第二話 問題児
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武藤兼嗣はごく普通のサラリーマンである。
が、こうしてひとたび永久本家から連絡が入ると、偽りの私立探偵として振る舞うことを余儀なくされる。
「一応、念のために持って来といてよかったわ。偽物の名刺」
言いながら、彼はスーツケースの中から革製の名刺入れを取り出す。
二つ折りのそれを開くと、中には『岡部薫』と印字された探偵の名刺が大量に収められていた。
『岡部薫』は偽名である。
先ほど璃子の言っていた問題児と接触する際には、けしてこちらの正体を悟られてはならないのだ。
「さてと。まずはどこから捜せばええんやろな」
偽物の名刺を懐に忍ばせて、兼嗣は旅館の外に出た。
時刻は午後三時半。
八月半ばの空はエネルギーに満ち溢れ、肌を刺すような日差しがアスファルトを照り付ける。
旅館のそばを流れる桂川のせせらぎに紛れて、辺りにはアブラゼミの声が響いていた。
さすがに暑さが厳しいので、上着を脱いでネクタイを少し緩める。
璃子から送られてきた情報によると、件の問題児は二十一歳の女子大生だという。
添付された写真をスマホの画面に表示して、兼嗣はそれをしげしげと眺めた。
(さすがは永久家の血縁者だけあって、なかなかのべっぴんさんやな。……にしても、この格好はコスプレか何かか?)
写真に写っている彼女は和装で、白を基調とした直垂姿だった。
この服装はその昔、武家社会で男性が用いたものであり、こうして女性が身に着けるのは一般的ではない。
何かのイベントか、それとも趣味で着ているのだろうか。
どちらにせよ、普段着ではあるまい。
こんな特殊な写真より、できれば普段着姿の彼女を参考にさせてほしい——と、兼嗣が再び璃子に電話を繋いだところで、
「……あ」
ふと目に入った人物の姿に、思わず釘付けになった。
視線の先に、一台のバスが停まっていた。
最寄りの修善寺駅から出ているバスで、中から数人の観光客らしき人々が降りてくる。
その中に一人だけ、あきらかに浮いた格好をしている女性の姿があった。
白を基調とした直垂衣装に、やたら大きな金の扇子。
ウェーブのかかった長い髪は金と銀とが入り混じる不思議な色をしていて、故意に染められたものだとわかる。
一見して何かのキャラクターのコスプレだとしか思えないその姿に、兼嗣は思わず固まっていた。
「もしもし、兼嗣さま? 聞こえてます?」
スピーカーの向こうから璃子の声が届いて、兼嗣は我に返った。
「あ、ああ。ごめんごめん。ボーッとしてたわ。その、ちょっと確認したいんやけど……例の問題児の写真って、もしかしてあれが普段着なんか?」
そんなまさかな、と思いつつ尋ねると、
「ええ、そのようです。彼女の趣味はコスプレで、普段から和風テイストの格好をしているそうです。髪の色もかなり凝っているようなので、人混みの中でも目立つ分、兼嗣さまも捜しやすいかもしれません」
「せやな。秒で見つけたわ」
直垂姿の女性はバスを降りると、金の扇子で首元を扇ぎながら西の方へと歩いていく。
周りの観光客たちからも注目を集める彼女の後ろを、兼嗣は内心困惑しながら追いかけていった。




