乙姫様の謀りごと~さあ、早く開けなさい!~
「浦島さん、絶対にこの玉手箱を開けてはなりませんよ」
「絶対にですか?」
「ええ、絶対に……」
(ふふふ、この箱の中には、人間を私と同格の存在へと至らせる煙が入っているの。人間は、ダメと言われることをしたくなってしまう生き物だと聞いたわ。さあ、開けなさい。これを浦島さんが開ければ、私たちは結ばれる……!)
「じゃあ、要りません」
「え?」
「ですから、玉手箱は要りませんって」
いやいやいやいや、待ってよ! 人が手土産に渡したものを受け取り拒否なんてする? 厳密に言うと私は人ではないのだけれど、そんなことは関係ない。
「ど、どうしてかしら……?」
「だって、箱って物を収納するためのものでしょう。それなのに、開けてはならない箱などあっても意味がありません」
ご、ごもっともー!
「じゃ、じゃあ開けてもいいわよ!」
「いや、そういう問題じゃなくてですね……そもそも乙姫様はどうしてこの箱を開けさせようとするのですか」
そんなの、大好きな貴方と永遠にこの竜宮城で暮らすために決まっているわ! でも、恥ずかしくて言えないっ!
「それは……」
「ほら、言えない! 絶対開けたら僕に不都合なことが起こるやつですよね?」
「そんなことないわ! これは我が家に代々伝わる家宝なのです。それを貴方に差し上げると言っているの!」
今決めたことだけどねっ! 私が初代でこれから代々伝えていく予定だから、嘘には……ならないわ!
「はあ、乙姫様。貴女にはたくさんのもてなしをしていただいて感謝しています。ですが、まともな説明も無しに得体の知れない箱を押し付けないでください。僕はもう帰りますね」
「嫌っ! 行かないでっ!」
咄嗟に浦島さんの袖を掴んだ。
嫌よ、このまま浦島さんがいなくなってしまうなんて! 私が大海の支配者として生まれて千年で、人間を好きになるなんてはじめてなの! このチャンスを逃したら、ずっと海の底で、永遠に孤独に生きていくことになってしまう……。
「乙姫様……」
「正直にお話しします。この箱に入っているのは、人間を神へと昇華させる煙です」
「えっ、それって……」
「私は人間ではありません。神と呼ばれる存在なのです」
ついに言ってしまった……。私が人間ではないと浦島さんに知られてしまえば、私のことを恐ろしく思って、いなくなってしまうでしょう。でも、もう帰られてしまうというのならば、どのみち最後ならば……彼には本当のことを話したい。
「そんなこと、最初から知っていますよ」
「え?」
「海の中で呼吸ができて、指を鳴らすだけで魚を自在に使役できる人間なんていませんから」
「あっ……!」
「流石に、神だとまでは思っていなかったですがね」
たしかに、ご馳走を用意するのに魚たちに自害させて刺身になってもらった気がするわ。それに、浦島さんを連れてくるときに水中呼吸の秘術を使ったじゃない! ああ、なんだ彼は最初から私が人間ではないことを知っていたのね……。
「つまりこの箱は、僕を神にするための道具ということですね」
「ええ……」
「でもどうしてそんなものを僕に渡そうとしたのですか。僕がしたことは、カメを助けただけですし、それもたくさんのおもてなしで充分恩返しされましたし」
そのカメは、ただのカメじゃない。
「あのカメは……私だったのです」
「なるほど……」
受け入れがたいと思うけれど、あのカメは我が眷属の身体を借りた姿なの。あんな姿、私も不本意だったけれど、大海の神が陸に上がるためには仕方なく……。
「って、受け入れるの早くないっ!?」
「乙姫様が神なら、それくらいのことできてもおかしくないかと思って」
「それなら話が早いわ。さあこの箱を持ち帰り、開けるのです……!」
「いやいやいや、どうしてそうなるんですか。乙姫様が僕を神にしたいのはわかりましたけど、ただの恩返しでする範疇を超えているでしょう」
私はどうしても、貴方を神にしなければならないから。
異なる存在同士は、決して結ばれることはない。それが古くからの習わし……。人間を愛した天女でさえ、いずれ月に帰らねばならない。神ならば、尚更のこと。異類の婚姻は歪みを生み、不幸が起こる。私たちは、その運命から逃れることはできない。
だからこそ私は、貴方を神にしたいの。この竜宮城で永遠に、貴方と暮らすために。
でも、そんなこと言えない。浦島さんが私のことを好きかなんてわからないから。この気持ちを伝えてしまえば、彼に嫌われてしまうかもしれないから。こんなの初めてで。
「わかりました、もう聞きませんから。だから、そんな泣きそうな顔をしないでくださいよ」
浦島さんに言われて気づいた。私、泣きそうだったんだ。
「誰にでも言えないことはありますよ。僕だって……いや、なんでもありません」
「浦島さん……」
浜辺の子どもにいじめられていたときも、ここに来てからだって、浦島さんは優しかった。そして今も、私のことを気遣ってくれている。だから私は貴方のことが……。
「……好き」
「えっ」
ああ、言ってしまった……。これで貴方に嫌われたら、私はきっと正気ではいられない。浦島さんの目を見ることができず、うつむいた。
「そういうの、やめてくださいよ……」
頭の中が真っ白になった。
振られたんだ。もうだめ。このまま大波であの島を飲み込んでしまおう。すべてを海の底に沈めて……。
「こういうのは、僕から言わせてくださいよ」
「えっ」
思わず顔をあげた。そこには、頬を僅かに紅潮させた浦島さんがいた。
それって。まさか。もしかして。でも。
「乙姫様、お慕いしております。貴女とは釣り合わない男でありますが、僕と結婚してください」
真っ直ぐに私を見つめる彼が、かっこよくて。でも、恥ずかしさで小刻みに震える背中がなんだか可愛く思えて。
もう、答えは決まっている。
「はい、よろこんで」
そのまま私たちは、絡み付くように互いの熱を伝えあった。
♢
「おとーしゃん! きれいな石みつけたー! あーげーるっ!」
「ありがとう。すごく綺麗だね」
「えへへ、もっとひろってくるー!」
娘と戯れる彼を見て、思わずにやけてしまう。
「懐かしいわね、私たちが結婚したときのこと」
「ああ。まさか君が渋いおじいさんが好みだとは、あのとき思ってもいなかったよ。あんなのは、騙し討ちみたいなもんじゃないか」
玉手箱の煙によって老人姿になった彼が、顔の皺を深めて微笑んでいる。その力強い瞳は、はじめて会ったときのまま。
「煙の副作用なんて、私も知らなかったわよ。あのとき、はじめて使ったし……」
「家宝なんじゃないの?」
「そうね、家宝よ」
だって玉手箱は、私と貴方を結んでくれた大切な宝物だもの。それを家宝と呼ばずして、なんと言うのかしら。いいえ、他に言い表せないわね。
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