第九十二話 世界の部外者
目を開けてみると、そこは崖だ。
辺りを見渡してみれば、ここはシラ家の領地である山に付随している崖だ。暗闇の中で一際明るい王国が遥か遠くに見える。過去に送るにしてはもっと場所と日時というものがあるような気がする。
──現在、お月様が見える真夜中真っ只中だ。
性別も変えられているということで、最初に見た目の確認をしたいものだ。しかし鏡らしき物は当然外にはないだろうし過去にいる自分と会うのはリスクがある。
過去に戻れているか、何ヶ月前に戻っているの確認も成さねばならないだろう。
慎重にならなければ失敗して消えてしまう。
「……やっぱり、それしかありませんね」
そう呟いた声は思っていたよりも低い。
いつもの子供らしい声でなく、聞き馴染みのない低い声が自分の口から聞こえてきた。違和感が凄い。
「あー、あーあー」
そう軽く「あー」を連呼してみても喉仏が響いて凄い違和感しか覚えられない。本当に性転換というもので男性になったたんだなと実感してしまう。
男性に変わったということは胸を見ても……と思ったが胸の大きさは変わらない。シラ・フラブの時から男の子と間違われるくらいだ。小さいというレベルではなく、ずっと前から微塵たりとも無かった。
元からないのだから、それに対して思うところはないが染み染み実感する。
「……もう、フラブじゃないのか。私」
現実を受け止めると途端に胸が空っぽになったみたいで締め付けられてしまう。
そして3、4ヶ月で知り合った人々の中で1人だけ。
いかなる状況でも手を差し伸べて助けてくれそうな人に心当たりがあった。
** ** * ** **
目の前にあるのは罪人処刑課の本拠地。
長距離、徒歩での移動を試みたため涼しい空気に朝日が照らされている。処刑課なら身内は居ないしボロを出したとしても悟られることは難しいだろう。
すると突然──、
「見ない顔だな?」
それに安心感を覚えながら優しい表情をして、その声が発せられた方向──背後を振り向く。
案の定、振り向いた目線の先には見知っている男性がそこにいた。黒い短髪に黒い瞳を持つ青年で黒いスーツを着ている処刑課の1課長を担っているアオトだ。
見るからに早速警戒されていて、この早朝に処刑課に出社しているのだろうか。それよりも生きている姿に対する感動を抑えながら優しい表情をキープする。
「私を処刑課に入れてくれませんか? かなり前から憧れていて」
── 本当に低いな。声……手も男の人の手だ……
少し我ながら敬遠してしまう。
訝しむような目を向けてくるアオトは警戒しながらゆっくり歩み寄ってきた。
「名は?」
「シ……こほんっ! シオンです」
間違えてシラ・フラブの名前を口にしてしまいそうだったが間一髪、耐え凌いだ。しかし男性で名前がシオンとなると何か違和感があるような気がする。
── ……まぁ大丈夫か。ユフェルナさんやイベリスさんだって男性にしては可愛い名前で……ああ、そうか。だから名前に違和感が……
しかし今更考えても仕方がないような。
目の前で足を止めるアオトはどうにも怪しんでいてこちらを見上げている。動揺を隠すのは得意なのだが、さすがは処刑課の1課長ということなのだろうか。確実に見抜かれているし怪しまれているように思えた。
「シオンか。上の名前と出自、それを答えられるのなら、ついて来てもらう」
驚くほどに怪しまれている。
洞察力で言うのならアリマ並みにあるのではないか。
しかし上の名前は全くもって考えていなかったため目を見開いたまま硬直した。
「答えられないのか?」
ますます怪しむような目を向けてくるアオトは今にでも右手に銃を構築しようとしている。初対面の相手を怪しむのは理解できるがここまで怪しんでくる必要があるのか。
顎を引いて冷や汗をかくフラブは言葉が喉奥に詰まって上手く出てこない。──すると突如、
「おー! 久しぶり! シオン!」
その声は処刑課の建物の方から聞こえてきた。
女性の声だ。咄嗟に振り返ると同時に抱きつかれて受け身が取れずに前方へと倒れる。
「……っナラミナ! お前居たのかよ!?」
急に背後から抱きついてきたのは処刑課の2課長を担っている女性、ナラミナだ。腰まである黄色の長いストレートの髪に薄い黄色の瞳をしている。そして罪人処刑課の黒いスーツを着けていて身長が160センチ程。
──しかし、口から出まかせなのだろう。
現にシオンとなってから誰とも会ってすらないし、ここに来て初めてアオトと話したのだから。何の思惑があってその判断に至ったのかは知らないが、ここで乗るのはある意味危険だろう。今までの経験上、知らないふりをするのが得策だと警戒音がなっている。
「誰ですか? 貴女」
抵抗せずに地面に潰されながら、ドン引きするような冷たい目を添えて。それに一瞬だけ目を見開くナラミナはすぐに明るい笑顔に変わって背中に座ってきた。
「良いんじゃない? 処刑課に入りなよ。ここで口から出まかせに乗らなかったってことは、罪人関係だとか後ろめたいこともないんでしょ?」
そう思ってくれているのなら早く背中降りてほしいところなのだが、彼女はこの状況を楽しんでいる。
それでもアオトは冷たい目で見下ろしてきながら、右手に銃を構築して銃口を頭に向けてきた。
「いいや。駄目だ。この場所は処刑課に配属された人間でしか教えられない。例外はあるが処刑課は育成機構を通って入ることしか許されてないからな」
そう言えばそんな話もあったような気がする。
確かに処刑課本拠地に行くには場所を特定するという工程を挟んでいた。あのヨヤギ・アリマですらここは知らなかった場所だ。アイネが特定できたのも質疑応答という拷問で吐かせたからに違いない。
完全に忘れていたし、だとしたら相当まずい。
明らかに部外者であるお前が、どうしてここに来れているのかという疑いをアオトは持っていたのだ。
「あ……それは。アレです。私、未来が見えるんです。その未来で私は貴方……アオトさんに救われていて」
「……名前は確か教えてなかったはずだが」
「それも未来を見てのことです。どうやら先走ってしまう癖というとのがありまして」
口から出まかせ、嘘も方便だ。
現に本当のことを言ってしまえば『シオン』も『フラブ』も消えてしまうのだから。しかし己の頭足らずで死ぬくらいの足をすくれるとは思わなかった。
「俄には信じ難いが。居るには居るからな。未来予知という魔法を持つ者は。真偽は最高管理者に預けよう」
そう言ってくれるが一向に銃を下げてくれない。
しかし──現最高管理者、不老不死であるセルに早速会えるのなら処刑課本拠地に足を運んだのは強ち間違いではない気がする。ハセルは確か幼い『フラブ』に会っているらしいが、それは190年も前のこと。
「んー、じゃあ面倒だけど私がそこまで案内するよ! 今ここに戻ってきたのも最高管理者様に潜入調査報告をするためだからね! ごめんね、立てる?」
背中からどいてくれたナラミナは地面に倒れ、うつ伏せになっている『シオン』に優しく手を差し伸べる。
ただ罪人を恨んでいるだけで、そうでない人間に対しては優しい人なのだろうか。だとすると前回の後悔ばかりが渦巻いてやはり何とも言えなくなってしまう。
「いえ。大丈夫です」
差し伸べてくれたナラミナの手を取って立ち上がると土埃を払いのけた。怪しい素振りがないそんな『シオン』を見るアオトは構築した拳銃をしまうが、未だに目線のみでも警戒を怠らない。
「俺も同行しよう。処刑課に怪しまれているこの状況で君は冷静且つ余裕がありすぎる。最悪の場合になってもどうにかなるような手札があると見た。只者じゃないな?」
あからさまに警戒してくれるのは有り難い。
相手にどう思われているか、それで変える機転の行動が取りやすいからだ。だが処刑課2人に同行されて最高管理者に会いに行くというのは悪いことをした罪人の気がのしかかってくる。
** ** * ** **
それから処刑課の建物内に入ったのだが、早朝だからか予想以上に騒がしくない。ここは8階建ての建物で1番上の階に最高管理者が居るらしく、処刑課2人に警戒されながら階段を上っていた。
「……1つ、質問しても宜しいでしょうか?」
ふと不思議に思って聞いてみると、右前でアオトと横に並んで階段を上っているナラミナが「ん?」と疑問を声に出してくれた。
「その……どうして処刑課に? 罪人であれど人を殺すのは辛いことだと心中お察していますので……」
「……そうだね! 説明しておこうか。処刑課に入る人間は大きく2種類に分かれるんだ。入るしかなかった人と、望んで入った人。そして──アオトは前者、私は後者」
遠回しに説明してくれるナラミナは表情が見えなくても悲しみが明るい声に混じっている。アオトは何も言わずにただ前見て、ナラミナと共に折り返し階段をさらに登っていた。
「だから、そう簡単に聞くものじゃないよ! まぁアレだ! 処刑課に入れたら教えてあげる!」
「……すみません」
同時に最上階に続く階段を上り終えると2人とも廊下を右手側に進んで行く。その背中を見つめながら、『シオン』もまた後を追って前へと歩み進んだ。
廊下もヨヤギ家などとは違って家でなく仕事場としての風格がある。すれ違う人間は見当たらず、ただ居るとするのなら廊下の壁に凭れて眠っている苦労人だ。
通り過ぎただけでも苦労人の数は1人や2人ではなく5、6人は居た気がする。徹夜していたのか顔色が悪く、処刑課のスーツを着たままくたびれていた。
「……1つ、聞いても宜しいでしょうか?」
「もちろんいいよ!」
「まさか処刑課って……書類仕事もあるんですか……?」
文を読む以前に文字を見るのも苦手なフラブにとって書類という言葉自体、吐き気がする。フラブからしてみれば書類という文字ばかりの紙こそが、不老不死とも大差ないレベルの難敵であり、未来永劫の決して通れぬ壁であった。
「あるよー? でも処刑課の1から5課長及びその右腕になる副課長は例外かな! 大体その10名は潜入なり暴れている罪人の処刑なりに繰り出されるから!」
詳しく説明してくれるナラミナは、逃げ出さずに後ろをついて来る『シオン』に心なしか少し期待している。
アオトが警戒するレベルには実力が備わっているのだと理解しているからだ。
しかし書類仕事があるという言葉に『シオン』は処刑課に入ろうとしたことを深く後悔していた。書類なんてものがなければ罪人を殺す仕事なんて天職といえるくらい得意分だったのに。
** ** * ** **
それから暫く廊下を進んで大きな扉の前に着いた。
扉からして相当な威厳が読み取れる。
ここが最高管理者の執務室であり、不老不死であるハセルに謁見できる唯一の場だ。
「あ、決して粗相のないようにね! 前の最高管理者は今の最高管理者様に楯突いたせいで行方不明になってるから!」
「…………」
前の最高管理者、シラ・イサは『フラブ』のお爺さまだ。
今こうして『シオン』となって過去に来たフラブにとって関係あっては駄目で。世界の人口から急に増えた『1人』である自覚を持たなくてはいけない。
「ええ。わかってます。馬鹿もいたもんですね」
「シオンさん。もし最高管理者様を殺そうなどと考えていた場合、それは貴方の死を意味する。やめた方がいい」
急に口を挟んできたアオトは廊下の壁側に背を向けてシオンに道を開ける。多分、この扉を開けると処刑課として進む選択の後戻りは出来なくなるだろう。
「はは。面白いことを言いますね」
優しい表情のままそう返すと、楽しそうに笑っているナラミナが3回ノックして扉を開けた。その扉の先には誰が見ようと見間違いようのない女性の姿が確認できる。
最高管理者は机の上にある書類をオフィスチェアーに座って優雅に片付けていた。
青緑色の目にモノクルを左目にかけている。緑色の腰まであるロングウェーブの髪に左のサイドバッグは青い。黄緑色のスーツを着ている青年ほどの見た目の女性。
──不老不死にして最高管理者の地位にいるハセルだ。
その最高管理者がいる場所は広々としている謁見の間と執務室が合わさったような部屋。だが優雅に書類を片付けながらも微かにシオンやナラミナの方を見て優しく微笑んでいた。
「何か用かな?」
そう優しく問いかける声には品があるのだが今となってはその理由も理解できる。きっと頭の中が蠢いていても心の奥底が虚無と成った人間がそうなるのだろうと。
息を呑むナラミナは恐怖を覚えながらも前へと最高管理者の元へと歩き出した。
「私は潜入報告を。彼は処刑課配属希望者です」
その単調な説明に筆を置くハセルは全てを見透かしているかのような白と黄緑が混ざっている眼をナラミナとシオンに向ける。それだけで威圧感が尋常ではなく、ナラミナは少し目を見開いて冷や汗を流していた。
「私の元に来るにしても5メートルはあけて。そうしないと弟が危機を察知して来てしまうのだよ」
「っ失礼しました」
5メートル以上距離がある場所で足を止める。
その光景を入り口から見ていた『シオン』はただ浮かない表情でナラミナを見守っていた。
もしここで彼女が殺されるなんてことがあれば、『フラブ』の筋書きが全て壊れる可能性がある。処刑課のナラミナがフラブと対峙しなければフラブとアリマはまず出会わないのだ。
「潜入先──魔力人形カケイ。あの個体はやはり感情と知性があり他の人形とは違います」
そう。ナラミナは見た目も声も何もかもユーフェリカという少女に偽ってカケイに接近している。
──それにカケイが気づかなかったのは敢えて一定の遠い距離を保っていたからなのだろう。自分の本来は魔力人形であり人と接するなど烏滸がましい。ましてや人は簡単に死ぬから失ったときが怖い。
そんな弱みに漬け込んで潜入していたナラミナ。それを指示したハセル。その両者共々許せるなんてシオンでなくても側から見ても難しいことだ。
「それは危険なことだから。それだから白い悪魔という名を彼に授けたのだよ。あの図書館と死の教会を使ってね」
その言葉に少しだけ肩をビクッと震わせてしまった。
やはりハセルは施設から逃げた後のカケイの過去にも関わっている。今にでも顔面をぶん殴ってやりたいが、強く拳を握りしめて精一杯に抑え込んだ。
「人間以外は感情なんて持たなくていい。それはとても恐ろしいことだから。君もそう思わないかね? ──シオン君」
「……っ! 名乗った覚えはありませんが?」
険しい顔をしてハセルを睨む。
どうしてハセルは初対面の相手にも痛いところを突くことが出来るのだろう。まだシオンという名で呼ばれ慣れていないし、話していたらボロが出そうなほど定着していない。
── 迂闊……愚策だったか……
世界の平和云々の前に移住食を確保するためには処刑課に配属されなければならない。そう判断したのだ。ボロが出てしまう可能性があるから名家含めて成る可くフラブとは関わらない方が良いと。
「いやなに。壁に耳ありと言うことさ。弟がね。この建物の周りは監視しているから」
悠々と説明してくるハセルの言う弟とは間違いなくハセル本人と同じ不老不死のシュライのことだ。
肝心な時に限って毎度毎度いらない邪魔をしてくることでシオンの中では定評がある子供。
「そうですか。ではその──シュライさんは今どちらに?」
「……っ!? ナラミナ、今すぐに退がれ。絶対にこの部屋に誰も入れるな」
想像していたよりも過剰に反応してくれて助かる。
確かハセルの弟らしいシュライは処刑課にも認知されていないのではないか。なんせ最初に招かれて出会ったときの場所が場所だから認知されてる可能性は低い。
「かしこまり!」
動揺しつつも平然を装って答えるナラミナは明るい笑顔のままハセルに背を向ける。そして歩いてシオンを通り過ぎると廊下へと出ては勝手に扉を閉めてきた。
「話そうか。……どこまで、何を知っている? 貴様……」
あからさまに警戒してくるハセルはいつでも鎌を出せるように一切の隙を見せない。それに味を占めたシオンはハセルとの距離、丁度5メートルまで歩み寄る。
「ハセルさん。貴方は必要悪をどう思いますか?」
「……何が言いたいのかね? まずは此方の問いに……」
「話の主導権は今、私にある。誰が先に質問したかなんて重要ではないでしょう?」
遮ってまで発せられた淡々としている言葉に優しい笑みを添えながらハセルを遠く見上げた。そのハセルの表情は今までにないくらい不快を包み隠さず表している。
正直──不気味なのだ。シオンという人間の名前は聞いたことがないにも関わらず確かな実力が伴っている。見れば分かる強者の余裕とその風格。今までに何度も視線を潜り抜けてきた『怪物』に対する忌嫌が抑え切れないのだから。
未知なるものを恐れるというものこそ人の性。
シオンを前にしてハセルは警戒しつつも微かに恐れというものを抱いていた。
「……答えは1つだけ。──興味がない。どうかね? これが私の答えさ」
「ああ……やっぱり貴女とは大親友になれそうです。実に利己的な答え。いや……本当に素晴らしい」
やはりシオンという人間は常人のフリをして社会に溶け込んでいるだけで相当──目が狂っている。
気が高揚したかのような言葉なのにも関わらず先程から優しい顔だけで他の表情を見せてくれない。
「他人と揉めた際、私はすぐに謝るんです。『ごめんなさい』って。どうしてかわかりますか? それが効率のいい人間関係の構築だからです」
「…………」
「もちろん反省はします。ですがね。相手の都合の良いように接することで相手から愛が貰えるんですよ。そのために相手がどんな人で『私』に何を求めているのか、それを理解しないといけない」
知恵の概念から言われた「人間性がない」という言葉は本当にその通りなのかもしれない。アザヤだって友達になってくれた人に感謝しろと引き気味に伝えてくるくらいなのだから。でもそんなことは全部どうだって良い。
それは全部『シラ・フラブ』が勝手に言われた言葉であって『シオン』が言われたものではないのだから。
「皆んなが『願う』んです。平和を──理想を。それが叶わないと知っても尚、願いは消えないから」
「……何が言いたい?」
「──全てを奪われた人間が、全てを取り返すために、この世の全てを手に入れようとするのは悪でしょうか?」
大きく問いかけながら腕を横に広げるシオンは紛れもなく既に正義なんて微塵たりとも持っていない。最初から人間味が微塵たりともない人間が境遇で更に全てを奪われたら。現在、持っているのは──
「愛です。愛があれば平和の礎を作り変えられます。貴女が目の敵にしている概念の実体化だってきっとそう」
「……ッ! 何を……概念の実体化までも知っているのか! どこでどうやって……答えろ! 何者だ君はッ!」
図星のような反応を見せたハセルは険しい表情ながら鎌を右手に掴んで構える。しかしハセルが怯えているは5ヶ月後から来ただけのなんて事ない元少女だ。
「いえ、ですから貴女と『お友達』になりに来たんです。共に概念の実体化を討ちましょう。彼奴等は絶対に存在してはいけない。愛で満たされた世界に奴らは存在価値のない粗大ゴミですから。それは貴女が不老不死となった原因でもあるはず。同意して頂けるでしょう?」
「……何が望みだ?」
「私の家は遥か昔、概念の実体化に殺されたんです」
もちろんこれも嘘。名前さえ嘘なのだから、これくらいの嘘はどうってことない方便のうちに入るだろう。
それにしても悲しいエピソードというものは共感を覚えやすくて使い勝手がいい。
「そのため、私はただの『シオン』となりました。実は名家と血縁があるとかないとか。言われましたね。魔力という概念の実体化に。ともかく上の名前がない。捨てられた帝国市民のしがない『あぶれ者』です」
この短時間で作った設定だ。帝国市民を名乗るのは少しリスクがあるが、そのリスクこそ信憑性が増す1番大切なバックボーン。それぎあってこそ『シオン』という名の存在に確定要素が増す。
それに目を見開くハセルはまんまと騙されていた。
概念の実体化を前にしたらいくら不老不死といえど冷静さに欠いてしまうのだろうか。
「辛い人がいる世界は存在してはいけない。全てを幸せに。全てを愛に。そのためだったら──」
「……その心意気は買おう。どうかね? 今、罪人処刑課2課の副課長が『行方不明』なんだよ。今はまだ違うが、今からそうなる」
人を恨んでおきながら、概念の実体化を殺すために必要悪となったハセルだ。人の人生を多く踏み躙ってきたハセルは本当に『行方不明』にさせかねない。
「面白いですね。正義を語る処刑課の1番上がこれですか。ですが戦力不足は避けたい。でしょう? 争いで1番大切なのは人ではない。保持しているカードとそれを切るタイミング。故にここは穏便に──行方不明にはせず私を副課長にさせてください」
「……そうだ。君は本当に惜しい人材かもしれない。成果次第では私の右腕にならないかね?」
鎌を仕舞うハセルは机の上で手を組んだ、また見透かすような目をシオンに向ける。淡々とした説明で上手く質問を切り抜けたのだ。
不老不死であるハセルとは利害関係としてでなら何かと気が合うような気がする。これで処刑課5課の副課長という職を手に入れた。衣食住のついでに罪人を殺せる特権まで手に入れることができただろう。
「それは私の活躍があった後にお願いします。やっぱりナシは悲しいじゃないですか。きっとそう。きっと悲しい」
「……処刑課は寮がある。ここの案内と、その寮の案内もナラミナに任せるのだよ。君の上司となる相手だ。あとは彼女に従え」
嫌々そう命令を下すハセルはいつに増しても不機嫌そうで、それでも希望を捨て切れていない。
謎が多い相手は側に置いておきたかったのだろう。
もしも本当に概念の実体化の敵で、こちら側の味方であったら利用価値があると考えているのだ。
「ええ。では、失礼します」
そう淡々と返しながら背を向けて扉へと進む。
ヨヤギ・アリマの指名手配も取り外させたくても、それは後で構わない。少なくとも信頼関係を築く前に発言してしまえば余計に怪しまれてしまうだろう。
最初に処刑課に入り込めた。
ハセルとも話すことが成功して、更に過去に戻れていることへの確認もできている。ナラミナが潜入をしている最中なのだからきっと本当に5ヶ月前の可能性が大きい。
** ** * ** **
それから部屋を出て、廊下を歩いていると左壁に佇むナラミナの姿が確認できた。確か彼女が上司だったかと考えながら、その前まで歩くと足を止める。
「見ず知らずの君がまさかの出世コースだね。いや副課長ってことはもう出世してるのかな?」
片目を瞑って探りを入れてくるナラミナよりもシオンほんの少し高い身長だ。こうして知人との身長差を覚えてしまえば違和感が更に加速してしまう。
「ですね。もう伝達されているとは驚きました」
「君ってさ……よく気味悪がれたりしない……?」
若干引き気味で聞いてきたため、軽く腕を組んで右手を顎の下に当てて考える。考えても気味悪がられることは今までになかったし逆に好いてくれていた。
しかしそれは『フラブ』のことであり今では関係ないなと腕を元に位置に下す。
「いえ。特に」
「──? 本当に?」
嘘だろと言わんばかりに信じられないナラミナは訝みながら顔を近づけて、まじまじと見つめてきた。
こんな近くで見てもナラミナは可愛いという言葉が似合う顔つきをしている。何かと分かりやすく疑ってくる人間は、あまり顔に出ないアリマよりも接しやすい。
「それなら良いんだけど……まぁ任せといて! 言われた通り案内も、仕事内容も丁寧に教えたげるからさ!」
明るく言いながら顔を元の位置に遠ざけると腰に手を当てて優しい表情をした。最高管理者の判断を信用しているのだろうか。少なくともこの段階でナラミナは悪い人には見えない。
「あ! でも後で聞かせてね! 嫌なら良いんだけど! 成果も出していないのに話しただけで最高管理者様、直々に副課長に出世させるなんて! マジで異例だよ!」
「それ、褒めてくれてるんですか?」
「あったりまえ! 急に現れて半信半疑だけど、私的には信じたいかなって思ったの!」
良い人、なのかもしれない。明るい笑顔で即答してくれるナラミナは死ぬべきではない人で、守る対象に入るのかもしれない。違うな。全ての人を守るために『シオン』になって処刑課の一員を演じているのだから。
目が不調なので暫く休みます。




