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オーバードーズ・コード  作者: 狗島 いつき
第1章 新東京編 (全4話)
3/25

第03話:カインの挑発


 10分が過ぎたが、カインの体調には特に変わった様子はない。


「異常なし、か」 カインはそう呟きながら、シエルの方を一瞬見る。その目には、わずかな皮肉が浮かんでいた。


「サプリ生成エラーまで起こして、1日6回もリクエスト。お前、何が目的なんだ?」


 シエルは目を伏せたまま、唇だけを動かして小さくつぶやいた。「それは――」と口にしかけて、すぐに言葉を飲み込んだ。


「じゃあ、聞き方を変える。……誰に転売してたんだ? 元開発者なら、メディナの規約くらい覚えてるだろ」


シエルの声は小さかった。「……知ってる」

その声は、かすかで、すぐに消えそうだった。


「契約者以外への投与は禁止だ。分かっててやったんだな?」

「うん」


 即答だった。逃げず、否定もせずに受け入れる態度が、カインを一層苛立たせた。


「なんだ、それ」

 カインは吐き捨てるように立ち上がる。

「二度とするな。次やったら、全部暴露する。表の名も裏の名もな」


 シエルは黙って俯いた。その姿に、カインは胸に重くのしかかるものを感じていた。

「じゃあな。お前がどんな商売をしてたかは知らないが、元開発者なら、メディナを粗末に扱うなよ」


 カインはそう言い残し、玄関に向かって足を踏み出した。その時、背後から思いがけない声が響く。

「スラムで、中毒者が出たの……メディナのサプリを飲んで……だから……」

「中毒者? お前、何を言ってる」


 カインは鼻で笑おうとしたが、喉に言葉が詰まった。もし嘘なら、もっとましな話を作るだろう。しかし、シエルの目は真っ直ぐだった。その瞳には迷いがなかった。


「……嘘じゃない。本当よ」

 カインは振り返り、シエルを睨みつけた。

「じゃあ、何で俺は死んでない? メディナの三原則を突破して、即死する命令を出したんだぜ。でも、AIは従わなかった。分かるか?」


 誰もが知る、メディナの三原則。

 ウィル社がAIのメディナを製造するとき、政府から架せられた条件。


 1.健康を損なうサプリメントの生成を禁ずる。

 2.ユーザーの要求に従い、適切なサプリを生成する。

 3.前二原則に反しない限り、人間の健康保護を優先する。

 

 この原則がある限り、人は健康でいられる。

 そして、俺も死ななかった。


 シエルの顔が上がる。その頬を、ぽつりと涙が伝う。

「そうよ。メディナの三原則は絶対。私がそう設計した。あなたが死ななかったのは……正常な証拠。でも……スラムでは、本当に中毒者や死者が出ているの」


 シエルの声は嗚咽にかき消されそうだった。

 カインはしばし黙り込み、鼻を鳴らす。


「そうかよ。だったら今ごろSNSで大騒ぎだろうな。政府も黙っちゃいないだろ」


 わざと軽く言ってみるが、視線だけはシエルから離せなかった。

 その目はどこまでも真っ直ぐで……かつて妹が助けを求めたときと、同じだった。


 カインが玄関に向かおうとしたその時、シエルの叫びが響く。


「嘘だと思うならスラムに行けばいい! ウィル社も、政府も……みんな嘘ばかり! 私は……裏切られたの!」

「……裏切ったって、どういう意味だ?」


 カインは低い声で尋ねる。部屋の空気が一層重くなる。


「ウィル社を辞めてから、私は……スラムでサプリを無償で配っていたの。あの人たちが、生きていけるようにって。ウィル社が隠したカフカC-12、ナノマシンのような技術が絡んでいたこともあったけど、私にはわからなかった。でも、ある時から私のメディナがエラーを頻発して、供給が追いつかなくなった」


 シエルは震える声で話していた。しかしその言葉には、確かな誇りと壊された信念の痛みが潜んでいた。

 カインはタブレットを手に取り、指先でログをなぞる。


「1日6回のリクエスト。これ、スラムの連中に配ってたんだな?」

「うん……」


 静かに、しかし確かな響きで答えるシエル。

 カインはゆっくりとメディナの方に歩を進める。冷たい空気を押し分けるようにして命令を下す。


「メディナ、過去1ヶ月分の通信ログとリクエストログを出せ」


『ログ詳細を排出します』


 ディスペンサーの目が青く点滅し始めた。しかし、カインの胸の中で、何か違和感が生じていた。

 青い目。それは正常を示すはずの色なのに、どこか不安定に見えた。赤い目。それが何だったのか、思い出せない。


「裏モードなんて、私の設計じゃない」


 不意に、背後からシエルの声が聞こえた。


「ウィル社が……何かを隠しているのよ。あの赤い目は、私の知らない命令を受けている」

 

 点滅する青が、逆に不気味に感じられた。あの赤の方が、よほど「素直」に思える。


「……メディナ、エラーの原因はなんだ」


『現在確認中』


 タブレットに表示されたログを見て、カインの目が止まる。


《外部干渉検知》


 カインの視界が揺れ、額に汗が滲んだ。


「またか……この感覚は?」


 頭の中で、誰かの囁きが響く。ディスペンサーの目が赤く点滅し、「ジジッ」と空気を裂く音にカインは歯を食いしばった。シエルが振り返り、尋ねる。


「どうしたの?」

 カインは答えず、ただログを見つめ続けた。

「外部干渉? 誰か、メディナをハックしてるのか?」


 その時、ディスペンサーが一瞬、瞬きした。


『エラーに関するデータを出力します』


 タブレットに流れるデータ。カインは目で追いながら、あることに気づく。


 外部干渉検知の直後に、サプリ生成エラー《E11W90ZX》が頻繁に出てくる。

 何かがおかしい。


「おい、お前が横流ししていたサプリを飲んで中毒者になった奴がいるのか?」

「……うん」

「お前みたいに、協力している人間は、他に何人くらいいるんだ?」


 シエルは首を振る。

「わからない。でも、エラーが出る前までは、不足することはなかったわ」

「チッ。じゃあ、それなりの人数がいるってわけか」


 カインは唇を噛んだ。シエル一人、拘束したところで別のところから供給される。

 イタチごっこじゃねえか。それより――。


「メディナの三原則があるのに、中毒者や死者まで出るっておかしいだろう?」

「わたしも、そう思って調べたけど、わからないの……」


「クソ、お手上げってか!」

 このままでは、何も掴めそうになかった。


 カインは大きく息を吐き、テーブルに名刺を投げ捨てた。

「悪かったな。帰るわ。問題があれば、新東京保険機構にでもクレーム入れてくれ」

「……別に」


 シエルの声は冷たく、でも空虚だった。


「……そうかよ。じゃあな」


 カインが玄関のドアに手をかけたその時、背後からかすれた声が響いた。


「……待って」


 振り返ると、シエルは拳を握りしめ、唇を震わせていた。


「あなた、知らないでしょ……中毒者が、どうなっていくか」

「……あ?」

「最初は怠さだけ。でも次第に、笑わなくなって、考えが止まらなくなって……気づいたら、自分が何だったかもわからなくなるの」

「で、お前はどうすんだ?」


 シエルの視線が鋭く光る。

「壊すわ。この偽りのシステムを」


 カインの胸が微かにざわついた。


「メディナは人を救うはずだったのに、なんでスラムじゃ人が壊れてくの?」

 シエルの目が潤む。

「健康って、自由のはずなのに……今は鎖よ」


 もし本当にそんな鎖があるなら、俺が断ち切ってやる。妹の死を繰り返させない。


「せいぜい頑張りな」と吐き捨て、カインは玄関のドアを開けた。

 だが、ドアを閉める直前、背後から静かに刺さる一言があった。


「……私、全部を戻したいの。AIが人を殺す世界なんて……間違ってるから」


 カインの足が止まる。ふと、あの日の出来事がフラッシュバックした。

 赤く光る目。叫び声。妹の影。


 胸の奥で何かが軋んだ。

「……お前の正義が、どこまで本物か見せてもらうさ」

 短く言い残し、カインは去った。


 扉が閉まる音が響いたが、シエルはその場から動けなかった。メディナの赤い目が、じっと彼女を見つめている。




 オフィスの廊下を歩きながら、カインは無意識に右手を握りしめていた。

 外部からの干渉。

 それは単なるバグではない。誰かが意図的に、メディナに介入した。

 だが、そんなことをして、一体だれが得をするっていうんだ。

 そもそも、ウィル社のメディナにハッキングするなんてことが可能なのか。


 再度ログを確認しようとしたその時、背後から足音が近づいてきた。振り返ると、若い職員が息を切らせて立っていた。


「先輩、これ、情報課から回ってきた緊急通知です。南区混成街区のデバイス・モニタリングに異常が――」


 カインが少し前にいた場所だ。思わず声が大きくなる。


「混成街区だって? 雲坂、異常の規模はどれくらいだ?」

「一帯のメディナが、一斉に同じエラーコードを返してるんです。サプリ生成エラー《E11W90ZX》 それも、全機体がです」


 カインの胸に圧迫感が走った。


 ――サプリ生成エラー《E11W90ZX》


 藤間シエルと全く同じエラー。

 何かが起きている。これはただのエラーじゃない。


「場所は?」

「混成街区全域だと聞いています。詳細は調査中です。通信途絶も複数、一部で暴動の兆候も出ています」

「それって、ブライトヤードも入ってるんじゃないだろうな?」

「全域なので、おそらく含まれているかと……」

「チッ」


 カインは舌打ちをした。


「クソ、シエルの話、マジだったか……」

「えっ、何の話ですか?」

「なんでもない。ったく、面倒なことになってきやがった。部長も知ってるな?」

「はい。今から緊急会議です。先輩も招集されています」

「帰って来てないって言っとけ!」


 雲坂は嫌そうな顔で、「先輩、嫌ですよ。後輩を何だと思っているんですか? 便利屋じゃないですよ!」と叫ぶ声を、走り出したカインは背中で聞き流した。


 ビルの地下駐車場に停めてあったバイクに向かい、シートを払うように跨る。

 赤い目。

 その目が示すものは、単なる仕様変更なんかじゃない。意思のある介入だ。この目で、見届けなきゃならない。

 

 キーをひねると、エンジンが静かに唸りを上げた。

 街の灯が遠ざかる中、カインはヘルメット越しに低く呟いた。


「スラムで何が起きてる。メディナ、お前は何を隠してる?」


 エンジンが鳴り響き、東京の乾いた風を切り裂いていく。

 その行き先は、希望か、それとも破滅か。



(第1章 第04話に続く)


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