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3. 注意が必要な兆候

説明を聞いていた南越が安田に質問する。


「社員による循環取引や不正取引に注意するにあたって、危険な状況や兆候があれば教えて頂きたい。これから始まる新規事業の監視をする上でも必要ですし、業績改善が上手くいった後、我々は循環取引を防がなければなりません」


今回の取り組みが上手くいったとしても、その後社員の不正で会社が傾いては意味がない。


管理部門の強化が必要だと判断した南越の要望は真っ当なものであり、西川もその要望を肯定し口を挟まなかった。



「分かりました。いくつかの具体的な事例を説明しましょう。まず一番分かりやすいのが事業場の合理性が不透明な取引です。取引先が扱っていないであろう商品を購入していれば、誰がどう見ても怪しいと考えるでしょう。また同業他社から仕入れた製品を、そのまま別の同業他社に転売するというのも不自然です」


「製品を左から右に動かしているだけというのがすぐに分かりますね。もう少し上手くやるなら、追加取引や一式という形で取引をまとめれば、余計な製品を紛れ込ませることができそうです」


「その通りです。不自然な仲介業者や商流を挟んでいる場合も注意が必要です。特定の担当者に取引や権限が集中している場合はなおさらです。また、担当者が長期間にわたって同一顧客を担当している時、他の社員が状況を把握できず問題が起きていても会社は認識できない傾向にあります。業界の慣行という言葉には常に危険がつきまといます」



木を隠すなら森の中。


露骨な転売ならともかく、複数の仕入れをまとめたいという要望はどこにでもある。


製品をまとめて取引する代わりに割引を適用することや、細々とした販売先の手間を肩代わりする代わりに契約を取ったからといって、すぐに不正取引だと見なすことはできない。


加えて、売上を大幅に増やしたいというわけでもなければ、水増ししなければならない取引も少なく済む。


正常な取引の中に少額の架空取引を細かく組み込まれた場合、ある程度まとまった金額になるか、明確な傾向が出るまでの間は発見が困難となる。



「次にすべき取引の特徴としては、製品の移動が捕捉しにくい取引や、エンドユーザーが不明確な取引、製品の価値を第三者が客観的に判断しにくい取引などがあります。分かりやすい事例としては、システム開発系の企業が提供したサービスですね。製品といってもデータでしかなく、新規に作り上げたものなのか元からあったものをコピーしただけなのか。製造コストや販売価格が妥当なものなのか。納品した製品は最終的に誰が使うのか。誤魔化そうと思えばいくらでも誤魔化せます」


「一時期、ソフトウェア仮勘定を利用した粉飾決算が話題になりましたが、やはり実物がないものは不正に利用されやすいわけですね。ソフトウェアでないにしろ、自社倉庫を経由しない直送取引なども補足が困難です」


「そうですね、財務諸表を見ることで判明するケースもあります。売掛金の回収期間が他に比べて長かったり、売掛金や在庫が減らないのに仕入れが増え続けている場合は怪しくなります。他にも、取引金額の大きさや頻度なども、異常値が出た場合には調査が必要でしょう」


南越は頷きながらメモを取る間、過去に業務システムを導入した際、作業費が適正かどうか判断できなかったのを思い出す。


他社の見積もりを取るにしても限界があり、多少誤魔化されても気がつくのは難しい。


時間あたりの作業費などは提示されるが、本当にそれだけの時間が必要なのか外部には分からない。


製品価格を抑えて他の項目で売上を確保しようとする企業もいるため、ほとんどの場合は最終的な金額だけで判断されることになるだろう。


架空取引を混ぜ込むにはこういった取引が最適の対象となる。




安田の説明を聞いて、西川と南越は再び社内の見直しについて検討を始める。


そしてしばらくした後に西川は見落としを見つける。


「安田さん、今更かもしれませんが、循環取引の相手はどのように見つければよいのでしょうか?あと、どの程度の数の相手が必要なのでしょうか?」


循環取引における最も重要な点について、ようやく気がついたのだった。


安田も言われて初めて自分の説明漏れを理解した。



「これは失礼しました。循環取引の相手の探し方ですが、本来であれば時間をかけて探すしかありません。取引をきちんと履行してくれた上で秘密を守って貰う必要がありますし、循環取引の最中に倒産されるわけにもいきません。上場企業は循環取引の相手として不適切である点を踏まえれば、相手は未上場の企業の中から選ぶことになります。そちらの方が対象となる企業の数も増えます」


「とはいえ、業績が好調で事業が上手くいっている企業が、わざわざ循環取引に手を出す必要もありませんよね?」


「その通りです。都合の良い相手はそう簡単には見つかりません。従って、ある程度融通がきく社長の知り合いや貸し借りのある相手、もしくは袖の下を渡してどうにかなる相手の中から選ぶことが多くなります。取引相手を騙すような形で巻き込むケースもありますが、これは露見しやすいのでお勧めできません。実際、この選定作業が循環取引で最も難しい箇所です。ですから、適切な企業や循環取引のネットワークを紹介するのが私の仕事となってきます」


「ネットワークというと、既に循環取引をしている企業群の間に入るということですか?1対1の取引を新規に始めるのではなくて?」


そんなことをして大丈夫なのかと西川は驚く。


しかし、安田は涼しげな顔をして答える。



「1対1での循環取引は最も手軽な方法ですが、そればかりだとどうしても数字の動きが不自然になります。2-3社を経由した循環取引のネットワークを複数持つことで、取引相手と金額の両方を目立たなくすることができます。加えて、ネットワークを1から作るより、既に存在しているネットワークを利用する方が粗が出ません。ある程度信頼出来る相手、そして上手く回っているネットワークを作るのは手間がかかりますし、既に存在している企業間の取引で上手く挿し込めるところを探す方が自然な取引に偽装できます」


「はぁ、色々とノウハウがあるんですね......」


西川は感心と呆れが混じった声を出した。


そして、西川に代わって次は南越が疑問をぶつける。



「2-3社と言われたのは理由があるのでしょうか?数が多いほど追跡調査が困難になることを考えれば、もっと多くしても良さそうですが」


「理由は2点あります。循環取引というものは相互協力があって初めて成り立ちます。ワン・フォー・オール、オール・フォー・ワンの精神が重要ですが、そういった協力プレーをできる相手は数が限られるというのが1点。また、ネットワークの参加者が多いほど規模が大きくなり、露見するリスクや内輪揉めが起きるリスクが高まります。そうなれば協力してくれる相手も二の足を踏むため、参加者を一定数以下に抑える必要があるというのがもう1点です」


「参加者が少なければその分話を通す相手も減ると。人がどこで繋がっているか分からず、過去に恨みなどがあれば脅迫も起こり得るということは理解できました。参加するネットワークを複数持つのも、粉飾したい金額を分散するためですね」


「ご認識の通りです。循環取引をやる際には、とにかく関係者を減らすのが鉄則です。取引を解消する際にも数の少なさは重要になります」



循環取引ネットワークを常に抱えていることで、顧客をいつでも適切な場所に挿し込むことが出来る。


循環取引が不要になった顧客が出たとしても、ネットワーク内の1社が減るだけなら他の参加者への影響は最小限に抑えられる上、毎回循環取引の相手を0から揃える手間も省ける。


これが安田のビジネス上の強みであると2人は理解した。



安田は口には出さないが、顧客同士を上手く利用することで循環取引ネットワークを維持しているのだろう。


利用されている事を考えれば良い気分にはならないが、だからといってこの仕組みがなくなれば循環取引の難易度は大きく跳ね上がる。


また、世の中には金銭だけではどうにもならないことも多い。


報酬を支払うといっても不正に協力してくれる相手は限られており、報酬や利害関係の調整にはかなりの手間がかかる。


仮に無事循環取引を始めたとしても、その後関係が拗れれば脅迫を受ける可能性もあり、解消しようと思っても相手が承諾してくれないケースも存在する。



循環取引を始めるのは大変だが、維持し円満解消に持っていくのは始める以上の困難が伴う。


循環取引がなくなれば取引相手も困るとなれば、どう考えても話はまとまらない。


撤退に失敗した場合、露見するまで循環取引を続けさせられることになるだろう。


その先にはあるのは、事が露見するまで足抜けできない地獄だけである。


その問題を安田が解消してくれると考えれば、それなりの額の報酬であっても喜んで払う顧客が多くなるのも当然だった。



こういった点まで安田は説明しないし、西川や南越もあえて確認はしない。


どんな世界にも暗黙の了解というものがあり、聞いてしまえば面倒事を背負いこむことになるか、自分が馬鹿だと公言しているようなものだと理解しているからだ。


それ故、南越の口から出たのはより実務的な質問だった。



「なるほど。ネットワークを利用するメリットは理解できました。その場合、どういった取引形態になるのでしょうか?こちらの製品を預けるような形になるのか、それとも完全に架空の取引になるですか?」


「今回はスルー取引とUターン取引を組み合わせるやり方でいきたいと考えています」


「スルー取引とUターン取引ですか?」


聞き慣れない単語を怪訝な表情でオウム返しに聞き返す南越。


隣にいる西川も同じような顔をしている。


そんな2人に対し、安田は説明を始める。



「循環取引の代表的な取引形態は3つあります。その中の2つがスルー取引とUターン取引で、残りがクロス取引となります。詳細な説明は資料の......、そう、循環取引の形態というページに記載してあります」


安田の説明よりも早く西川と南越は資料の該当ページを開いていた。


これまでの説明の中で、安田が2人の反応を見越して資料をまとめていることを理解したためである。


打ち合わせ当初の否定的な態度と打って変わった様子ではあるが、覚悟を決めた以上やることはやるという意思が見て取れた。



西川は資料に書いてある説明を読み上げる。


「スルー取引とは、自社が受注した注文をそのまま他社へと回す取引形態を指す。付加価値の増加が伴わず、帳簿上を通過するだけに留まるのが特徴。.......なるほど、私がイメージする循環取引はこちらになります」


「いわゆる、左から右に流すだけの取引ですね。証憑のやり取りだけで完結することも多く、その手軽さから利用されることが多い形態です。ただやりすぎると目立ちますので、実際の取引を水増しする程度に留める必要があります」


「手軽ゆえに計上できる売上にも限界があると。確かに。こんな取引が売上高を占めていれば一目瞭然ですね」



スルー取引は主に社外から仕入れたものをそのまま社外へと販売する。


仕入れ分に手数料などを上乗せするならまだしも、それすらなければ会社にとって意味は全く無い。


利益を生み出せない取引で会社を継続させることはできない。


そんな取引が売上高の大半を占めているとなれば、その会社の実態は計上されている数字からかけ離れたものになる。




「そしてUターン取引の方は......、こちらは文字通り販売した商品が手元に戻って来るわけですか。在庫を外部に発送して、売上を先行計上しているようなものですね」


「その通りです。最初に取引した価格のまま買い戻す形になると疑われやすいため、値段を引き下げつつ諸々の手数料などを上乗せする形で処理することになります」


「発送や受け入れが伴うわけですから、量が多くなれば社内の倉庫関係者などに怪しまれそうですね。拠点を分散するなりしないと......」



Uターン取引は製品が文字通り循環する形の取引となる。


最終的には製品が手元に戻って来るため、財務諸表上の在庫の増減も怪しまれないよう注意を払う必要がある。


取引先都合ということで発送を遅らせることも可能だが、それが長期間に渡るとなればどうやっても注目を集める。


社内関係者が不自然さに気がつけば、噂話という形で外部に漏れるのは時間の問題である。




「最後にクロス取引。これは製品価格を釣り上げて販売し合うことで売上を増やすわけですか。他の取引と比較されるとすぐに露見しそうですが大丈夫ですか?」


「取引情報は基本的に外部に公開しませんので、外部監査でも入らない限りはまず露見しません。また、常態的に値引きをしている企業は多く存在しています。値引き分がなくなるだけでも売上にかなりの影響が出ますから、そういう形であれば不自然さは隠すことができます」


「互いに購入し合ってもおかしくない製品を選べば、外部が正常な取引とは区別するのは難しそうですね。この条件を満たせる場合のみ使えると考えれば悪くないわけですか。なるほど」



クロス取引は互いに製品を購入し合う形になるため、取引額の調整のしやすさや関係者の数を減らせるというメリットがある。


また、分かりやすい形で互いに弱みを握り合うことができる。


しかし、問題も存在する。


在庫が互いの倉庫に溜まり続けるのである。


帳簿上の取引に留めることも可能だが、その場合は自社倉庫に未発送の製品が溜まり続けることになるため、どちらにせよ極めて不自然である。



「Uターン取引とクロス取引に関しては、在庫をどうするかという問題に対処しなければなりません。製品は売れていないわけですから実際の在庫は減りません。しかし、製品を作らないと帳簿上の辻褄が合わなくなります」


「製造分以上の出荷があれば、数字を誤魔化していることは一目瞭然。原材料の仕入れで資金は出ていく一方。それが続けば資金不足で早々に限界を迎えるわけですか」


「注文のキャンセルで誤魔化すにしても、それが続けば社内から怪しまれるでしょう。成長しているように見せかけるために必要な売上は毎年増え続けますので、循環取引の相手のことも考えれば長くは持ちません。循環取引には期限があるというのはこういった話も影響しています」



製品を作っても売れなければキャッシュフローは赤字になる。


循環取引をしている間は振込があるにせよ、売れていない実際の在庫が増える分だけ資金は減っていくため、製造に注ぎ込むキャッシュフローが尽きればそこで循環取引は限界を迎える。


この問題は製造をアウトソーシングできる製品であれば誤魔化しやすくなる。


そこで、循環取引に利用する製品には汎用的なものを選ぶか、監視の目が届きにくい海外の製造拠点を利用するといった対策を選ぶことも多い。



粉飾を行う際、製品ではなくレンガを詰め込んで発送していた企業も過去に存在した。


しかし、運搬中の事故で中身が露出し、それをきっかけとして不正が公になった。


物を移動させるという行為にはある種の説得力がある一方で、想定外の事態を引き起こす可能性も抱えているため注意が必要である。




「先程申し上げたように、今回はスルー取引とUターン取引を行います。最終的には製品を売っていく前提ですので、在庫が手元に戻ってきても対処できます。適当な理由をつけて販売先から納品し、次回以降の契約は全て西川製作所さんで引き受ける形を適宜盛り込むことで、製品が戻ってきても目立たないように調整していきましょう。特に家電の方は従来の販売網では対処できないことも多いので、代理店を挟んでも不自然ではありません」


「分かりました。教えて頂いた内容を踏まえ、社内の準備を始めます。至らぬところもあると思いますが、これからよろしくお願いします」


「よろしくお願いします」


そういって西川と南越は頭を下げる。




「行動に移した際、色々と問題に直面するかもしれません。しかし、最初に説明したパターンを踏襲すれば循環取引は実現可能です。これまで注意事項を説明してきましたが、社内外の監視の目がどれだけ厳しくとも、1つ1つ既成事実を作れば必ず実現できます。大切なのはいきなりゴールを目指すのではなく、焦らずに刻みながら進むことです。力を合わせて取り組んでいきましょう」


そう言って安田は立ち上がり右手を差し出す。


西川も同じように立ち上がり、安田の手を強く握り返す。


西川製作所の戦いはこの時から始まったのだった。

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