第一話 トレジャリー・カジノ
街の主要駅を出てメインストリートを歩くと、周りを行き交うのは様々な言語と肌の色を持つ人々だった。
多くの店が軒を連ねるそこを抜け、川沿いの道まで出ると、視線の先には立派な砂岩造りの洋風建築が見えてくる。一見すると城か神殿のような重厚な造りだが、その脇には『PLAY CASINO』と書かれた垂れ幕が掛かっている。
「はぁー。やっぱり壮観だねえ、トレジャリー・カジノ。昼の姿も美しいけど、夜のライトアップされた景色も楽しみだなぁ」
うんうん、と満足げに頷くのは二十代半ばほどの優男だった。薄墨色の着流しに濃紺の羽織。彫りの深い顔立ちに色素の薄い瞳。ほのかに異国の血を思わせるその容姿は、周囲の観光客、特に日本人女性客の注目の的である。
「ねえ。あの人もしかして日本人かな?」
「あっ、本当だ。着物着てるし」
「うわイケメン! ハーフっぽくない?」
にわかに黄色い声が上がり始めるが、当の本人は特に気にした様子もなく目の前の洋風建築に魅入っている。
トレジャリー・カジノはここブリスベンの中心地に建つ歴史的な建造物で、カジノの他にもホテルやレストラン等が併設されている。昼間から多くの人々が出入りするそこは、荘厳な外観ながらも賑やかな街並みに溶け込んでいた。
「お」
と、不意にスマホの着信音が響く。男が羽織の袂から取り出して見ると、画面には『璃子』の文字が表示されていた。そのまま数秒ほど考え込んでから、
「……えぇー」
まじかぁ、と心底嫌そうに溜息を吐きながら応答ボタンを押し、渋々耳に当てると、
「いま心底嫌そうに溜息を吐いたでしょう」
スピーカー越しに、恨めしげな声が飛んできた。まだ幼さの残る少女の声だったが、感情が滲み出てドスが利いている。
男は悪びれた様子もなく、
「溜息ねぇ。なんでわかったんだ? そっちには見えてないはずなのに。もしかして俺、監視されてる?」
「あなたの様子なんて見えなくてもわかります。お互い何年の付き合いだと思ってるんですか」
どうやら勘だけで当てられたらしい。男が沈黙していると、スピーカーの向こうからは仕返しとばかりにこれまた盛大な溜息が聞こえてきた。
「で、今はどこをほっつき歩いているんですか? どうせまた遠くまで観光に行っているんでしょう。もう何度も言ってますけど、勝手にふらふらと出歩かれるとこちらも困るんですよ。あなたには本家の人間としての責務があるんですからね」
「へいへい。用事を済ませたらすぐ東京に帰りますよ。本当に人使いが荒いよねえ。心配しなくても、そんなに遠い場所じゃないから大丈夫……」
適当に受け流してその場を切り抜けようとしていると、そこへたまたま通りがかった欧米人らしき団体客の声が高らかに響く。
「Wow! That’s an Aboriginal boomerang! So cool!(わあ。あれがアボリジナルのブーメランね。かっこいいわ!)」
オーバーリアクション気味のジェスチャーとともに発せられた女性の声が、見事にスピーカーを通り抜けていく。
「ん? 英語? それにアボリジナルって……まさかとは思いますけど、今オーストラリアにいるんですか? 遠いにも限度ってものがあるでしょう!」
怒号が耳をつんざき、思わずスマホを遠ざける。
速攻でバレた。アボリジナルといえばオーストラリアの先住民を指す言葉だ。狩猟民族だった彼らにとってブーメランは必需品であり、今ではオーストラリアの土産物として有名である。
「本当にいつもいつもあなたって人は! とにかく早く帰ってきてください。今すぐです! 間違っても今からカンガルーに会いに行こうだとかゴールドコーストでサーフィンしようだとかエアーズ・ロックを拝みに行こうだとか考えないでくださいね!?」
まるで頭の隅から隅まで見透かされているような気がして、もはや言葉もない。
そのまま通話を切られるかと思いきや、
「あ、ちょっと待ってください」
と、何やら向こうで確認を取り合うような間があった。
嫌な予感がする。こういう時、考えられる事態は一つしかない。
「お待たせしました。前言撤回です。やっぱりまだ日本には帰らなくて結構です。本日はそちらに留まってください。丁度良い案件が発生しましたので」
ほら来た、と男は顔を歪めた。こうなっては逃げるわけにもいかない。
「また面倒事に巻き込まれるのか。つくづく、この家の血筋に生まれたことを呪うよ。ていうか、さすがに海外なら大丈夫だと思ったのに……」
「たとえ南半球まで行こうと、運命からは逃れられないんですよ。観念して行ってきてください。今回問題になっている人物の写真と、簡単なプロフィールは後で送りますから」
先刻までとは打って変わり上機嫌になった璃子は、通話の最後に優しげな声で激励を送る。
「名探偵の出番です。永久家の未来のためにも、しっかりと呪いを返してきてくださいね。天満さま」




