第十話 ストリーツ・ビーチ
◯
午後九時。
賑やかだった街も少しずつ落ち着いてきた頃、坂上青年はほんのりと赤らんだ顔でトレジャリー・カジノの扉から外に出た。
昼間は多くの人々が行き交っていた川沿いの通りも、今は夜の静寂に包まれつつある。濃紺の空を背景に佇むカジノは、砂岩造りの外壁がライトアップされて淡い紫色に染まっていた。
「はー。夜風が気持ちいいなぁ」
青年はどうやら酒に酔っているらしく、火照った体を風に当てるようにして両手を広げる。
現在十九歳であるはずの彼は、日本の法律ではまだ飲酒は認められていない。が、オーストラリアでは十八歳から飲酒可能となっているため、ここでは合法である。
同じく酒に酔っている様子のソフトモヒカンの青年が、少し遅れて外に出てきた。彼らはテンションの上がった声で楽しげに談笑する。
そんな二人のことを、天満は建物の陰からこっそりと見張っていた。つい三十分ほど前に執念で彼らを見つけだした天満は、坂上青年が一人になる瞬間を狙って身を潜めている。
青年らは酒とカジノの余韻を楽しみながら、ふらふらとした足取りで西の方へと歩き始めた。向かう先には大きな川があり、その上に架かる幅の広い橋、ヴィクトリア・ブリッジを渡っていく。
対岸に渡り、そこからさらに十五分ほど歩いただろうか。青年らの酔いも冷めてきた頃、辿り着いたのはオフィス街の中に突然現れたビーチだった。
その名も『ストリーツ・ビーチ』。ビル群に囲まれた街中で、砂が敷き詰められた人工的なビーチである。
——『バニヤップ』だっけ? なんかUMAっぽい扱いなんだけど、最近サウスバンクの方で目撃情報があったらしいよ。
先ほど土産物屋の女性が言っていた、アボリジナルの伝承に出てくる怪物。その目撃情報があったとされる場所が、まさにここだった。
昼間はあれほど水を恐れていた坂上青年だが、今は酒が入っているせいか、自分が水辺にいることに対して意識が向いていないように見える。
やがて近くの通りにあるバス停までやってきたところで、二人はそろそろお開きにするかという流れになった。ソフトモヒカンの青年は別の停留所からバスに乗るようで、坂上青年とはその場で別れる。
よし、と天満はついにタイミングを掴んだ。
坂上青年が一人になった。思えば今日は朝から張り込んでの粘り勝ちである。
とてつもない疲労感にも勝る達成感を噛み締めながら、天満は意気揚々と問題児のもとへと向かった。
「もし。そこのお兄さん」
そう背後から声をかければ、坂上青年は不思議そうにこちらを振り向いたかと思うと、「げっ」と眉間にシワを寄せた。
「あんた、まだいたのかよ」
本当にしつこいな、と心底うっとうしそうに睨んでくるが、天満は痛くも痒くもない。もはやここまで来れば彼に警戒されようと関係ないのだ。
「今日一日、あなたの行動を見させていただきました。その上で私なりに考えた結果、ある一つの結論に至りました。……あなたはアボリジナルの呪いによって、ある怪物に襲われることを怖れていますね?」
「怪物……?」
指摘された瞬間、彼の顔からサッと血の気が引いた。どうやら図星らしい。




