4. エピローグ
西川製作所との打ち合わせから5年後。
安田はカフェでコーヒーを飲みながらニュースを眺めていた。
面白い記事はないものかと適当に読み飛ばしていると、1つの記事に目が止まる。
『老舗企業の挑戦:高級家庭用オーブンで世界へ』
「おっ、西川製作所さんの記事か」
記事の内容は、新商品の高級家庭用オーブンが国内で大ヒットしたのを受け、今後は海外にも売り込んでいくという西川社長のインタビューをまとめたものだった。
動画も掲載されているが西川の受け答えに問題はなく、自信なさげだった過去の姿はどこにも無い。
あの打ち合わせの後、西川製作所と安田は経営の立て直しに奔走した。
西川と南越が社内から信頼されていたこともあって社内調整は比較的楽に進んだが、代わりに株式会社OGAMIとの交渉が難航したのを安田は思い返す。
値下げするなら売らないと言い切る西川製作所に対し、分かりましたと引き下がったかと思えば翌日やはり納得できないと言い出すのはまだマシな方。
不必要な社員を何人も連れてアポ無しで訪問してきたかと思えば、これまでの関係を長々と喋り出し、最後には値下げを受け入れない方が悪いと騒ぎ出す始末。
こんなことを定期的に繰り広げていたので、流石に社内からもあそこは何かおかしいという声が上がるような状況だった。
噂話を聞きつけた他社が、わざわざ西川製作所のオフィスにまで調査の人間を送り込んで来たせいで、まさか循環取引が露見したのかと安田たちは余計な緊張を迫られたのも今となっては笑い話である。
(結局、蓋を開けて見ればあそこも粉飾していたという結末だったわけだが)
株式会社OGAMIがあれほど強硬な理由は単純だった。
安田が予想した通り、事業が上手く回っていなかったためである。
そんな状況でIPOを目指すために各種数字を誤魔化していたのだ。
IPOを目指す企業は幹事役となる証券会社から、業績の成長が止まらないよう厳しく言われている。
これは成長企業であるというストーリーを描けないと高い時価総額がつかず、株を売る際に苦労するためである。
株式会社OGAMIからしても、IPOによって資金調達できないと早晩事業は頓挫するため、業績の大幅な悪化だけは受け入れられなかった。
しかし、実際には多くの店舗が売上不振に悩んでおり、その穴埋めのために業績の粉飾に手を出していた。
その後なんとかIPOには漕ぎ着けたものの、上場から半年後に粉飾が発覚。
値下げ要請は西川製作所だけに留まらず、ほとんどの取引先に対して行っていたことが調査の中で判明したのだった。
株式会社OGAMIは株価が暴落した後、最終的には民事再生による上場廃止で幕を下ろすことになる。
取引を縮小していた西川製作所は助かったが、多額の売掛金を残していた企業などでは連鎖倒産が発生したため一時期話題になっていた。
上場前から粉飾決算に手を染めている企業は意外なほど多い。
そして、そのほとんどは上場して数年以内に不正が公のものとなっている。
IPO時に創業者やベンチャーキャピタルが株を売っていても、不正発覚後に株の売却で得た金を返すことはない。
そのため、IPOに持ち込みさえすればある種の逃げ切りが確定するという面もあって、IPO後にあっさりと粉飾決算を認めるケースが少なくない。
また、粉飾決算に手を出さないにしろ、明らかに不可能な業績予想を開示しているケースはそれ以上に多く存在する。
そういった企業は上場後すぐに下方修正という形で予想を撤回する。
この行為に関しても罰則は存在しないため、IPO時に株を高く売りつけたい関係者が盛った数字を持ち出す事例は後を絶たず、証券会社もそれを助長するという問題が株式市場には存在している。
株式会社OGAMIもそういった企業の1つとして投資家から扱われ、そして忘れさられていくことになる。
一方で、西川製作所の方も順風満帆だったわけではない。
(家庭用オーブンを売るために全国を走り回ったが、流石にあれをもう一度やりたくはないな......)
あの時の苦労を思い出して安田は渋い顔をする。
家庭用オーブンを売る際に安田のネットワークを利用したものの、だからといってそう簡単に売れるはずもない。
家電と言えば大手メーカーという認識がユーザーだけではなく販売店側にもあり、まともに対応してくれたところが想定よりも少なかったのだ。
値段だけ見て売れないと言い切った販売店も多い。
結局、地道な営業を続けてファンを見つけ、そのファン達から口コミで広げていくという泥臭いやり方を続けざるを得なかった。
SNSで話題になったことで一気に売上が伸びたが、そういったきっかけが無ければ目標としていた売上の達成はかなり厳しかったというのが実情である。
西川も率先して全国を回っていたため、営業やインタビュー慣れしたというメリットはあったが、代わりに本社の業務を引き受けた南越が過労で一時倒れるなど、西川製作所はギリギリまで追い込まれていた。
そのような状況を乗り越えられたのは社員たちの助けがあったからであり、そんな彼らを支えたのは今頑張ればきっと未来は良くなるという心の支えがあったからであろう。
また、勘の良い一部の銀行担当者が業績について疑惑の目で見始めたこともあった。
「怪しいというなら金を返して関係を終わらせよう。そう言いながら押し切ったものの、流石にあの時は危なかったな......」
ここだけは誤魔化しきれないと判断し、資金を捻出して優先的に融資を返済することでなんとか逃げ切ったが、当然ながら資金繰りは悪化し、立て直しに安田も頭を悩ませることになった。
今の西川製作所は新規事業と取引先の拡大によって業績は伸び続けており、安定したキャッシュフローを活かして逃げ足の早そうな銀行の融資を段階的に返済している。
既に循環取引を解消していることもあり、もう数年もすれば、急な融資引き上げで会社解散の危機に追い込まれることもなくなるだろう。
だからといって西川製作所がこの先も安泰というわけではない。
西川製作所の成功を見て、後追いで参入するメーカーも増えてきているのだ。
特に大手の家電メーカーはこぞって類似製品を投入し始めている。
彼らにはこれまで培った製造技術があるため、手本さえあればそれなりの物を作れてしまう。
加えて、大量生産によってコストも抑えることができる。
西川製作所は今後大手と競合していくのか、それとも買収などによって大手の傘下に入るのかといった判断を迫られることになるだろう。
1つの問題を解消すれば、また新しい問題が生まれる。
企業を経営するということは問題に取り組み続けることと同義でもある。
しかし、西川製作所がどのような道を進むにせよ、安田の仕事は既に終わっている。
ここからは西川製作所、そして西川らが自ら判断しかない。
安田は腕時計をちらりと見る。
次の打ち合わせの時間が迫っていた。
近くにいた店員を呼び、会計を済ませる。
「さて、今度は美容機器のメーカーか。素直に話を聞いてくれれば楽なんだが......」
そう言って安田は雑踏に消えていった。