第25話:無邪気な情報
クラブハウスに戻った隊員たちが、最初に向かったのは――。
「鞍馬さん! サインください!」
「おまえ、本当にあの零番隊の鞍馬なのか?」
「本物だ……生きてたんですね」
歓迎というより、どこか物珍しげな、数奇な視線と声だった。
第A2特別戦術大隊 零番隊
陸自で初めて電撃戦を敢行し、今の特任隊の先駆けとなった伝説の分隊。
わずか4名で数多の任務を遂行し、無謀、無鉄砲、蛮勇の体現者として恐れられた。
だが、その実態を知る者は軍の上層部のみであり、世間には断片的な噂が伝わるのみだった。
それはやがて、時の流れとともに浄化され、神話のような存在へと変わっていった。
カインは、その分隊で軍歴の半分以上を過ごしていた。
「お前ら、遊んでる暇があったら装備の点検と傷の手当が先だ。次があるかもしれねえ。さっさと取りかかれ!」
レイジの一喝で、取り囲んでいた隊員たちは渋々離れていった。
200対4。
いくら百藍特任隊といえど、無傷では済まなかったようで、ノアが負傷者の治療にあたっていた。
カインが見た限り、インナーコードの副作用は現れていないようだった。
それに、傷の手当といってもナノマシンの影響下にある隊員たちには、ほとんど必要ないように思えた。
破れた戦闘服の下の傷は、すでに治りかけていたのだ。
カインが2人を呼びに行こうとしたとき、騒がしい声に気づいたのか、シエルとたんぽぽが2階からおそるおそる降りてきた。
「……よかった。みんな無事だったんだね」
シエルがカインに歩み寄り、安堵の笑みを浮かべた。
「ああ」
「……これ、返すね」
シエルはそっとグロックを差し出した。
カインは一瞬それを見つめ、黙って受け取った。
「怖い思いをさせたな。悪かった」
シエルは小さく首を横に振った。
そのしぐさに、どこか引っかかるものを感じた。
たんぽぽはロビーの端に腰を下ろし、どこで見つけたのかゴルフボールを手にして遊んでいた。
「……なにかあったのか?」
カインが問いかけると、シエルは再び小さく首を振り、微笑んだ。
「ううん……なにも。ただ、少し怖かっただけ」
その言葉を残し、シエルはカインからそっと離れた。
カインは目でその背中を追う。
彼女はたんぽぽに近づくこともなく、距離を置きながら両腕を抱え込むようにして立ち尽くしていた。
隊員たちの治療が終わったのか、ロビーに集まりはじめた。
「デブリーフィングを始める」
隊長の一言で、ロビー横の小部屋に集まった。
もとはゴルフバッグ用の保管室らしく、窓はなく、出入口が東西に2か所。四方は厚い壁に囲まれていた。
司会は隊長、鷲津レイジ。
出入口にはカスミとトウヤが警戒に立ち、シエルとたんぽぽが壁際に座る。中央にはレイジとノア、少し離れてカインが腰を下ろした。埃が立ち、喉がむず痒い。
報告はルーチン通り、怪我の有無、使用弾数、消耗品、残弾数と続く。ノアがタブレットを操作し、逐次データを照合した。
「武器の損傷は?」
返答はなし。全員、異常なしと記録される。
衛星経由で大半のデータは自動取得されており、問題があれば各自申告する仕組みだ。
報告は淡々と進み、いよいよ最後の議題が残った。
「今回の敵は、――同胞と考える。異議はあるか?」
返答はなかった。
「根拠は薄いが、神名川支部の部隊と推定する。異論は?」
また、沈黙。
「何か気付いたことがあれば、報告しろ」
誰も口を開かない。と思ったそのとき、カスミが手を挙げた。
「セムテックスをどう解釈する? 自衛隊にはない爆薬だ。厚木から流出したのか?」
「仮に米軍から流れたとしても、全員が装備してたんだ。数も量もおかしい。それに最後は全員、ドボンだぜ」
トウヤは手を上げ、花が開くように指を広げて見せた。
「鞍馬。お前、戦ってどう感じた?」
「どうって?」
「感触だ。俺たちより場数を踏んでんだろう。引っかかったこと、気づいたこと、なかったか?」
カスミの問いに、カインは一瞬、言葉を失った。
たしかに、レイジの言う“陸自の人間”という線は考えられる。
だが、それを裏付ける証拠はなく、どこか現実味に欠けていた。
まして、セムテックスを持っていたとなれば、疑問は深まるばかりだった。
「……すまない。感触といっても、戦場なんてどこも似たようなものだ。特に目立ったことはない」
そう口にした瞬間、胸の奥で小さな違和感が灯った。
霧が晴れるように、曖昧だった思考が輪郭を帯び始める。
起爆装置のないセムテックス。
倒れた兵士まで巻き込む徹底した爆破。
もし、敵もこちらと同じようなインナーコード式通信を用い、それが起爆信号を兼ねていたとしたら――。
つまり、兵士たちはボスの一声で命を絶たれる、そんな状態で戦わされていた。
――何のためだ。
その先を考えかけたところで、カインは思考を断ち切った。
飛躍しすぎだ。荒唐無稽な妄想に過ぎない。そう自分に言い聞かせる。
「鞍馬さん、どうしました?」
ノアが小首をかしげ、覗き込む。
心の奥を見透かすような視線に、カインはわずかに眉を動かした。
「……なんでもない。強いて言えば、生き延びる。それだけが戦場で感じることだ」
あっさりとした答えに、場にわずかな沈黙が生まれる。
だがカインは気にする様子もなく、口を閉ざした。
「よし。今回の敵は神名川支部の隊員、と報告を入れる。他に何かあれば言え」
沈黙。
「そういえば――」
トウヤがぽつりと口を開いた。
「奴ら、最後、自爆してましたよね。倒れた兵士まで……。陸自って、あんな戦い方、するんですか?」
敵は残り100を切ったあたりから、次々と自爆を始めた。
そのせいで1人も捕虜を得られず、詳細な情報は何も掴めないまま戦闘は終わった。
もし最後の一兵まで粘り、死に物狂いで戦っていたら。
こちらの損耗も、負傷者も格段に増えていただろう。
――運が良かったのかもしれない。
あるいは、敵の潔さに救われたのか。
本当に、それでいいのか。
心の奥で誰かが問い続けているようで、カインはふと眉間にしわを寄せた。
「わからないことだらけですね」
ノアが、しみじみとつぶやく。
わかることより、わからないことの方が多い。
それが戦場では常だ。
あえて誰も口にはしなかったが、時折もれる小さなため息が、その答えを語っていた。
しかし、カインだけは違った。
胸を刺すような違和感、拭えない疑念。
それらは、カインが歩いてきた戦場ではまず感じない種類のものだった。
信頼、信用がすべての戦場で、カインは重い決断する。
「ユナ、調査を頼む」
『了解。内通者および、通信傍受の痕跡を確認します』
ユナとの不穏な会話が終わったときだった。
「見張りを置く。順番は序列で――」
レイジの言葉が、漂う重い空気を拭い去った。
カスミはここぞとばかり声を張り上げた。
「百藍式でいこうぜ。それがいいだろ、なあ、隊長」
カスミは壁に背を預け、笑みを浮かべる。
レイジは迷いを見せながらも、結城に指示を飛ばす。
「わかった……。倒した人数の多い順で決める。……誰だ、結城」
タブレットを確認する必要もない。
自然と全員の視線が、少し離れた場所に座るその人物へと集まっていった。
見張りの順番とデブリーフィングが終わり、隊員たちは三々五々に散っていった。
そのとき、「鞍馬、ちょっと来い」とレイジに声をかけられた。
シエルの様子が気になったが、カインはレイジのもとへ向かう。
近づくと、レイジは何も言わず、そのまま歩き出した。
――ついて来い、ということだろう。
カインは黙ってその背中を追い、保管室を出て車寄せに向かった。
そこに停めてあったオフロード車に、レイジが乗り込む。
カインも助手席に座った。
「なんだ?」
先に口を開いたのはカインだった。
頭の片隅にはまだ、シエルの姿が残っている。戦闘中、彼女に何かあったのではないか。
そんな思いが拭えなかった。
「……なぜ、黙ってた」
レイジの言葉に、一瞬カインの耳が追いつかなかった。
「……何が?」
「ふざけるな。元隊員ってのは聞いていたが、元零番隊ってことは知らなかった。なぜ黙ってたんだ!」
苛立つ声が車内に響く。
「……それが、気に食わないのか」
カインの低い声に、レイジは拳を握りしめた。
「お前っ――!」
「なにしてんのぉ?」
レイジの怒鳴り声を遮るように、たんぽぽが助手席の窓から顔をのぞかせた。
愛くるしい瞳が、きらきらとこちらを見つめている。
「子供はあっち行ってろ!」
「やだよぉ。お兄ちゃん、遊んでよぉ」
たんぽぽはふてくされたように顔を歪め、レイジに舌を出すと、今度はカインの目をじっと見つめた。
「ねぇ、カインお兄ちゃん。インターコードだっけぇ? 使えたんだねぇ」
「えっ!」
声を上げたのは、レイジだった。
「鞍馬、それは本当か? 使えるのか!?」
カインは内心、苦笑めいたため息をついた。
元零番隊だったという情報より、あの少女の言葉の方が気になるとは――信憑性もへったくれもない。
そもそも、少女がインナーコードの仕組みを知っていること自体、カインには何より不可解だった。
「ああ。インナーコードという名前は知らなかったが、新東京のメディナとは繋がっている」
「……それも黙っていたのか」
レイジの目が鋭さを増す。
カインはため息をつきたくなったが、ぐっと堪えた。
「雑賀大佐から、このことも伝わっていると思っていた。元隊員ということもあるし、メディナとナノマシンで繋がっていることは大佐も承知の上だ。それだけだ。隠していたつもりはない」
レイジは小さく舌打ちした。
「……零番隊だったなんて聞いてない。大佐から聞かされていたのは、元軍人ということだけだ。今は民間人で、現役軍人以外で初めてナノマシンに適応した人間――それだけだ」
すべてを知らされていない。それは、自分の立場を脅かすことに直結する。
果たしてそれが、どういう意味を持つのか。
大佐の意図など、誰も知る由はなかった。
「……だからか」
レイジが思い出すように、ぽつりと呟いた。
「俺が脳震盪で倒れてる間、何があったのか、隊員に聞いた。鞍馬の指示で逃げ延びたって……。あれは、メディナのAIと繋がってたからか?」
「ああ。メディナの指示に従って、望月に命令を出した」
少し間を置いて、レイジの蚊の鳴くような声が耳に届いた。
「……そうか。礼が遅くなった……助かった。ありがとう」
かすかすぎて聞き取れないほどだったが、カインは聞き返すような無粋な真似はしなかった。
「鞍馬、悪いがこの情報は隊員たちと共有させてもらう。状況が状況だ、理解してくれ」
「わかった」
カインが答えた瞬間、視界を黒い影が横切った。
たんぽぽが窓枠によじ登り、そのままカインの膝の上に座り込んでいた。
「よいしょっとぉ。わーいぃ、お膝の上だぁ」
カインの膝の上で足をぱたぱたさせながら喜ぶたんぽぽ。
さっきの言葉と仕草がまるで噛み合っていなかった。
ますます困惑していくレイジが、深いため息をつく。
「まあいい。で、俺たちを観察していたのか?」
レイジが改めて問いかけた。
「さぞ楽しかっただろうな。格下の隊員が失敗していくのを」
その言葉に、カインはどうしようもなく嫌気が差してきた。
軍を辞めた理由の一つが、まさにそこにあった。
上を目指す。それは悪くない。だが、いくら強くなったとしても、妹ひとり守れない。
誰のために闘い、誰のために強くなるのか。
人を殺し、また殺す。
そんな負のスパイラルに陥った隊員たちを、カインは何度も目の当たりにしてきた。
そして最後には、自分の命を手放すことになる。
誰も救えず、誰にも求められない。
そんな軍に、カインはついにノーを突きつけたのだった。
カインはふと笑みをこぼした。
――こんなつまらない気持ち、誰がわかるというのだ。
「なにがおかしい!」
レイジが声を荒げる。
「いや、すまない」
カインはたんぽぽの頭に手を置き、穏やかに答えた。
「雑賀大佐からは何の依頼も受けていない。俺に課せられた任務は神名川支部の内部調査、それだけだ。安心しろ」
「それは本当なんだな」
「ああ。そうだ」
これでレイジの気も済んだだろう。
そう思い、カインはドアノブに手を伸ばしかけた、そのときだった。
思わぬ人物の口から、衝撃の情報がもたらされる。
「神名川支部ぅ? あそこの基地はもうダメだよぉ。お母さんに支配されてるからぁ」
レイジとカインの息が止まった。
「たんぽぽ、どういう意味だ。お母さんってレグナマキナのことか?……支配ってなんだ?」
カインが最初に問いかける。
「ん? あれぇ、知らないで来たんだぁ。だから少ないんだねぇ。大部隊でこないとぉ、お母さんはまだまだ仕掛けてくるよぉ。さっきの部隊だって2軍だもん。エリートが出てきたら全滅しちゃうよぉ」
たんぽぽの無邪気な声が、静かな夜に響く。
謎の少女の口から語られた、真偽不明の“情報”。
がせだと切り捨てるのは簡単だった。
だが、それをするにはあまりにも、背筋に冷たいものが走った。
カインとレイジは、視線を交わす。
その目に宿ったのは、同じ疑念だった。
「……行くしかねぇな」
レイジが低く呟いた。
夜の闇が、ふたりの覚悟を静かに包んでいった。
新たな戦いの地、神名川支部。
カインたちを待ち受けるのは、希望か、絶望か。
健康管理AIに支配されたその場所で、何が待つのか――。
(次回、第3章「神名川編、開幕」 第26話:「見えない敵の夜、桜舞う深淵」)