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オーバードーズ・コード  作者: 狗島 いつき
第2章 メディナ編 (全25話)
14/19

第14話:指名の理由


 翌朝9時ちょうど、カインのマンションのドアがノックされた。


 帰宅してシャワーを浴び、ベッドに潜り込んだのは、3時間前のことだった。


 ――さすがは雑賀大佐の部下。秒単位の正確さだ。


「今、出ます」


 靴紐を締め、カインはドアを開ける。

 立っていたのは角刈りの男。

 ユーティリティジャケットに身を包み、私服風ではあるが隠しきれていない。

 鋭い目つき、がっしりとした体格、そして無駄のない姿勢。どこからどう見ても軍人だった。


「おはようございます、鞍馬さん。お迎えにあがりました」

「おはよう。さっさと行こうか」


 男は踵を揃え、ぴしりと敬礼をした。おそらく無意識の癖なのだろう。

 だが、それを見たカインは思う。――隠すつもりがあるのかないのか、どっちなんだ。

 喉まで出かけた言葉を飲み込み、歩き始めた。


 通りに停められていたのは、ごく普通の乗用車だった。

 男が回り込んでドアを開けようとしたのを、カインは手で制す。


「気ぃ遣わなくていい」


 ぶっきらぼうにそう言い放ち、自分で助手席のドアを開けて乗り込んだ。

 行き先はすでにナビに入力されていたのか、車はボタンひとつで静かに走り出した。


 しばらくすると、運転席の男が、軍用の認識タグとIDカードを差し出してきた。


「こちらを首から。IDは所持しておいてください」


 カインは黙ってタグを受け取り、IDに目を落とす。


 《統合特殊防衛群 第03特別戦術中隊百藍特任隊 特別隊員:鞍馬カイン》


 肩書きを見て、小さくため息をついた。

 ここまで手が打たれていては、もう逃げも隠れもできない。


「大佐は、相変わらず強引だな」


 カインの呟きに男は一瞬だけ驚いたような顔をし、振り向いてから答えた。


「……ええ。まあ、そうですね」


 堅物かと思っていたが、意外と話が通じる男らしい。

 カインは鼻で笑い、肩の力を抜いた。

 名前でも聞いてみようかと思ったが、下手に関わらないほうがいい気がして、口を閉ざした。


 車は都内をしばらく走り、高速に入る。

 やがて高速を降りると、何度か同じ道を往復し、徐々に山手方面へ進路を取った。


 軍隊式の尾行確認手順。

 空には、おそらく陸自のドローンが展開している。念の入った警戒態勢だった。


 それも当然だった。

 「特任」が付く分隊は、特殊任務を担う高機密の直轄分隊にのみ与えられる。


 かつてカインが所属していた、「零」の系譜に連なる特殊分隊だった。

 当時の階級は少尉。コードネームは――。

 その名が脳裏に浮かぶ直前、カインは記憶を断ち切るように目を伏せた。


 戻る気など、これっぽっちもなかった。

 それなのに、なぜ自分は今、こんな場所にいるのか。

 答えの出ない問いが胸の奥で渦を巻き、やがて霧のように消えていった。


 道はやがてアスファルトから砂利道へと変わり、頭上には木々が広がって空を覆った。

 山道を登るにつれ、周囲には「私有地につき立入禁止」と記された看板がいくつも立っている。


 ほどなくして視界が開け、鉄格子に囲まれた、背の低い建物が姿を現した。


「こちらで降車をお願いします。この先にゲートがあります。IDを提示していただければ通過できます」


「ありがとう」


 カインは礼を言い、静かに車を降りた。

 鉄格子に沿って進んでいくと、銃を肩に提げた哨兵が無言で立っていた。


「IDをお願いします」


 カインはIDを差し出した。

 それを確認した哨兵の表情が、目に見えて変わる。

 もともと無愛想というわけではなかったが、一転して過剰なほどの緊張を見せた。


 なるほど、そういうことか。「特任」の文字が入ったIDなど、そうそう目にする機会はないのだろう。


「こちらに、どうぞ!」


 ブザー音が鳴り、鉄格子の門が開く。

 哨兵が機敏に動き、カインは基地に足を踏み入れた。



 哨兵に案内され兵舎に近づく。どの建物にも表札のようなものはない。

 ドアを開けて、ロビーを抜け、奥へと進む。

 ウィル社と同じで、機密を守るため、プレートなどどこにもなかった。

 おそらくここが大佐の執務室だろう。


「雑賀大佐、鞍馬カイン殿をお連れしました」


 ドアの前で声を張る哨兵。


「入れ」


 低く通る声がドア越しに聞こえた。

 哨兵はカインに敬礼をすると、すぐに帰っていった。

 ノックは一回。


「入ります」


 いつしか軍隊式の作法を思い出していた。

 

 室内は質素だった。

 窓はなく、壁にはいくつかの賞状と、分厚いファイルが並ぶ書庫。

 正面のデスクに座る雑賀大佐が、顔を上げる。


「すぐ終わる。掛けて待っててくれ」


 カインは応じて、テーブル脇のソファに腰を下ろす。

 視線の先、壁際に掲げられた一枚のボードが目に入った。

 整然と並ぶ氏名。すべて、戦死者のものだった。


 カインはほんのわずか、目を伏せる。


「よく来てくれた」


 大佐が立ち上がり、カインの正面に腰を下ろした。

 軍人らしい背筋の伸びた姿勢。実戦から離れて久しいはずなのに、軍服越しにもわかる体格のよさは健在だった。

 そして、昨日は見えなかった左の頰。そこには、深く裂けた古傷が刻まれていた。


「保険機構での仕事はどうだ。成績は優秀と聞いているが」

「……おかげさまで、何とかやってます」


 互いに、世間話を好むような性格でないことは、よく知っている。

 それでもあえて話題にするということは、別の意図があるからだ。


「最近、とあるクレーム処理にあたったそうだな。解決したのか?」


 ――そう来たか。


 話の流れが読めた。だが、読めたところで、それを変える術など持ち合わせていない。


「ええ。サプリの生成エラーに関するクレームでした」

「解決したのか?」

「いえ。暴動が起きて、うやむやになりました」

「……それはいかんな」


 大佐はわずかに眉をひそめたが、それも本題へ入るための前振りに過ぎない。

 カインは、内心うんざりしていた。


「……大佐。俺を呼んだ理由、そろそろ教えてもらえますか」


 一瞬、大佐の眼光が鋭くなった気がした。まるで獲物を捉える猛禽のような視線だった。


「俺の部下だったら、今ので腕立て100回だぞ」

「……あいにく、今は民間人ですから」

「口だけは一人前になったようだな。――これを見ろ」


 そう言うと、大佐は一冊のファイルを放ってよこす。

 カインは手を伸ばして、それを受け取った。


 昨日と同じだ。

 一度目を通せば、もう戻れない。

 それでも、見ないわけにはいかない。


 四方を塞がれた状況。

 これが、雑賀大佐のやり口だ。


 観念して、カインは黙ってファイルを開いた。

 目に飛び込んできた題名に、思わず目つきが険しくなる。


「神名川支部開成統制群における、中毒者並びに依存症」


 嫌な予感しかしない。

 それを裏付けるように、表紙の隅には赤字で「極秘」の二文字が刻まれていた。


 カインは黙ってページをめくる。

 途中、視線が止まり、指先がかすかに震えた。

 記録は、生々しかった。


「どう思う。率直な感想を聞かせてくれ」


 大佐の声が、読み終えたタイミングを狙ったように響く。

 感想など、求めてはいないはずだ。試している。


「昨日の暴動と、共通点があるように思えます。メディナの通信エラーの直後に中毒者が暴れだした。……メディナ側の異常が疑われます」


 言い終えると、大佐は満足そうに背もたれに体をあずけた。


「なぜ、メディナが異常だと? 三原則を無視したと、言いたいのか」

「スラムでの暴動も、メディナが生成したサプリが原因だと考えています」

「ほう。軍の科学調査班ですらまだ結論を出せていないのに、君は“サプリによる中毒”と断定するわけか」

「はい」


 言い訳はしない。時間の無駄だ。

 どこまで話すか、カインは冷静に思考を巡らせる。


「仮に、君の言うようなことが実際に起きているとしよう。君なら、どう解決する?」


 一拍の間。

 カインは息を整え、静かに答えた。


「ぶっ潰します」


 一瞬、大佐の目が見開かれ、次の瞬間、吹き出すように笑った。


「すまん。つい、昔を思い出したよ。君は隊にいた頃から威勢が良かったからな」

「……そうですか」


 笑みが消える。

 大佐はゆっくりと瞼を閉じ、そして開いた。

 空気が変わった。

 巨大な岩壁を前にしたような圧が、部屋に満ちる。

 その威圧の中で、自分の存在がやけに小さく感じられた。


「特別隊員、鞍馬カイン。神名川支部開成統制群の内部調査を命ずる」

 間を置かず、言葉が続く。

「明朝、0600時。作戦を開始する。以上だ」


 カインは思わず口を挟んだ。


「雑賀大佐、どうして俺なんですか?」


 大佐は軽く体を乗り出し、カインをじっと見つめる。そして、静かに言い放った。


「どうして、だと?」


 一瞬の沈黙の後、大佐は冷徹な眼差しで続けた。


「君が、メディナに選ばれたからだ」



(第2章 第15話に続く)


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