第19話:切り離された部隊
オフロード車が総合体育館に乗り入れたのは、午前11時過ぎだった。
無人の駐車場の中央に車を停車させた。
ここまで、誰も口を開かなかった。
コンビニの不気味な光景もさることながら、途中で少女を拾って以降、人の姿を一切見ていない。
「第1種警戒体制!」
レイジが号令をかける。
「望月、偵察ドローンを飛ばせ。索敵範囲を半径1キロに固定」
「はい!」
「氷室、車外に出て警戒」
「りょーかい」
「結城、本部と通信確保。行け!」
「はい」
結城の返事をきっかけに、隊員たちは一斉に動き出した。
間もなく、天井を伝う足音が響く。
カスミだ。
屋根に乗ったのだろう。だが、次の瞬間には音は途絶え、気配すらも消えた。
ノアは車内に留まり、手にしたタブレットを操作し始める。
ドローンの準備を終えたトウヤが戻り、ドローン操作をAIに切り替えた。
ここまで、およそ5分少々。
オフロード車を中心に半径1キロ圏内、不審な動きがあれば即座に警報が鳴る体制が整った。
さすがと言うべきか、当然と言うべきか。
カインは、いまこの車の中にいれば、宇宙からミサイルでも降ってこない限り安全だろうと思えた。
「シエル、コンビニで何があった?」
カインが振り返り、シエルに目を向けた。
シエルは背を丸め、震える指先をぎゅっと握りしめている。
「……最初は、普通だったの。でも、ペットボトルを持ってレジに行っても、誰も出てこなくて……」
シエルは両手を強く握った。
操作を終えたのか、ノアがタブレットから目を離し、そっとシエルの肩に手を置く。
「私が、カウンターの中を覗いてみたの。そしたら床に足が見えた。それで何かあったと思って、振り返ったら……藤間さんの後ろから、不審な人物が近づいてきて」
「発砲したのか?」
「様子がおかしかったから……。最初は天井に向けて、警告の1発。それでも止まらなかったから、足に1発撃ったわ」
計2発。発砲音の数と一致し、片足には確かに撃たれた跡があった。
それにしても、話を聞く限りではためらいのない判断だ。警察でも、ここまでの対応はそうそうしない。
裏を返せばそれだけ、コンビニにいたその人間が異質だったということだ。
「……それでも動き続けたの。それで、藤間さんと一緒に店を出たの」
「わかった。相手はどんな感じだった?」
カインの問いに、ノアは少し考え込む。
そして慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「語弊があるかもしれないけど……わかりやすく言えば映画とかで見る、いわゆる“ゾンビ”みたいだったわ。もちろん、腐ってたり、腕が取れてたりはしてないけど」
「目は赤かったか?」
カインが不意に問いかけた。
ノアは一瞬、「どうして?」という顔をしたが、すぐに首を振る。
「いいえ。ちゃんと確認したわけじゃないけど、普通だったと思う。……なぜ?」
「なんでもない」
カインは短く答え、前を向いた。
目は赤くなかった。
だがあのとき、駐車場で不審人物を見たとき、最初に気づいたのはあの「目」だった。
赤い光。
まるで、ディスペンサーの「目」のように……俺の見間違い、なのか?
「……もしかしたら、中毒者かもしれない」
シエルが小さな声で呟いた。
「中毒者?」
ノアが聞き返す。
「……ええ。スラムで見たことがある。あそこまでひどくはなかったけど……夢遊病者みたいな歩き方が、すごく似てた」
車内に、張り詰めた空気が流れる。
つい先日、スラムで暴動があったばかりだ。
ニュースやネットでは一切報じられていなかったが、カインには思い当たる節があった。あの日、スラムの奥で見た光景が――静かに胸を締め付けた。
「それ、おかしくないっすか?」
黙って聞いていたトウヤが、バックミラー越しに視線を合わせてきた。
「ここ、新東京っすよ? 開成統制群の管轄からは、距離がありすぎる」
「駐車場に停まってた車のナンバープレート、神名川ナンバーだった。多分、自分でここまで運転してきたんだろう」
カインがそう言うと、トウヤが眉をひそめる。
「中毒者が運転? そんなこと、あるんですか?」
その問いに、誰も答えなかった。
いや、誰も答えを持っていなかった。
重たい沈黙が車内に落ちる。
張り詰めた空気の中、ここまで一言も発していなかったレイジが、静かに口を開いた。
「本部に連絡して、判断を仰ぐ」
レイジの短い一言。
その言葉に込められた意味を、カインはすぐに察した。
本部は、この状況をどう受け止めるのか――。
カインの予感が正しければ、次にレイジの顔は険しくなるだろう。
軍という組織は、現場の事情など知ろうとしない。
何かが悪化し、自分たちの責任問題に発展しそうになるまで、平然と黙殺を決め込む。
それでも動けば、まだマシな方だ。
最悪の場合、現場ごと切り捨て、「何もなかった」ことにされる。
ましてや今回の件だ。
軍がすぐに信じるなど、まずありえない。
神名川から来た中毒者と見なされれば、むしろ調査対象にされかねない。
唯一の懸念点があるとすれば、あのイレギュラーな少女の存在だ。
「はい、了解しました!」
レイジは手にしていたスマートフォンサイズの送受信機を耳から離すと、そのまま後部座席のノアに向けて放り投げた。
「ちょ、ちょっと隊長! 軍備品は大切に扱ってください!」
ノアは間一髪でキャッチし、非難の声を上げる。
「……クソ」
カインは、予感が当たったことにほのかな満足を覚えながらも、この先の展開を考えると無謀にしか思えなかった。特にあの少女の処遇について、軍がどう考えるのか。
その疑問を、カインが口にする前にトウヤが先に切り出した。
「どうでしたか?」
「……どうもこうもねえ。作戦続行だ」
レイジは吐き捨てるように言い放った。
その姿に、カインは一瞬同情しかけたが、あえて口に出すことはしなかった。
代わりに、「少女も、同行させるのか?」と確認した。
レイジがぎろりと振り向き、睨みつける。
「そうだ。お前と藤間で管理しろ」
「それは……命令か?」
「いちいち口答えするな!」
レイジの苛立ちを一身に受けたカインは、眉をわずかに動かしただけで、無言を返した。
「歩きますか?」
トウヤが尋ねる。
「今から厚木基地に向かっても、到着は夜になりますね。どうします?」
レイジは腕を組み、短く考え込んだ。
子供を連れての強行軍か、それとも最悪の選択肢を選ぶのか――。
だが、レイジはどちらも選ばなかった。
「このまま厚木に向かう。ドローンは追尾に切り替えろ。索敵範囲は半径500メートル。静音モードも解除しろ。少しは電池がもつだろう」
「いいんですか?」
「構わん。責任は俺が取る」
「了解です」
トウヤは即座に操作を始め、指示通り設定を切り替えた。
その間、レイジが天井を二度叩く。
すぐに足音が響き、ドアが開いた。
「なんだ、もう出発か?」
「これから厚木に向かう」
「ふーん。了解」
カスミはそれ以上何も聞かなかった。
「結城、最低限の通信は確保しておけ。行くぞ」
結城の返事を待たず、車はエンジン音を唸らせ、無人の駐車場をあとにした。
それからしばらくして、車は幹線道路に出た。
だが、ここも同じだった。
対向車はもちろん、同一車線にすら車の姿はなかった。
「他府県に行く車なんて皆無ですね。新東京の端っこは過疎ってる話、本当だったんですね」
トウヤが辺りを見回しながら独り言のように呟く。
「やっぱり、独立都市補完政策のせいですかね」
「国が定めた制度だ。感染症対策、治安維持……名目はいろいろだがな」
カインが補足すると、「それそれ! でも本当の理由は違うんだろうな」と、トウヤが笑みを浮かべた。
「詳しいことは俺も知らない」
カインは話を終わらせようとしたが、トウヤは続けた。
「ねえ、鞍馬さん。他府県に行ったことあります?」
バックミラー越しに、無邪気な視線が投げかけられる。
「……昔、何度か行った」
「へえ、どこに?」
助手席のレイジが腕を組んだまま、低い声で遮る。
「くだらない話はするな」
「……あ、すみません」
トウヤが小さく頭を下げる。
すると、カスミが横から口を挟んだ。
「いいじゃん別に。葬式みたいに黙ってたって状況は変わらねえだろ? 俺も興味あるぜ、鞍馬。どこ行ったんだ? 教えろよ」
その言葉に、レイジの深いため息が響いた。
カインが答えようとしたそのとき。
警戒アラートが車内に鳴り響いた。
トウヤがタブレットを操作し、画面を確認する。
「後方、約500メートル。大型トラックが接近中」
車内に緊張が走る。
「氷室、目視で確認しろ。見えたら報告だ。トウヤ、映像を出せ。結城、ジャミングの準備を」
レイジの指示が終わるのを待たずに、隊員たちは即座に動き出した。
その無駄のない連携に、カインは内心で感心する。
このチームにあとひとつ駒が加われば、百藍特任隊は歴代最強になるかもしれない。
たとえば、昨日、自分を軍に送り届けたあの男。無口だが話は通じた。あいつなら、きっと馴染める。
……名前、聞いておけばよかったな。
そんなことを考えていると、警戒音がふっと止んだ。
「どうした」
レイジが短く問う。
「定期運行の輸送トラックのようです」
トウヤが答え、タブレットをレイジに向ける。
ドローンからの空撮映像が映し出されていた。
トラックの荷台の天板には、企業のロゴと登録番号、型式がはっきりと確認できる。
「データベースで照合済みです。正規の輸送車両と一致しました」
レイジは一度だけ頷く。
「わかった。だが、通り過ぎるまでは警戒を解くな」
静かな命令に、隊員たちは再び気を引き締めた。
『カイン、聞いてください』
カインの頭に、ユナの声が直接響いた。
ユナの方から声を掛けてきたのは初めてだった。
一瞬、首を動かした。
「鞍馬さん、どうかした?」
後ろからノアが声を掛けてきた。
その反応の早さに、カインは自分も監視対象であることを改めて感じた。
「後方、約100メートル。大型トラックを視認。凄いスピードで接近中!」
カスミの声が飛ぶ。
カインはその声に紛れるように「なんでもない」と言い切った。
心の中で問いかけるように、カインはユナに返した。
「なんだ」
『大型輸送トラックは正規登録されている車両。でも、輸送経路が正規ルートと違います』
「どういうことだ」
『本来の正規ルートなら、この時間、品川トラックターミナルで荷下ろ中です』
その一言で、カインの頭に閃くものがあった。
たかが勘、されど勘。
この曖昧な感覚に、これまで何度命を救われてきたか。
「望月、スピードを上げろ! 振り切れ!」
カインの叫びが響く。
だが、もう遅かった。大型輸送トラックが、オフロード車の横にぴたりと並びかけていた。
トウヤが運転席から窓の外を確認しようとした、その瞬間。
――横から、激しい衝撃。
視界いっぱいに、巨大なトラックのタイヤが迫る。
窓が粉々に砕け散り、車内にガラスの雨が降った。
「クソッ!」
カインは咄嗟に少女に覆いかぶさり、破片からかばった。
「キャァーッ!」
「うわっ!」
「な、なんだ――!」
悲鳴と怒声が飛び交い、車体が大きく揺れる。
次の瞬間、AI制御が作動し、かろうじて姿勢を立て直した。
もしこれが手動だったら……。想像するだけで、背筋が冷える。
まだ、このときは考える余裕があった。
だが、それも束の間。
ユナの次の一言が、カインに全ての決断を背負わせることになる。
(第2章 第20話に続く)