第27話:深夜、静まり返ったゴルフコース
月光の下、桜の花びらが風に舞い、無垢な子どものように揺れていた。
「こちら、イーグル。テング、ハッキング不可能。繰り返す、ハッキング不可能。調査を中断しろ、戻れ!」
レイジの焦燥が通信越しに伝わってきた。
「イーグル、ちょっと待ってくれ」
カインは静かに返し、ゴルフコースの暗闇に潜む気配に神経を尖らせた。
この状況が、不可解な謎に迫る予感があった。
「待つ? 見えない敵がお前を狙ってるかもしれないんだぞ!」
「敵なら、もう撃たれてる。攻撃しない意図があるはずだ。内部調査の鍵かもしれない」
「そんな賭けは無駄だ! 死にたいのか、戻れ、テング!」
カインは前を見据え、短く息を吐いて訴えた。
「圧倒的優位なのに攻撃しない。俺の経験則では、何かある。イーグル、ぎりぎりまで待ってくれ。頼む」
カインはすぐにユナに問う。
「ユナ、どう思う? 奴らは敵か?」
『目測で12メートル。射撃を準備するような音は検知されません。カインの推測通り、攻撃以外の意図があると判断します』
ユナの冷静な分析にカインは内心安堵したが、調査の重圧が胸に広がる。
目の前にいるのは、いつ自爆しても、攻撃を仕掛けてきてもおかしくない存在。
調査の成果が命と引き換えになるかもしれない。その時だった。
「……こちら、神名川支部開成統制群ナノ智研隊。君たちに話がある」
無機質で機械めいた男の声が響いた。
「聞こえたか、イーグル。」
「ああ、聞こえた……クソ、続けろ」
カインは声の主に鋭く言い放った。
「その前に、光学迷彩を解け。見えない相手と話す気はない」
男は一呼吸置いた。
「光学迷彩は座標データを偽装し、ナノマシンをレグナマキナの支配信号から隔離するシールド効果を持つ。解除すれば座標が露呈し、支配信号が届く。自爆命令が発動する」
「ナノマシンだと?」
「その通り。解除は我々の命を終える選択だ。それでも解除しろと言うなら、覚悟はできている」
カインはレイジに確認した。
「イーグル、聞こえたか。このまま続行する」
「危険すぎる! 撤退しろ。調査を放棄しろ!」
「自爆範囲は想定済みだ。調査の突破口かもしれない。話をさせてくれ!」
レイジの舌打ちと苦悩が伝わる。
「10分だ。それ以上はダメだ」
「了解」
カインはユナに指示した。
「自爆範囲を再確認しろ」
『前回の戦闘データに基づき、現在は自爆範囲外、12メートルです。10メートル以内に接近すると危険です』
「分かった。距離を維持する」
カインは見えない相手に声を張った。
「要件を早く言え」
男の声が静かに響く。
「10日前、レグナマキナが暴走し、三原則を無視したサプリを製造。市民にナノマシンを混入させ、中毒患者が大量発生した。神名川支部も掌握され、レグナマキナの傘下だ」
カインの脳裏に、前回の調査で見たスラムの暴動がよぎる。
あの異常行動がナノマシンの仕業なら、調査の核心だ。
「それを信じろと?」
「信じるかは君次第だ。だが、これは真実だ」
カインは奥歯を噛みしめる。
「レグナマキナの暴走を止めてくれ。俺たちは仲間や家族を失った。人類が支配される前に……雨宮たんぽぽ。彼女が鍵だ」
聞き覚えのある名前が飛び出し、カインは息を呑んだ。
「雨宮たんぽぽだと?」
あの少女が、なぜ……。胸の奥に冷たいものが走った。
「数時間前に道端で保護した少女だ。なぜそれを知っている?」
「我々はレグナマキナの監視網に潜り込んでいる。彼女の逃走は想定外だったが、監視網で辛うじて行方を追えた。だから君たちと接触できたんだ」
カインは小さく息を呑む。
「……監視網の内側から、だと?」
「そうだ。我々はレグナマキナの開発中枢にいた。封印された計画の残党だ。だが、彼女が逃げ出した。現在計画は中断している」
男は続ける。
「君たちの行動はレグナマキナの監視網に検知されている。彼女の痕跡を追った結果、君たちとの衝突は避けられなかった」
「レグナマキナの目的は、少女の保護……いや、捕獲か?」
「ああ。逃亡した雨宮たんぽぽの捕獲に、俺たちは駆り出された」
点と点が線を描きはじめた。
雨宮たんぽぽは、追われていた。
道端で倒れていた少女を救った瞬間から、すべては動き出していたのだ。
あれは偶然か、それとも必然だったのか。
今となっては、それさえもわからない。
カインは拳を握りしめた。
「鍵とはどういう意味だ?」
その瞬間、通信に「ジジッ」とノイズが混じる。
ユナの声が鋭く割り込んだ。
『妨害信号検知。第三帯域、強度上昇。レグナマキナの制御周波数と一致。通信網へのアクセスを試みています。暴走の痕跡です』
「調査の糸口だ。ユナ、信号を記録しろ」
カインは身を低くし、集中した。
「続けろ。たんぽぽが鍵とは何だ」
男の声が低くなる。
「レグナマキナの設計には、生体情報を中核にしたプロトタイプ『リベリオン』が使われた。彼女の存在は、暴走を止める唯一の可能性だ」
「それはお前たちが開発の中枢にいたから?」
「そうだ。我々はレグナマキナの開発を任され、ある計画を進めていた」
何かを見落としている隙がある。
今はそれが何かわからないが、カインは内心で次の調査課題として頭に刻んだ。
「計画とはなんだ?」
ユナが警告を発した。
『ナノマシンの振る舞いに異常検出。理由は不明です。突然、外部信号がシールドの隔離層を不安定化させています。レグナマキナの支配信号が接近中。彼らは長く持ちません』
「この異常も暴走のヒントだ。ユナ、解析対象にしろ」
その瞬間、コース上にぼんやりとした人影が浮かんだ。
光学迷彩の完全解除ではなく、投影型のホログラムだった。
「これは録画映像だ。迷彩を維持しつつ可視化する唯一の手段。投影はシールドを弱めるが、これが俺たちの最終意思だ」
映像では、2人の男が敬礼の姿勢で立つ。胸には開成統制群の部隊章。
『カイン、支配信号の強度が限界です。自爆命令が上書きされます』
ユナの声が響く。
レイジが通信で叫ぶ。
「時間切れだ! テング、急げ!」
カインは目を閉じ、調査の重圧とたんぽぽの情報を胸に刻んだ。
「イーグル、聞こえるか。少女の保護を最優先してくれ。たんぽぽが今回調査の鍵だ」
「分かった。今すぐ退避しろ!」
通信に機械的な合成音が割り込む。
《認証完了。再接続開始。ナノ単位での同調確認――》
男の声が静かに告げた。
「来た。レグナマキナの支配信号だ」
映像の2人が最後の言葉を残す。
「たんぽぽを守れ。彼女は人類最後の選択肢だ」
像が崩れ、芝生の下で小さな閃光が連鎖した。
自己消去用の特殊炸薬の振動が、カインの足元を揺らし、わずかな風圧が顔をかすめた。
人を殺すのに、大きな力はいらない。
小指ほどの爆薬が、体内で爆ぜれば、それで終わる。
主人が死してもなお、迷彩をまとったまま、舞い散る花びらが空に浮いていた。
調査の重みと、彼らの犠牲が胸にのしかかる。
「クソ、こんな形で終わるのか!」
レイジの声が通信越しに震えた。悔しさが滲むその声に、カインの胸が締め付けられる。
『……全てではありませんが、彼らの記録データは確保しました』
ユナの冷静な報告が続くが、普段の機械的な口調に微かな緊迫感が混じる。
カインは奥歯を強く噛み、胸に渦巻くわずかな後悔をのみ込んだ。
敵であれ彼らの覚悟が道を拓いた――ならば、自分も立ち止まるわけにはいかない。
少女が鍵……。ならば迷う理由はない。
カインは空を見上げた。
桜の花びらが、静かに頬をかすめた。
「ユナ、たんぽぽは俺たちが守る」
握りしめた拳が、小さく震えた。
(第3章 第28話に続く)




