第13話:取り引きと一方的な通告
『あなたが望むもの――妹の死の真相を開示します』
その言葉を耳にした瞬間、カインの全身から力が抜けた。
膝の震えを堪えきれず、テーブルに手をつく。支えがなければ、そのまま崩れ落ちていただろう。
「……し、真相って……なんだ」
声はかすれ、喉が焼けつくように痛んだ。
胸の奥から、黒い感情が湧き上がる。
一瞬でも、メディナを信用した自分が許せなかった。
唇を噛み、拳を握りしめた。
そして次の瞬間、その拳をテーブルに叩きつける。
鈍い衝撃音が響き、静寂を切り裂いた。
拳が震えていた。怒りのせいか、恐れのせいか、自分でもわからない。
「シカトしてんじゃねえ……! 答えろ!」
怒声が飛ぶ。
血走った目がユナを射抜き、にらみつける表情は、鬼神そのものだった。
『鞍馬ユナ、15歳。メディナのサプリによる拒絶反応が主な原因です』
「そんなこと、わかってんだよ! 知りたいのは、真相だ! どうして死ななきゃならなかったのか……助けるのが、お前らの仕事だったんだろうが!」
『はい。カインの指摘に誤認は認められません。ただ、その真相を解く鍵は、もう一つのメディナにあると私は考えています。人間のあらゆる情報を管理・維持していますが、『鞍馬ユナ』彼女のデータだけは欠損しており、一部情報が意図的に抜き取られた痕跡が確認されています』
「……そういうことか。お前らのやり口が、ようやく見えてきたぜ」
カインはゆっくりと体を反らし、足を組んだまま、乱暴にテーブルの上へと乗せた。
「俺がどう動くか、わかってて言ったんだろ。目の前に餌をぶら下げて、好きなように操るつもりか」
言い終えるや否や、カインはテーブルを蹴飛ばした。
鈍い音が室内に響き渡る。
『結果として、そうなっただけです。当初からそのような意図があったわけでは……』
カインは手を上げて遮る。
「黙れ!」
勢いよく立ち上がった足元は、元の水面に戻っている。
その中央に、ユナが立っていた。
妹を模したその小さな姿に、カインの目は怒りに燃え上がる。
しばらく睨みつけたのち、無言のまま体の向きを変えて出口へと向かう。
『――協力、お願いできますか?』
背中に、ユナの声が届く。
声の調子は違う。だが、姿形が似ているせいで、妹が懇願しているように錯覚してしまう。
「うるせぇ。黙って待ってろ」
『それは、協力して頂けるということですか?』
「AIだろう。少しは考えろ、ボケ」
吐き捨てるように言い放つと、カインは通路へと消えていった。
何の障害もなく、カインはロビーを突き抜けて外へ出た。
途中、天井の監視カメラや警備ドローンが視界に入ったが、どうせメディナの目だろうと無視する。
夜の帳が新東京を覆い、ネオンも広告も沈黙し、人影はどこにもない。
遠くで巡回ドローンが低空を旋回し、無機質なライトが路面をなぞっては消えていった。
火照った体を、消毒液の匂いを含んだ風が撫でる。健康管理の名のもとに、中枢街区では空気さえ統制されている。
自宅のある西区までは、徒歩で2時間。天苑街区を通ることを思うと、わずかに気が重くなった。
通りに出たが、タクシーはおろか、一般車両の姿さえない。
まるで都市そのものが、廃墟と化したかのようだった。
諦めて歩き出そうとした、そのときだった。
背後から、1台の車両が音もなく近づいてくる。
カインを追い抜き、そのまま走り去るかと思われたが――ハザードランプを灯し、路肩に停車した。
アリスたちが乗っていた政府専用のリムジンによく似ているが、車体はひと回り大きく、装甲の厚みも増しているように見える。
ウェアラブル端末で時間を確認すると、日付が変わる直前だった。
「こんな時間に、政府の役人が仕事か……」
思わずそう漏らし、カインは目を細める。
胸にわずかな不安がよぎり、足早に通り過ぎようとした。
嫌な予感は時として、当たってしまう。
後部座席の窓が音もなく下がり始める。
「鞍馬カイン。話がある」
その声を聞いた瞬間、カインは立ち止まる。
硬質で、よく通る声。そのふたつを厳格に守る人物は、ただひとり。
世界で2番目に会いたいくない相手。
「雑賀大佐、ですか?」
思い出すまでもなく、その名が口をついて出た。
助手席から、軍服に身を包んだ随行兵が無言で降り立ち、後部座席のドアを開ける。
その一連の動きに無駄はなく、有無を言わせぬ圧がこもっていた。
カインは小さくため息を呑み込み、観念したように乗り込む。
「お久しぶりです、大佐」
「ああ。6年ぶりだ」
ベレー帽を欠かさず身につけ、軍服の胸には、数えるのも面倒になるほどの戦闘勲章が並んでいた。
「どうしてこちらに?」
沈黙に押し潰されそうになり、カインは先に口を開いた。
雑賀大佐は前方から目を逸らさず、無言のままタブレットを差し出す。
カインがためらいながら受け取ると、そこには暴動に関する詳細な記録が映し出されていた。
直感で、カインはすぐにそれを閉じ、大佐に返す。
見たら、引き返せなくなる。――そう思った。
「逃げるな、鞍馬。どのみち、たどり着く場所は同じだ。ならば互いに協力し合おうじゃないか」
低く、重く響く声。車外にいたとしても届いていたに違いない。
それほどまでに、逃げ場を与えぬ声音だった。
「大佐がわざわざ出向いて来たってことは、俺に暴動の件を見せたいわけじゃないですよね?」
「どうしてそう思う?」
カインは一瞬逡巡するも、答えた。
「……メディナ絡みですか?」
「相変わらず、君は感がいい」
「大佐。まさか俺に戻れと?」
それしか、答えようがない。
他の言葉は、最初から通用しない。
たとえ別の言葉を選んだとしても、大佐が求める返答でなければ、同じやりとりが繰り返されるだけだ。
「話が早くて助かる。詳しいことは明日、0900時。迎えをやる。以上だ」
まるで決められた脚本をなぞるように、大佐の言葉で全てが収束していく。
カインには、もはや逆らう術もなかった。
後部座席のドアが開く。
カインは黙って車外へ出ると、扉が音もなく閉まり、リムジンはそのまま夜の通りへと滑るように消えていった。
カインは、赤く滲むテールランプが、夜に呑まれていくのをいつまでも見ていた。
残ったのは、言いようのない予感だった。
次に会うとき、自分はまだ「自分」でいられるのか、その確信だけがどこにもなかった。
(第2章 第14話に続く)