第23話:青い瞳の戦場
「クラウドスターリンク、接続完了!」
鷲津レイジの声が、ロビーの壁に反響した。
衛星網が体内ナノマシンと軍事AIを直結。隊員たちの瞳に、覚醒の青い輝きが宿る。
カインの目が険しくなる。
副作用の記憶。――戦友がリンク後に自我を失い、壊れた笑顔を浮かべた姿が脳裏を刺す。
声をかけようとした手が止まり、握り潰した拳がわずかに震えた。
かつての自分を重ね、言葉を飲み込む。覚悟を決めた兵士に、余計な言葉は無用だ。
「各自、武器の最終確認! インナーコード、AI接続を厳密に保て!」
レイジの号令が鋭く響く。
インナーコード――衛星網を介して体内ナノマシンと軍事AIを直結するシステム。
筋肉は強化され、熱源は環境に溶け、敵のサーモセンサーから影を消す。
レイジが振り返り、カインの前に立つ。
背には『M15-TR “Velcro”(ヴェルクロ)』
1メートルを超える銃身が、AIの精密照準で敵を貫く。
その表情は無機質。インナーコードの覚醒か、素の冷徹さか、カインには判別できない。
「鞍馬、これを」
レイジの声は静かだが、刃のように鋭い。
差し出した手には、艶消しの『グロック19-BL』とマガジン、それと透明なカプセル。
「武器の携行を許可する。このカプセルを飲め。インナーコードで俺たちの位置と通信をリンクする。24時間で体内から消滅する。安心しろ」
カインは隊長の手の平を見つめる。
グロックの無骨な輪郭。カプセルに揺れる微かな光。
かつての戦場で、似た約束を信じた戦友の顔が、脳裏をかすめた。
「勝てるのか? 200対4だぞ」
カインの声には、わずかな皮肉が滲んでいた。
レイジの青い瞳が鋭く光る。
「負けると言いたのか?」
レイジはまっすぐ立ち、カインの目を射抜くように見つめた。
「同胞かもしれんぞ」
続くカインの言葉にも、レイジの視線は揺るがなかった。
「だとしても、攻めてくるなら戦う。それだけだ」
カインはそれ以上何も言わず、銃とカプセルを受け取った。
レイジの目の前でカプセルを飲み込み、銃をベルトに差し込む。
そして静かに手を差し出し、握手を交わした。
それは初対面の力比べのような握手ではない。
互いの矜持を確かめ合う、重く、静かな握手だった。
「車は置いていく。危険だと判断したら逃げろ。俺たちに構うな。いいな」
「……わかった」
「彼女のシルエット・カラーは、俺の権限で一時保留にしてある。心配するな」
レイジはそれだけ告げると、隊員たちのもとへ戻った。
シエルが静かに歩み寄り、「……戦うの?」と小さく問いかける。
カインは、ただうなずいた。
隊員たちはレイジの背に続き、ロビーを出ていく。
誰一人、振り向かなかった。
日が落ちた闇夜の中、彼らは影のように溶け、姿を消す。
カインも足早に出入り口へ向かった。
もう、何もなかった。
駐車場が海のように広がり、その先で木立が夜空に黒い槍のように突き刺さる。
クラウドスターリンクの衛星が、星々のように無数に瞬く。
ナノマシンが隊員の筋肉を強化し、心拍を最適化する。
彼らの熱源は冷たい空気に溶け、敵のセンサーには、きっと何も映らない。
――何のための戦いなのか。
来るから撃つ。撃つから撃ち返す。
戦場は、いつだってその繰り返しだ。
意味なんてない。
人の死さえ、意味を失う。
そんな戦場だったことを思い出し、カインの胸はひどく痛んだ。
ーーー
「全隊、展開!」
レイジの号令がナノマシンを介し、衛星を経由して隊員たちの頭蓋に直接響く。
低軌道衛星からの通信に遅延はない。
影のように消えた隊員たちが、闇を裂く。
見えない敵を、見えない相手が撃つ。
戦闘機に世代があるように、彼らの戦闘スタイルもまた、次世代と呼べるものだった。
視認より早く敵を撃ち、
隠れた相手を炙り出し、
殲滅する。
ジェノサイド。
どちらの陣営が最後まで屹立しているのか。
それは、神のみぞ知る。
ーーー
ロビーに戻ったカインは、タブレットを手に取った。
衛星ネットワーク経由で、戦場が映し出される。
半径500メートルのサークルの中心にクラブハウスがあり、外縁に小さな点がいくつも光り、赤い点がレイジたちを示していた。
「なにぃ、見てるのぉ? テレビぃ?」
大人しく座っていた雨宮たんぽぽが、ひょいとタブレットを覗き込む。
「なーんだぁ、クラウドスターリンクかぁ。面白くないぃ」
……「今さら」って感じだな、とカインは思った。
「おまえ、これを知ってるのか?」
「知ってるよぉ。でもぉ、カイン、おなか空いてないぃ?」
「……話を聞いてたのか?」
カインが問い詰める。
「違うぅ。基地に居たときにぃ、練習してたの見てたからぁ」
「基地で見てたから?」
カインは、独り言のように呟いた。
聞こえてなかったのか、返事はない。
基地。どこの基地だ。
カインが詰め寄ろうとした、そのとき。
頭蓋に、声が響いた。
「こちらロジック。すまない、一匹逃した。クラブハウスに接近中、対応を求む!」
望月トウヤのコードネーム――ロジックの通信だ。
「こちらイーグル。バカやろう、何やってんだロジック! 即応で対処しろ!」
すぐに反応したのは鷲津レイジ――イーグルだった。
戦闘中は、コードネームが飛び交う。
カインは無意識に名前へと変換しながら、やり取りを追った。
「こちらテンペスト。俺がカバーに入る」
氷室カスミ――テンペストの冷静な声が聞こえた。
事前に渡されたカプセルで通信を聞いていたカインは、早速役に立つとは思いもしなかった。
カインはすぐにタブレットを確認する。
南東の方角から、白い点が一つ。クラブハウスに向かって近づいていた。
「こちら、ベース。俺が対応する」
一瞬の空白。
「……こらち、イーグル。無理はするな、テンペストがカバーに入る」
「いや、テンペストの位置からでは無理だ、時間がない。1人くらい、なんとかなる」
「……了解。テンペスト、念の為、バックアップに当たれ。以上」
通信が終わり、タブレットから目を離し、隣で不安そうに見ていたシエルに声をかける。
「シエル、彼女を連れて二階に上がってくれ。敵が来た。俺が合図するまで、なにがあっても降りてくるな。わかったな?」
「……え、うん」
カインはシエルにグロックを手渡した。
「使えるな?」
「た、たぶん。でも……カインはどうするの?」
「俺のことは気にするな。彼女を守れ」
シエルは無理に笑顔を作る。
カインはそっと彼女の肩に手を置き、まっすぐ目を見て言った。
「頼んだ」
一度たんぽぽに目をやり、もう一度シエルを見てから、コース側の出入り口に向かった。
残された2人。
「ねぇ、お姉ちゃん。いこぉ」
「あ。うん」
たんぽぽの小さな手を握り、シエルは階段を登る。
途中振り返ってみたが、そこにカインの姿はなかった。
カインは暗闇を駆け抜けていた。
ユナと同期している彼の視界は、闇の中でも鮮明だった。
インナーコード。
軍事AIとクラウドスターリンクの複合体システム。
カインとユナの繋がりを「メディナ版インナーコード」と呼ぶべきか迷っていたが、まだ名前をつけていなかった。
「ユナ、ナノマシンで身体強化は可能か?」
『可能です。ただし、強化値が上がるほど後遺症が増し、筋肉痛やだるさから、筋繊維の断裂、内出血、神経過負荷、最悪の場合は臓器不全や意識喪失に至るリスクがあります』
「移動に支障がない程度は、何パーセントだ?」
『20%から35%の強化が安全域です。この範囲では軽いだるさや一時的な筋肉痛が発生する可能性がありますが、戦闘や移動に大きな影響はありません。40%を超えると――』
「わかった、もういい。35でいく」
ユナの説明が続きそうになり、カインは思わず遮った。
後遺症を抱えてまで戦うつもりはない。
相手が1人か2人なら、それ以上の強化は必要ないだろう。
「どんな能力を得られる?」
『カインの身体能力を加味して計測します。――測定中……測定完了。
筋力は通常の1.2から1.4倍。重い装備の持ち運びや中距離ダッシュが容易になります。
反射神経は10から20%向上。敵の攻撃をかわす精度が上がります』
「現役時代に戻った感じだな」
体が軽い、というより、周囲の空気が遅くなったような感覚だった。
「悪くない」
ユナが事前に教えてくれていたおかげで、カインはここまでの仕組みを簡単に飲み込めた。
レイジの腕に浮かんだ「インナーコード」の文字を見たとき、ユナが説明してくれたのだ。
『カインにも同等以上の能力があります』
その言葉には、思わず声を上げそうになった。
「健康管理AIなのに、軍事面も知っているとは、意外だった」
『AIはすべての事柄に広く精通している必要があります。軍事面だけでなく、操縦技術や生理学に心理学。さらには人間関係の解析にも対応しています。健康維持を最大化するためには、あらゆる分野の知識が必要です』
カインは疾走しつつ、鼻で笑う。そうする以外、適当な言葉が見当たらなかった。
「ユナ、力を貸せ。接近戦でいく。上手く行けば武器を奪って、そこから支援に入る!」
『了解しました。鞍馬カイン、あなたに全面協力します』
荒れたゴルフコースを駆け抜ける。
ナノマシンとAIの力によって、視界の先に武装兵士の姿が昼のように鮮明に浮かんだ。
(第2章 第24話に続く)