。


 その戦闘準備は頼もしく、しかし、この基地内で味方に銃を向けるという異常事態を一層際立たせた。

 通常では絶対に考えられないことだ。


 もしこのような事態が発生したとすれば、昨夜の出来事がきっかけであるとカインは考えた。

 四方を囲まれ、陸自独自の戦術プラン「三日月型」によって襲われた経験。

 それが、今の状況に繋がっているとカインは直感した。


 何も分からないこの状況下で、できる限りの手段を講じているつもりだ。

 しかし、逆に言えば、何一つ状況が掴めていないからこそ、今の選択が事態をより悪化させる可能性もある。


 決断は、待ってくれない。


 相手次第という「待ち」の状態は、苦しさと共に困惑を引き寄せていた。


「「距離、128。対象はなおも進行中」


 近距離特化型のカスミが、低い声で状況を告げる。


「ぎりぎりまで待機。人物照合はまだか、結城!」


 後部座席でタブレットを操作していた結城の手が一瞬止まった。 


「照合結果。基地内に一致する人物はいません。現在、神名川県の住民データと照合しています」

「急げ!」

「はいっ」


 やがて、車内からでもその姿が見えてきた。

 カインは今、ユナを介して視力を強化している。

 そして、確信した。

 彼の瞬間認知能力がこれほど疎ましく思えたのは、初めてだった。


「隊長。……アトラです。軍事用AI、アトラの実体像。雑賀大佐の執務室で見ました」


 カインの一言で、隊全体の動きが一瞬で凍りついた。



(第3章 第31話に続く)


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