第21話:たんぽぽの警告
目を覚ました鷲津レイジに、結城ノアは手を焼いているようだった。
「まだ安静にしなきゃダメです」
「俺に構うな! 大したことない」
カインはこのやり取りを、さっきから何度も耳にしていた。
互いに譲らないのは、医師としての責任か、それとも隊長としての矜持か。
その様子がどこか可笑しくて、鞍馬カインは小さく笑みをこぼした。
「おいおい、2階まで丸聞こえだぞ。夫婦ゲンカなら他でやってくれ」
氷室カスミが階段を下りながら、茶化すように声をかけた。
入れ替わるように、望月トウヤがコース側から戻ってきた。状況を飲み込めず、ただきょとんとした顔をしている。
そんな華やいだ空気に、水を差すような声が響いた。
「あーもぉ、うるさいぃ」
その声に、誰よりも驚いたのはすぐ傍にいた藤間シエルだった。
寝袋の上で、少女は気持ちよさそうに背伸びをしながら、のそのそと体を起こす。
「ねえぇ、お腹すいたんだけどぉ」
ハスキーボイスで投げるように言う少女。
語尾の妙な伸び方は、今どきの子供特有なのか、それとも彼女自身の癖なのか。
カインには、聞き慣れない響きだった。
「そこのお姉ちゃん。食べ物もってないぃ?」
「……えっ、わたし?」
突然声をかけられたシエルは、目を丸くして自分を指さす。
「そうよぉ。目が合ってるじゃん」
少女の瞳はくりっとして愛らしいのに、間延びした口調とは釣り合わず、どこか奇妙な印象を与える。
「……ちょ、ちょっと待って。何かあるか探してみるね……」
「よろしくぅ」
ほんの短いやり取りだったが、少女の癖――語尾を重ねるように延ばす調子が、カインに見えてきた。
カインはそっと少女に近づき、問いかける。
「君、名前は?」
「ん? あんただれぇ」
「鞍馬カイン」
「ふーん。私は雨宮たんぽぽぉ。4月生まれだからぁ」
語尾を伸ばすのは、母音だけらしい。
「お母さんとお父さんは、どうしたのかな?」
ノアが優しい声で尋ねる。
たんぽぽがノアを見た。いや、睨んだ。
彼女の鋭い眼光に、ノアはたじろぎ、思わず腰を引いた。
「あなたぁ、きらいぃ」
ぷいっとそっぽを向き、隣にいたシエルに抱きつく。
「ハハハッ、結城、嫌われたな。おまえの腹グロがバレたんだよ」
「う、うるさい! あなたは黙ってて!」
ノアのやられっぷりに笑いながら、カスミが階段を下りてくる。
ポケットから小袋のアメを取り出し、たんぽぽに差し出した。
「これ、あげるから。両親のことを教えてくれる?」
腰を屈めたカスミを、たんぽぽは上目遣いですっと手を伸ばし、アメを受け取る。
「知りたいぃ?」
「ああ、教えてくれ」
たんぽぽは、小袋を開けてアメを口に放り込む。
「ん……どうしてもっていうならぁ……アメのお礼にぃ。教えてあげるよぉ」
たんぽぽは包み紙を器用に丸めながら、続けた。
「お母さんは『レグナマキナ』でぇ、お父さんは『雨宮』かなぁ?」
彼女の言葉に、いち早く反応した者が二人いた。
「レグナマキナ、だと……? 本気で言ってんのか」
声を荒げたのはレイジだった。
少女相手に怒るなんて大人気ない、と思う反面、カインも納得できた。
レグナマキナ――神名川県の健康管理AIの名前。
それを母と呼ぶ、この子は一体何者だ。
「シエル。なにか心当たりがあるのか?」
カインはもう一人、驚きを隠せない表情のシエルに問いかけた。
少女が自分の母親をレグナマキナと言って驚いたんじゃない。
それは彼女の表示を見れてば、察しがつく。
シエルはたんぽぽを見つめ、すっと顔を上げた。
「……『雨宮』の名は、健康管理AIの基礎理論を作った博士の名よ。偶然かもしれないけど……レグナマキナって聞いて、思い出したの。雨宮博士‒‒私がウィル社を辞める数カ月前に行方不明になったって聞いた。会ったことも、話したこともないけど……もともと雲の上の人だったから、真相はわからない」
「おっ、それ聞いたことある!」
トウヤが口を挟む。
「瑠璃隊に捜索依頼が来たって言ってた。たしか、博士の名前って雨宮レイ――」
「べらべら喋るな、望月!」
レイジが鋭く割り込んだ。
その様子は妙に刺々しく、何かを隠しているようだ。
……トウヤは「レイジ」と続けようとしていたのではないか。
鷲津レイジ――百藍特任隊隊長。彼と何か関係があるのか、それともただの偶然か。
一旦頭の中のメモに書き加え、保留にした。
考えないといけないことがあり過ぎる。
複雑に絡み合う人間関係。
謎の少女。
コンビニでの発砲。
暴走トラック。
ジャミングも効かず、逆に仕掛けられた。
そして、作戦続行の有無。
カインは重く息を吐いた。
嫌な予感しかしない。
「……なあ、さっきから話が見えないんだけど? 誰か、俺にもわかるように説明してくれない?」
カスミが腰に手を当て、目を細めて周囲を見渡した。
「俺が聞きたい! お前らも資料を読んで知っているだろう! レグナマキナ……神名川県の健康管理AIの名前だ。それを母親とは、聞いて呆れる」
レイジがぶっきらぼうに言った。
「AIが雨宮たんぽぽのおかんってのは……あれか。育ての親的な考えか?」
「俺が知るか! こいつに聞け」
レイジは冷徹な表情で言い放つ。
「ちょっと待って。それ、私、聞いたことがある」
ノアが口を挟んだ。
「神名川県のAIは、新東京のメディナの最新バージョンだって話だよ。レグナマキナは、ただの健康管理AIじゃない」
ノアが続ける。
「生活全般の管理、教育、心理ケア、進路指導……あらゆる場面で“保護者”の役割を果たすように設計されてる。食事のアドバイスも、叱るのも、励ますのも、全部“母親”のように振る舞うプログラムが入ってるの」
「それって……」トウヤが言いかけると、レイジが低く続けた。
「母親属性AIってやつだ。法律上は保護者じゃないが、実質、親代わりだ」
「育てられた子どもにとっちゃ、本当の母親も同然ってことか。血の繋がりでも、契約でもなく、心の中で……」
カスミが顔を曇らせ、たんぽぽを見つめた。
「じゃあ、この子が言ってるおかんの件はいいとして。おやじの方はどうだ? トウヤ、さっき何か言いかけただろう」
カスミは自分でも半分わかったような、半分疑うような顔でトウヤを見た。
だが、トウヤはレイジの目を見て、口を閉ざした。
「もういい。ヤツの件は一旦保留だ。今はさっきのトラックだ。結城、データを寄こせ!」
ノアが無言でタブレットを操作し、差し出す。
レイジはしばらく画面を追っていたが、途中で動きを止めた。
「なんだ、このジャミングは……トラック側から仕掛けてきたってことか?」
レイジは脳震盪で知らなかったらしい。
その問いに応じたのは、トウヤだった。
「急にアクセルがスカスカになって、スピードが出なくなったんです。トラックに並ばれた瞬間でしたから、そう考えるのが自然かと」
「軍用車だぞ? そう簡単にジャミングされるわけがない!」
「えっ? 隊長、それって俺の運転ミスって意味ですか?」
トウヤがむきになって声を上げる。
「そんなことは言ってねぇ。ただ普通じゃねぇって話だ」
レイジは短く返し、再びタブレットを見つめ直した。
カインは二人のやりとりを黙って見守りながら、心の中で冷たく笑った。
――普通? そんなもの、もうどこにも残っちゃいない。
そもそも、こんな任務に就いた時点で、「普通」なんて言葉はとうに捨ててきた。
健康管理AIが三原則を無視し、
サプリで中毒者が生まれ、
神名川支部とは連絡断絶。
これだけ揃えば、異常事態どころか、完全な緊急事態だ。
ジャミングなんて、可愛いもんだろう。
「結城、本部と連絡を取ってくれ」
レイジは気持ちを切り替えるように、ノアに命じた。
「はい」
ノアはタブレットを操作する。しかしすぐに、手を止める。
「隊長。ここ……電波が遮断されています。クラウドスターリンクに問題ありませんが、通常無線はだめです。これって……」
「なんだと? ちょっとそれをよこせ」
レイジはノアからタブレットを乱暴にひったくるように受け取ると、そのまま操作を始めた。
しかし、わずか数秒後。
小さく舌打ちしながら、無言でタブレットをノアに突き返す。
カインが手を伸ばしかけたが、それより早く、ノアの手がそれを受け取った。
一瞬、その目が鋭く細められる。
――C4I端末、無線が通じない?
自分でも確かめようとした矢先、トウヤが口を開いた。
「どうします? いまから引き返しますか、隊長」
「ちょっと待て。今考える……」
「今からぁ、動かないほうがぁ、いいよぉ」
シエルからもらった携帯食を口にしながら、たんぽぽが間延びした声で言った。
一同の視線が自然と彼女に集まる。
「雨宮さん、どういうこと?」
ノアが問いかけるが、たんぽぽはぷいっと顔を逸らす。
その様子を見て、カインが静かに聞き直した。
「たんぽぽ、なぜ行っちゃいけない」
「うーんとねぇ。夜になるとあぶないからぁ」
「……それは、子供だからか?」
カインは辛抱強く尋ねた。
たんぽぽは大人びた仕草で肩をすくめ、口をとがらせる。
「そんなわけないじゃん。夜になればわかるよぉ」
沈黙が場を包んだ。
夜――。
カインは自分のウェアラブル端末を見やり、時間を確認する。
2月の日の入り時刻は、17時30分。あと、20分と少し。
夜というキーワードが出たことで、カインは嫌な予感がした。
「子供の言うことなんて聞いてられるか! 無線の確認だ。結城、遮断原因を突き止めろ! それでも駄目なら予備を使え。連絡が取れ次第、厚木に出発‒‒」
レイジの声が鋭く響く。
だが、誰も聞いていなかった。
ロビーに、警戒アラームがけたたましく鳴り響いたからだ。
トウヤは拠点確保の手順に従って、偵察ドローンを飛ばしていた。
「半径500メートルに、侵入者あり。数……数……」
トウヤの声が途中で途切れる。
見開かれた目。
ぱくぱくと開閉する口。
陸に打ち上げられた魚のような動き。
カインは異変を察し、駆け寄った。
タブレットの画面を覗き込む。
そして、カインもまた目を見開く。
「数……200。全方からクラブハウスを囲むように何かが近づいてきます!」
(第2章 第22話に続く)




