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第三話 独鈷の湯

 

          ◯



 温泉街の中心を流れる桂川。

 それに沿って伸びる道をしばらく行くと、やがて川のほとりには岩でできた島のようなものが見えてくる。


 島の上には東屋(あずまや)が建ち、その囲いの中には小さな温泉が沸いている。


 この観光地のシンボル的スポット・『独鈷(とっこ)()』である。

 修善寺温泉発祥の地とされているそこは、古くは弘法大師(こうぼうだいし)空海(くうかい)が温泉を湧き出させた場所として言い伝えられている。


 件の問題児は木製のスロープを渡って、その場所までやってきた。

 幸い周りに人はおらず、兼嗣は彼女に声をかける絶好のチャンスだと捉える。


「失礼。そこのお嬢さん」


 背後からそう声をかけると、川の景色を眺めていた彼女は不思議そうにこちらを振り返った。

 銀色に染められた前髪の下から、赤いアイラインを引いたアーモンド型の瞳がこちらを見つめる。


家島(いえしま)妃頼(ひより)さんでお間違いないですか?」


 その名前は、璃子から送られてきたプロフィールに記されていたものだった。


 家島妃頼、二十一歳。

 住まいは東京の方にあるらしいが、今日は単身ここへ旅行に来ているようだった。


「え、何? 何なの、急に」


 白い直垂衣装に身を包んだ彼女は、戸惑うように眉根を寄せ、手にした金の扇子で口元を隠す。

 どうやら警戒させてしまったらしい。


「突然お声がけしてすみません。ちょっとお伺いしたいことがありまして」


 ここはさっさと自己紹介をした方が良いと判断し、兼嗣は例の名刺を取り出そうと懐に手を忍ばせたが、


「何? もしかして警察の人?」


「いえ。警察やなくて、私こういう者で——」


「警察じゃないの? じゃあ、おじさん誰?」


「誰がおじさんや」


 それまで営業スマイルを顔に貼り付けていた兼嗣は、一瞬だけその表情を崩して反射的にツッコミを入れてしまった。


「あ……っと、失礼」


 ごほん、と咳払いを一つしてから、彼は改めて笑顔を浮かべて名刺を差し出す。


「私こういう者です」


 家島妃頼は怪訝そうにしながらも、差し出されたそれを受け取ると、表面に印刷された字を神妙な面持ちで読み上げる。


東雲(しののめ)探偵事務所……岡部薫? あなた探偵さんなの?」


 物珍しそうにこちらを見上げる彼女に、兼嗣は笑顔のまま頷いた。


「ええ、そうです。実は、あなたのお身内から依頼を受けましてね。最近のあなたの行動には不審な点があるんで、調査をしてほしいと」


「身内? ……って、どうせママでしょ?」


 ふう、と疲れたように溜息を吐きながら彼女は言った。


「どうせまた、あの『夢』のことで何か言ってきたんでしょ? 別に問題ないって何度も言ってるのに」


「夢のこと、ですか?」


 兼嗣がオウム返しに聞くと、彼女はどこか腹立たしげに唇を尖らせて言う。


「あたしが毎晩、同じ夢にうなされて飛び起きてること。確かにママからすればびっくりするかもしれないけど、当のあたしが問題ないって言ってるんだから別にいいでしょ。わざわざ探偵まで雇うなんて……本当に無駄なことばっかりするんだから」

 

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